よもや自分が鉄道の写真を見て涙する日が来るとは思わなかった。
鉄道好きな息子さんのいる友人に勧められて、図書館で借りてみた写真集。
わたしも息子が小さな頃には、電車の写真が載った子ども向けの本などを買って多少は眺めてはいた。(息子はあまり何かに「ハマる」ということがない人で、電車も自動車も一応は通るが、大きくなるにつれて関心を示さなくなっていった。)
当時見ていた電車の写真は、言ってみれば、どれも間違いない構図で間違いない角度やシチュエーションで撮られた、なんの電車なのか認識するための、図鑑的なものだったと思う。
しかしこの写真集は違う。
電車そのものだけではなく、鉄道のある生態系を写している。
鉄道事業に携わる人々、乗客と鉄道との関係、鉄道のある風景、人の暮らしや生の営みに寄り添う鉄道の姿が見えてくる。
人が生み出し、生きるために必要とし、技術の粋が投入され続けてきた鉄道。
常に国家の威信をかける事業でもあった鉄道。
人の飽くなき欲望や切なる願いに応え続けてきた鉄道。
様々な気候の、様々な土地で、働く鉄道。
そこに自然と人工の対立という構図はない。
対立を超えて、何が自然で何が人工なのかもわからない、溶け合ってしまうような世界がある。
鉄道とは何かを再発見し、わたしたちはどのような社会を作ってきて、これからどんな社会を作っていくのかを、鉄道写真を通して問いかけるような作品になっている。
圧倒的点数の写真にも関わらず、一つひとつ丁寧に添えられたキャプションにも、あたたかな眼差しを感じる。
ただただ美しくて、涙が出る。
これは写真家の仕事だ。
おかしいな...わたしはそこまで鉄道ファンでもないはずなのだけれど。
いや、でも、ずっとずっと鉄道は当たり前のようにそこにいてくれたのだった。
わたしの人生に寄り添ってくれていたのだった。
街並みや建築物もそうだけれど、「それがいつも当たり前のようにある風景」というのは、望むと望まぬとにかかわらず、人生のかけがえのない一部になってしまうのだ。
それが失われたときに、あるいはそれだけを取り出して見たときに、思い出させてもらえる。
ここまで書いて見返しを見てみたら、
「鉄道写真は、機能としての"車両写真"のみならず、生きている人々や自然と、鉄道がいかにかかわっているかを撮らなければならない」が信条。
とある。やはり。
2002年初版。今では引退した車両も路線もあることだろう。
貴重な記録写真でもある。
「どうせ子に付き合って鉄道写真を見なければいけないのなら、自分も関心を持てるような美しい写真を見たかった」と友人が説明してくれたことが、とてもよく理解できる。
「鉄道好きのお子さんのいる方で、どうしても自分自身は関心が持てなくて辛いという人がいたら、これを」とのこと。
お心当たりの方は、ぜひ試されたい。