ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

語るための映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』

2019年5月に公開されて以来話題。今も上映館が増え続ける『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を観てきました。

 

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わたしにとっては、図書館(いちおう図書館司書資格保有者)、場をつくる・活かす、教育、知、映画を鑑賞する...など重要な面・キーワード・テーマをもった映画なので、すぐにでも行きたいところでしたが、重要なだけに自分の中で整う「準備」が必要でした。

ようやく調ったので行くことに。

 

そしてFacebookでこんな呼びかけをしました。

ようやく16(金)午後に恵比寿に観に行くことにしました。
どなたか終わってから60分がっつり話しませんか?
わたしはいくつか記事やインタビューやら読んで予習して行きます。
観ながらメモを取ります。
...というぐらいの熱量で前のめりに一緒に語ってくださる方だとうれしい。
少なくとも60分間はこの映画の感想しか話しません。

*主催イベントとかじゃないんで、好き勝手しゃべりまくります*

 ちょっとハードル高めの呼びかけでしたが、一人友人が食いついてくれて、終わってから語ることになりました。ありがたい。

 

観終わってやはり思ったけれど、これは語ることがセットでないと意味がない。
意味がないというとずいぶん強い言い方かな。。何を観たくて行くのかはその人によるから。

 

いや、でも、あえて言葉選ばず言っちゃうけど、これは語るための映画だ。

ただ観てるだけでは何も起こらない。ただ長いだけ。(3時間26分)

 

予告みたいにナレーションもついていないし、字幕でも説明がない。
前提は知らされずいろんな現場にどんどん放り込まれて、起こっていること、目撃していることを、つなぎあわせて、自分なりに解釈していくしかない。

わたしにとってはお能より高度な、なかなか他にない体験で、疲れたけど、それがまずおもしろかった。

 

(長尺については、METライブビューイングでいつも3時間、4時間のオペラを観ていて慣れているので、それほど苦には感じなかった。恵比寿ガーデンシネマの快適設備のおかげもある)

 

 

ありがたいことに、予習できるものはたくさんある。

番役に立ったのはこちら。

▼公開記念パネルディスカッション・ニューヨーク公共図書館と<図書館の未来>

moviola.jp

動画と抄録を合わせるとけっこうなボリュームで、じっくり見ていたのもあって2時間ぐらいかかった。でも、これのおかげでだいたいの前提がインプットされ、自分がこの映画に何を観たいのか、軸を持った状態で行けた。

目の前で起こっていることに集中でき、たくさん受け取ることができた。

 

 

わたしはこれを「予習」と呼んでいる。

映画を観て何かを自分なりの何かを受け取ったり見出したりすることが好きな人、
人の解釈を聞いても自分はたぶんまた別のものを観るだろうと切り分けられるぐらいに鑑賞の力が発達している人は、予習をしたほうがいい。

そしてもちろん復習(語る、ふりかえり)も。観てからこの記事を読むとなかなかすごい。「あ!わたしもそれ思ったー!」というところもある。

 

 

 

予習メモ。

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観ながらもメモをたくさんとった。こうしておくと後で話すときに印象に残ったところが思い出せる。観ると書くを両立するのは向き不向きがあると思うけれど、一度やってみるとおもしろい体験かも。

 

 

考えたこと、話したこと、まとまらない感想をいつものように五月雨式にメモ。

・10分休憩を挟んで3時間半、英語の会話を聞き続けていたので、自分が英語のグルーヴにのっていて、今ならべらべらしゃべれるんじゃないかという錯覚に陥った。

・ニューヨークに行って秋冬を過ごしている気分になる。実際にこの年末年始、ニューヨークに行って図書館を見学に行ってみたい。ビジターとして利用してみたい。(ついでにMETオペラも観たい)

・実にさまざまな種類の場を観ることができた。そこでわたしが観ていたのはやはり、場のしつらえ方や進め方、話し方。

・パブリックスピーチの文化の国なんだなとつくづく思う。タメがあり、盛り上がりがあり、押韻がある。リズム。詩。聞かせるねぇって感じ。

・会議にしてもレクチャーにしても、根底にあるのはスピーチ。会議では、議論も合意形成もしていない。スピーチという表現のし合いの中から決まることが決まっている(たぶん)。このスピーチを読み取るスキルというのが必要そう。

・レクチャーはスピーチを鑑賞している。そういうパフォーマンス。話すの苦手だからこういう文化ではわたし辛そう。。

・ホワイトボードのようなツール、つまり可視化して共有する道具も使わないから、ひたすらじっとスピーチを見聞きして、そこに流れている感情のエネルギーを汲み取るみたいなことになる。ファシリテーターもいない。意外だった。

