久しぶりに歌会に出た。
いつも「楽しいんだけど、今一歩届かない歯がゆさ」があったのが、きょうは「そうそうこの気持ちが詠みたかったのよね!」とぴったりして、すごくうれしい。
ほかで学んでいることの体系化が進んだからなのか、先生の歌の作るプロセスを説明してもらったのが、きょうはとてもスッと入った感覚があった。
その説明や、これまで教わってきたこと、自分の理解を大幅に足したものを備忘として書いておく。
- 頭の中の「五七五七七バスケット」をテーブルに置く。
- 「これを詠みたい!」と思った対象となる物や人を浮かべ、バスケットに入れる。(例:芍薬、糸電話)
- 感情が先に出る場合はそれを象徴する物をひとつ決めてみる。(例:ロッテリアのトイレ)
- 仮に助詞をつける。「〜の」「〜を」「〜に」など(例:芍薬を)
- その対象のディテールを頭の中で観察する。形状、立体感、質感、色、匂いなど。目を留めたポイントを味わう。その対象が象徴している「何か」を浮き立たせて言葉にしてみる。バスケットに入れる。(例:花びらの重なり、ピンクのグラデーション)
- 入れたものを眺めて「動き」や「考えや思いがフレーズやセリフになったもの」や「表情」を出す。言葉にしてみる。バスケットに入れる。詠もうとするときにまずこれがパッと浮かんできたらこれを最初にバスケットに入れる。(例:ひらきつづけて)
- 入れたものを味わう。さらに「印象」や「感じ取るもの」を言葉にしてバスケットに入れる。つながっていくものはどんどん入れてひとつの「景」(ビジュアルイメージ)をつくる。ここでつながらなければ入れたものは、それほど表現したいものではない、という判断をして、バスケットからぽいぽい出していく。一旦入れてもなんか違うと思えば出す。(アマゾンで買い物をするときに気になるものを一旦カートに入れてから「あとで買う」や「削除」にしたりするのに似てる)
- 五音と七音に分けていく。字余り、字足らずは最初はなしで考える。まずはなんとか型にはめる努力をする。
- 音の型にはまらないものは言い換えたり、イメージがしっくりこないものは似たものに変えたりする(金平糖→たまごボーロ)。
- 五七五七七はめてみて、さらに位置を変える。多いのは倒置。「〜があって、〜だと思った」の順よりは、「〜だと思った、なぜなら〜だから」のほうが力が入る感じ。一般的には「(上の句)景色や出来事をうたい」ー「(下の句)叙情や心をうたう」が安定はしている。
- どこの句を一番言いたいか。言いたいところが一番効果が出てしっくりくる位置を探す。
- 一番言いたい感情の形容詞をそのまま使わず(うれしい、寂しい、怖いなど)、景を描くことで引き立たせる。感情に没頭しきらず引いた視点をもつ。
- 感情や概念はスコープがでかいので、象徴する物に落として扱いやすくする。(どちらかというと象徴を含む情景から感情を浮き立たせるほうが楽)
- ひらがなかカタカナか漢字かなど表記や読んでみての音感でしっくりくるところをあれこれ探ってみる。
- 文芸は詠んだ人と受け取った人がズレるもので、答え合わせをするものではない。ただ、言葉の選び方には工夫があって、言葉の範囲が狭いほどわかる人にはわかるおもしろさが出るが、わからない人はおいてけぼりになる、言葉の範囲が広くなるほど誤解はなくなるがつまらなくなる。誰にどんなふうにわかってもらいたいか。
- イメージと妄想を頭の中で制限なく爆発させる
- インスピレーションを得るために歩き回ったりするのもいい
書いてみると、もはや先生の説明の原状を留めていない気もする...。
五七五七七の世界。競技かるたの対戦で百人一首の札を激しく払っていることと、思いを短歌に託して詠むことが同一線上でつながるうれしい時間、空間だ。
自分でも詠んでみると、女房がからかわれて、その場で一首詠んで切り返したという「よをこめて」や「はるのよの」なんてほんとうだったんだろうか?だとしたらすごすぎる!なんてことがわかる。そうするとまた札への愛着も強まる。
百人一首や競技かるたをハブに関心と関心が次々につながっていて、わかったこと、好きなことが増えた。
さらに上達も加わって、今はただもう楽しい。
なんの役に立つとかは知らん、ただの興味本位で突き進む。
そういうところがなにより気に入っている。