夏のことですが、映画「メッセージ」を観て語る会をひらきました。
それをしたことが今年の後半のわたしにはとても影響が大きかったのです。
今まで知っていた時間の流れ方と異なる「時」があり、そこでは物事は同時に起こり、しかも矛盾がない。辻褄というものがない...という時間を扱う映画だったと思っているのですが、違ったらすみません。
見てみんなで感想をしゃべってから、ずっと不思議な体感が続いています。
今はわからなくてもあとでわかる、
先で起こったことは実はもっと前に起こっていたことだった、
ぜんぶこうなるとわかっていた、
過去に喪ったように思えても、実はそれは永遠の喪失ではない...
...ことをありありと感じるようになったのです。
その直後にお盆で帰省して、分断された過去とつながる非日常を過ごしたのもあり、ますます「時間」というものを考えるようになったから、というのもあったかな。
あのときは「こちら側」からしか見えなかった景色が、いつのまにか自分が「あちら側」に立っていて、こちら側を見ているということもある。
それでようやく理解できたこともたくさんある。
例えば、教わっているだけではわからなかったけれども、教える側に回って見えることがあるというようなことです。
こういう四字熟語あるのかな?
時間を超えた贈り物が、なんども巡ってくるようなこと。
ずっと不完全で未熟なまま生き長らえているからこそ、「わかる」っていうのは、有難いことだと思えるようになったり。
とにかく宇宙を経由して時間差で届くことが最近やたらと多い。
リブトビを一緒にやっているちほさんにも同じことが起こっているようで、「過去からの宅急便を受け取り続け、未来に向かって宅急便を出し続けている」と表現していた。ほんとうにそんな感じ!
SFってもしかして人間を生きやすくするための聖書なのでは!
この体験は、わたしが場をひらく・営むことにも大きな影響を与えています。
自分と相手と場を今までとは違う次元で信じられるようになってきました
スケールを大きく捉えることができて、時間の有効性を信じられる。
自分の人生の時間よりもっと大きく、数十年、数百年、数千年...とか。
宇宙を経由して、時間差で届く。
数年後、数十年後。もしかしたら明日。
自分の生きているあいだに出会うのは奇跡かもという気さえしてくる。
そうはいっても三次元で、限りある肉体を持っている生命体として生きているので、この命の残り時間をどこで、だれと、どう使うかということにも目が向くようになってくる。
時間の不思議。
ひらいてよかったなぁ、この上映会。
そのとき話した感想は特別すぎるので、今は書かないことにしました。