・エモーショナルなほうが入ってくる、というのは、METライブビューイングをきっかけに感じていること。

・幹部会議が円卓で行われているのはよかった。

・どんなにしゃべりたくてうずうずしていても、必ず一人のスピーチが終わるのを待ってから次の人が挙手などして、スピーチを始める。途中から割り込んだり被せたりしない。話し方のルールがある。

・市民とのディスカッションの場では、図書館職員は「どっちでもない」ような曖昧で無責任な立場は取らない。マグロウヒル社の教科書の記述の件について、はっきりと「これはおかしい。間違っている。だから事実を伝えるために図書館がこういう資料を提供していて、そこに重要な役割がある」と述べる。

・「書庫から教育施設へ」。日本の図書館もこれをずっと目指してきている。この映画は、アメリカはよくて日本は遅れている、という話では全然ない。丁寧に作られた作品を観ることでこちら側が照らされる。何が照らされたのかを観て語る。現状を把握し、願いを分かち合い、具体的に行動に移していく。できることをはじめる。だから語る場が必要。よくてレクチャーがあるけど、それを聞いているだけではやはり個人の内面に止まるだけで、動かない。惜しい。語る場を。

・サッカーのFCバルセロナが«Más que un club»(クラブ以上の存在)と言っているけど、NYPLもそんな感じ。

・「寄付というのはわたしたちの企画に対する反応だから」

・「いずれ寄付者が企画を立てられるようにしていくことが、持続可能性」

・存在の目的が明確で共有されている。「誰のための、何のための」を事あるごとに、様々な人の口から繰り返し語られること。

・「民間から寄付が増えれば、必要性が無視できなくなって、市からの資金提供も増える」という発想に打ちのめされた。多分日本だったら、民間からの寄付があるんだから、公からは出さなくていいよね、となって削られそうではないか。

・個人として、ということと、その組織の一員として、ということが乖離していない。日本ならもっと「組織を代表しているので下手なこと言えないのでとりあえずあまり多くは語らない」というふうに動きそうなところを、「わたしはこの組織の一員で、わたしはこう考えてやってるわ」となる。言いたいことを言えていて見ていて気持ちがいい。

・やっぱりやるなら楽しくなくっちゃね!という自分の欲に正直。

・数学教室をひらいているある分館で、数学の貸し出しが伸びているという成果。指導方法が変わって混乱している親たちが数学の本を求めて図書館にきている。それに応えて蔵書を充実させたいというスタッフ。「助けを求める親たちを図書館は裏切れない」に涙が出た。使命感があり、応える力があることを信じている。あんなふうに働けたら幸せだ。「目的を忘れず一緒に実現していきましょう」と本館のリーダー。

・そもそもがこの組織は何を志向しているのか(目的は何か、大切なことは何か)ということの共有度が高い。それは例のスピーチによって、どういうレベルや単位の場でも繰り返し言われているからなんだと思う。上のほうで決まっているからよくわからないということもたくさんあるだろうが、何を目指しているかがぶれていないし、自分もそこに参加していることが求められている実感をもって働いているように見える。

・ずっと「政治の話」から離れていない。Political messageを持っていることは個人としても、館としても非常に大事なこと。

・冒頭の電話でのレファレンスのシーンからもう鷲掴み。たまらない。図書館はやっぱりレファレンスだよ。そこにこそ人間がいる意味があるし、その専門性はやはり重用されるべき。でも電話でもあんな丁寧なレファレンスしてくれるのはすごい。

・ピクチャーコレクション、見てみたい。「ジョゼフ・コーネルの箱シリーズの写真素材はほとんどここ」...そうそう!!そうだった!!!

・「どう活用すれば着想を得られるのか」それを教えてくれるのも司書。in order to meet your own inspiration, your own research

・編み物をしながら講演を聞いている人がいて、自由。というか、一人ひとり全然違う。肌の色も、顔立ちも、背格好も、ファッションも。民族的アイデンティティは一人ひとり持っているのだろうけれど、全然違うことが前提の環境。

・「孤立する人がいない、取り残される人がいないように」というフレーズが会議でなんども出てくる。主にデジタルやインターネットの環境について。そういえば図書館という場所は、一番だれでもいてもいい場所。そこで本を読んでいなくてもいてもいい。情報や知にアクセスすることは誰にでも保証されている。知りたいことを知ることができる。これは守り通さねばね。。

・とはいえ、図書館は社会福祉が役割ではないから、そういう困難に際している人、、映画の中では障害者の住宅問題などが挙がっていたが、それを担当する機関をセットで伝えるところも重要と思った。だから安心して一つの機関が専門性を発揮できるのか。

・ガルシア=マルケスの「コレラの時代の愛」の読書会のシーン。口の字になって一人ひとり感想を言っていく。これまたスピーチ的。その前の人の感想の一部にメンションして感想をいう人もいる。日本でやっている読書会と変わらない、、というか、こちらから日本に持ち込まれてきた、という感じか。

