国立新美術館で開催中の
ウィーン・モダン〜クリムト、シーレ 世紀末への道
を観てきました。
両方観た友人に、「どちらを先に見るべき?」と聞いてみたら、「ウィーン・モダン展を先に行って"あの時代"を抑えた上で、その文脈にのってクリムト展を見るとよいのでは」とのこと。
「ウィーン・モダンのほうは、美術品が多いのは後半なので、前半はだいたいの流れを頭に入れられる程度に見る感じがいいと思う」ともアドバイスあり。ありがたや。
クリムト展をより充実して見たいというのと、あとはこの一人芝居をどうしても見たかったというのがあります。
これを見るには展覧会を見ておいたほうが絶対にいいだろうと思い、スキマ時間に行ってきました。
時間がなくてほとんど予習ができなかったけれども、毎日小学生新聞でたまたまやっていた、びじゅちゅーんの井上さんのクリムト解説がおもしろかった。クリムトとモデルの関係のところは特にウィーン・モダン展を理解するのにも役立ちました。
井上さん、ありがとう!
展示のほうは、あまり詳しいメモも取れなかったのだけど、ほんとうにアドバイス通りだった!
前半の経緯と背景があっての、後半の具体的な芸術群なんだけれど、後半にたどり着くまでがけっこう長い。じっくり見たらそれはそれでおもしろいと思うのだけれど、時間がなかったので、やや駆け足気味で観て、クリムトへ突入。
19世紀後半から20世紀前半の30年ほどの短い間に、こんなキレッキレの時代があったなんて!というのがまず感想。
好きー好きだわーー!!
この感じを引っさげてクリムト展を観に行くのが楽しみ。
美術のなんとか主義やなんとか派とは何か、それぞれへの流れや関係を見たい時に、この本を教科書にしているのですが、同時期に起こっていたのは、象徴主義。ベル・エポック、デカダンス、ラファエル前派、アール・ヌーヴォー。
画家でいうと、
イギリスはロセッティ、バーン=ジョーンズ、
フランスはモロー、シャヴァンヌ、ルドン、
ベルギーはアンソール、クノップフ、
スイスはホドラー、
など紹介されているのですが、オーストリアのこの時期の美術は載っていなかったのですよね。ウィーン分離派も。
わたしもクリムト、シーレは知っていたけれど、なんとなく独立した存在になっていて、この時代の、この国のひとつのムーヴメントとしては捉えていなかったところがあり、今回の展覧会で光を当てたところが秀逸でした。
そしてちょうど今東京ではラファエル前派展とモロー展を開催中で、去年はルドン展とムンク展もあって。たまたまなんでしょうか、いつも展覧会同士が響き合っているような感じがするのは。
クリムトやシーレはもちろん本物で見られてよかったけれど、収穫はそれだけではなく、それまで音楽の都、とだけ冠されていたウィーンで、こんなモダンでスタイリッシュな建築、家具、食器、ファッションが存在していたとは、驚きでした。
↑ のA5ファイルにもあったポスターなんかも、めっちゃカッコいい。
好きすぎて、ウィーン世紀末美術の多くの作品を収録してある画集が売っていて、1万〜2万ぐらいするのだけど、一瞬衝動買いしそうになりました。。
ちょうど今開催中で、先日わたしも行ってきてブログにも書いた「トルコ至宝展」もそうだったし、「有名だけど知っているようで知らない」、有名な単語や画家のその背景から観ることができるように、新しいテーマを据えて光を当ててわかりやすいように見えてくれている展覧会がこの国立新美術館では続いていて、とても楽しい。
カルティエ展も、楽しみです。普段ジュエリーって特に興味ないけれど、新しいアプローチをしてくれるんじゃないだろうか。
そして出直して翌日はこちら。
展覧会の半券だけでこれが観られるなんてありがたすぎる。
直前にドイツの旅の話を聴いて、ガランチャを生で聴いた話を聴いて、ドイツ行きたいーーと思ってたところの、このオーストリアの女優さんMaxi Blahaの美しいドイツ語を1時間浴び続けるという至福。
その身体と存在がそもそも芸術である上に、このエミーリエ・フレーゲの解釈。
現代に蘇ったエミーリエならこういうふうに語るかもしれない、「わたし」とクリムトとの間にあった出来事、関係性を独白する。
怒り、悲しみ、憤り、歓び、挫折、葛藤、妬み、怖れ、誇り......。
一瞬たりとも目が話せなかった。これは無理して行ってほんとうによかった。
このすばらしさをトレイラー越しに想像してみてほしい。。
クリムト展も、ラファエル展もとっても楽しみです。
友だちが言っていたとおり、今年はほんとうに展覧会の当たり年。
ソフィ・カルとジョゼフ・コーネルだけでもう十分!なんて書いたけど、やっぱり見たいのがたくさんあって、身一つでは足りない。
知れば知るほど理解が深まり、学びが深まる。
またその学びを共有できる友だちがいることも、宝。