ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

第九を聴きに行ったクリスマスの夜

きのうはクリスマス。

第九ふむふむ予習会をして、楽譜を買い、聴き比べ、歌いまくって臨んだ生の第九のコンサートの日でした。

東京芸術劇場にて。読響。

芸劇に前回来たのは、ハイバイの芝居だったかな。ずいぶん前だ。そしてここでコンサートを聴くのはたぶんはじめて。


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一緒に予習会をした友人2人と近くの席をとっていたから、聴き終わってすぐの感触を交わし合った。

一人の「こんな日が来るなんて」という発言に、「ほんまそれ!」と思った。

彼女の言っていた感じとはたぶんちょっと違うと思うのだけれど、わたしは、今年になってやっと、「アイロンがけの必要な服を着てもよいわたし」になっていると気づいたところだったので、それにさらに「クリスマスの夜に第九を生で聴きにきてよいわたし」にもなっている!と気づいて、それに対して祝福の気持ちがあった。

 

しかも予習を一緒に楽しみ、一緒に聴きにくる仲間もいるのってすてきだ!

 

今までだって、大変だと思っていた時期だって、その気になれば聴きにくることはできたのだけど、こんなに我を忘れて好奇心のままに堪能できなかっただろうと思う。まず関心のあることにはどんどん行ってみるという自分へのOKが出せて、あまり知らない世界のことにも時間を使ったり、深めていくことができている今、ということがうれしいのだと思う。

見知った世界(美術展や文楽や能)ならそこまで思わないのだけれど、わたしにはクラシック音楽は少しずつの準備が必要だった。

 

この話ができる仲間がいる、ということも。

たくさん橋を架けてもらって、少しずつ渡ってきての今。

 

はー……なんかすごいな。長い旅をしてきたような気分。

 

 

オーケストラの生の音を聴くのは、時間の集積を聴いているんだという話をまた思い出した。

曲自身の時間、これまでこの曲が演奏されてきた時間、指揮者と演奏者が携わりはじめてからの練習や数々の本番の時間、楽器の時間、楽器に使われている材質の時間、ホールができてからの時間、ホールが立つまちの時間、集う人たちのきょうここに来るまでの人生の時間......。

 

 

演奏のほうは、聴いてきたCDたちとも、わたしが歌ったときの演奏会とも違っていた。CDと生の違い、楽団の違い、指揮者の違い...ってほんとうなんだーということを確認した。

何度も聴いたり、歌ったり、予習会でパート別にバラして注目して聴いたからわかったことだと思う。

第三楽章がやさしくてふんわりしててうっとりしててきれいできらきらしてて、モーツァルトみたいだったところのティンパニは、"Ich-liebe-mirって叩けって教わった"という話を聴いていたから、納得だったし。

 

おもしろかったのは、何回も観て(聴いて)いて、次に何が起こるかよく知っているはずなのに、「一体全体どういう展開になるの?」とはじめて観たときのように、固唾を呑んで見守る感じが起こる。

 

でも逆に「次にどの音が来るかわかっている感覚」もある。何回も聴いてるから当たり前なんだけれども。

 

が、しかし実際に音が出てみて、「あれ?こんな曲だったっけ?」という感じも起こる。これは先に書いた指揮者の違い、演奏者の違い、生だからこそ、ホールによる響き方、座席位置、体調...などいろんな違いがあるからだと思う。

 

その3つが、ずっと同時に進行している感じが不思議だった。

どんな曲かは知っているけれど、どんな音が聴こえてくるか、どんな体験になるかは鳴ってみないとわからないところがライブはおもしろい。

 

 

今思い返してみればすごく独特な第九だったのかもしれない。

タメるのかな?と思えばあっさりしているし、テンポ早いな〜と感じるところもあれば、強弱の付け方が独特なところもある。

たくさん聴いてるわけじゃないから、まだ批評はできなくて、「独特」なのかはわからないけれども。

 

 

 

 

先発で読響のサントリーホールでの演奏を聴いていた友人のレポートも助けになって、指揮者のマッシモ・ザネッティの"アモーレ♡"ぶりを想像しながら聴いてみたり。

サントリーホールには、P席というのがあってステージの後ろにあるので、指揮者の振りがよく見えるらしい。一度ここで聴いてみたい。


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それにしても。

今まさに目の前で人間によって起こっている出来事を、人間が息を詰めて見守る、支える感覚が「舞台」で行うものにはあって、大変に魅了されることよ...と思うわけなのです。音楽に限らず、演劇も能もスポーツもプレゼンも。

舞台があり、本番があり、器として従事している間の、付属するものは一切関係がなくなり、ほんものになり、光を放っている人間は目が離せないのですね。演奏でも手術でも消火作業でも通訳でも。不思議だ。

 

 

予習会での解説や感想の交わし合いと、先発隊のレポートがほんとうにありがたくて、自分一人で行ったのの百万倍ぐらいすごい体験になった。

近くに橋を架けてくれる友人たちがいることに感謝!

ティンパニコントラバスにこんなに注目したことなかった。交響曲としてまるっと聴いていたのが、トライアングルもシンバルもチェロも...。

 

響き合いとかうねりとか応答とか受け渡しを目でも聴けるってすごくいい。

音楽の色の帯や粒が見えたんです、ほんとうに。

楽器ごとの方々の運動量の半端なさとかも聴けるのもいいし。

 

 

あとは、普段いかにデジタル処理された音を聞いているか、ということも感じたし。

生の楽器の音を摂取することで、活性化される細胞があるように思う。

クラシック音楽に関しては、自分にとっての楽しみ方をこんなふうに一つずつ獲得しながら、細く長く楽しんでいけたらいいなぁ。

 

 

未知の分野に詳しい人に選んで連れて行ってもらう企画は、6年ぐらい前から自分も能や文楽などでもコツコツとやっていたり、企業に提案したこともあった。そのときは通らなかったけど、今また取り組んでいるのだな。

 

音楽でこんなふうにするのもとてもいいですね。またやりたい。

 

そして

 

みんなやればいいのに!!(お決まりのフレーズ...)

 

 

うーん、楽しかった!よかった!!

 

 

 

風物詩っていいですね。一年に一度コンサートに行って、時間の重なりを感じてみるのもいい。そして「第九」なら、普段はコンサートに行かない人も、聴きに来られるような雰囲気がある。

一方で、水を打ったような静かなコンサートにも立ち会ってみたいとも思う。競技かるたの名人戦・クイーン戦のような、息を止めていてください、というような静寂も好きだ。

 

 

 

はー、なんか東京での今年が終わったって感じ。ようやく帰省の準備にかかれる。

つまり、わたしにとって年末とは2回来る感じ。東京でまず仕舞い、実家で仕舞い...。

 

実家のことを考えたら、コンサートが終わってからあっという間に家に着いてるところもすごい!あたしの今の環境すごい!

実家のほうなら、コンサートホールから家に帰るまでに電車とバスと徒歩で1時間半はかかるからなぁ。

 

つまり、わたしは今のわたしの仕事をつくるのにこの環境が必要。だから今ここに暮らしているんだなぁとあらためて思いました。

 

 

 

▼右の月刊オーケストラの特集で、オーケストラの方々が「第九」を語っている座談会がおもしろかった。あーだこーだの会だし、ふむふむの会だし、〇〇を語る会って、〇〇を寿ぐことで。やっぱり楽しいよね。

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