・調べ物にせよ、講演会にせよ、どういう人が、どういう動機できているのか、ただ映っているだけで、話しかける(インタビューする)わけでもないし、「その人が話すターン」のような場が映画の中に全然出てこないので、まったくわからない。知りたい。

・移民、奴隷制、黒人...についての会議やレクチャーやイベントが繰り返し出てくる。アメリカという国はそうやって自分たちの来し方がどのようであるか、どういう人々で成り立っている国なのかを繰り返し繰り返し、様々な側面から聞いたり、ふれる機会を持っている。それは自分たちをidentifyするためと、coexistの切実さがあるからなんだろうな。

・パーティとかやるの、すごくいい。きれいだし、それ用に誂えた場が用意されると気分も上がる。そしてスピーチでバシッと成果を報告し盛大にお祝いし、意義を示してくれて、大いに感謝される。わーお金出したいなって思うだろう。わたしもこれに貢献してるんだー!って気分になる。

・ああいう中で、「我々は必要な面倒事をすべき。継続しましょう。彼らが必要な面倒事ができるように」とか言われちゃうと、日々は大変でも、「しゃーないな、やるか!」って気になる。

・ホームレス利用者についての会議はもうちょっと聞いていたかった。どうやって全ての人を共存させるか。単なるひらかれた場からどう踏み込むか。

・会議で話されているのは常に予算、資金の話。資金集めに専門家がいる。仕事が細分化されていて、その人がヘッドハントされてくる。専門性、専門家、職能はすごく大事。一人の人がgeneralにいろんなことができるようになっていくようにするというような観点は見当たらない。

・税金60%、寄付40%で常に拮抗している安定しない状態が、よい経営を促しているように見える。市の動向をよく見て、そこと現場に接していて拾ってくる課題から実現したい図書館のサービスの拡充や願いを一致させられないか、虎視眈々と狙う。ストレスフルだけれども、ニーズがないところに投下するなどのズレがないし、実際に成果も出る。

・効果測定も専門家がいてやっている感じ。どういう指標をとるのか、どう評価するのか、どういう数字をピックアップして何を読み取るのか。

・館内の資金調達会のような成果報告会の中でもやはり、どんな成果が出たのかを示し、お祝いし、労い、讃え、感謝する。個々人の働きや手元の仕事が全体の中でどのような役割を担っているのかを示し続けている。その間はまたスピーチだけなんだけど、そういう場をつくることが働いている人にとっても、運営している人にとっても大切なのだと感じる。

・全体を通して「誇り」という言葉が浮かぶ。「世界の創造性とひらめきが当館の活動から生まれた」。あのように、「わたしの働いている図書館はこのように価値があり、地域に対してこのような貢献をしている、わたしたちは地域の課題に対して図書館としてできることがある」ということへの揺るぎない信頼。それをまた言葉にして分かち合う。儀礼的でなく感情と共に。

・図書館という題材を通して、ニューヨークというまちやアメリカという国の一側面を知り、また自分の暮らす東京のまちや、日本について、歴史について、自分自身が歩んできた人生について考えることができる映画。

・「物の作り方が人を定義する」プリーモ・レーヴィ

・日本でも今とても動いていると思うのは、声を上げやすくなったこと、人を気にせず表現しやすくなってきたこと。そして、意見の違いがあったときに、それとどうやっていくかという、市民としての成熟へのステップにある。その一つのわかりやすいものがSNS。今までなら見えなかった、違いが際立たないように調整していたところを、見てしまう。でも「嫌いなところもあるわたしの好きな友だち」。同じではないから線引きをしてもいいし、見ないようにミュートすることもできる。少し前なら罪悪感や嫉妬心を伴って傷ついていたことを、違って当たり前にしていっている。過程は痛みがあるかもしれないけれど、ここをやっていこう、とあらためて思う。

 

  

まだまだ、まだまだ語ったのだけれど、ともかく60分一本勝負で、ハンバーガーを食べながらしゃべりまくって大満足で帰宅した。

 

観た人には、とにかく語れ!表せ!と煽りたい。

映画の中でみんなそうしてたように!

 

 

 


▼NYPLの公式サイトとインスタグラム。

映画で切り取られていたのはごくごく一部、ある側面だったということと、
日々更新されている「現場」であることを感じる。

https://www.nypl.org/

ロケーションマップ(市内を網羅している分館)
https://www.nypl.org/locations/map

www.instagram.com

 

 

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今後のイベント

▼2019年9月7日(土)
 『バグダッド・カフェ』でゆるっと話そう

▼2019年9月28日(土) あのころの《いじめ》と《わたし》に会いに行く読書会 満席
https://coubic.com/uminoie/979560

▼2019年10月1日(火) 爽やかな集中感 競技かるた体験会
https://coubic.com/uminoie/174356

 

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