別の調べもののために図書館に行ったときに、こんな本を見つけました。
著者は、大阪教育大学で教鞭をとっておられる、臼井智美さん。
学校経営学、外国人児童生徒教育、教師教育学を専門にされてきた方とのこと。
今年、日本語の指導が必要なのに支援を受けられていない外国籍の児童の数が1万人以上もいるというニュースに衝撃を受けました。(https://mainichi.jp/articles/20190504/k00/00m/040/098000c 途中から有料記事)
わたし自身は、この件に関して強い当事者性はないのですが(たとえば日本国籍でないとか、教師であるとか、身内にいるとか)、ただ、これから外国人労働者を受け入れようという国の舵取りがある中で、この社会の受け入れ態勢の脆弱さを見聞きする機会はたびたびあります。
学校や人間関係の中で孤立することによって、殺人事件にまで発展した経験をこの社会は持っているから、切実かつ喫緊の課題であることはいつもわたしの念頭にあります。
わたしの当事者性としては、こちらの記事でも書いたようなことが当たります。
わたしの仕事は、誰がどのような背景や要素を持っていても、安心安全健やかな場をつくることが使命です。
また鑑賞の対象・表現作品が持つテーマは様々です。読み間違いをなるべく減ずるためにも、幅広い知識の収集活動が必須です。
人間に起こりうること、人生で遭遇する可能性があること、世界や社会で起きている問題、特にマイノリティ性については感度高く、常に広く多様に知ろうと努めています。
そんな動機もあって、この本が目に留まりました。
「はじめに」の書き出し
日本語でのコミュニケーションが難しい外国人児童生徒は、どのくらい在籍していると思いますか?実は、現在では全国の公立小・中学校の約25%の学校に在籍しています。もちろん、学校によって在籍数も違いますし、地域によって国籍や言語の多様性も異なりますが、それにしても予想以上に多く在籍していると思ったのではないでしょうか。
いやほんとうに「予想以上に」でした。自分の子の学校のことしかわからないので、その感覚でいうと、さすがに25%まではいかないかな...という印象です。自分の子とその周辺の印象、というバイアスがかかりやすいのは、気をつけなければならないことです。
実際の現場の受け入れ体制がどのようになっているのか、知る術もないと思っていたのですが、こんなにもしっかりとまとまっていて、わかりやすい本があるということに希望を感じました。
もちろん現場で実際に何が行われているのか、今のわたしには見えていませんし、実行できていないからこそ1万人以上もの児童が無支援の状態になっているわけですが、「どうすればいいかはもう十分にわかっていて、まとまっていて言語化されて、共有されている(できる状態にある)」ということがまずわかったことが収穫でした。
それも「配慮しましょう」というぼんやりした濁すような言い回しではなく「誰がいつ何をすればいいか」「それがうまくいかないときは次に何をするのか」が明確に記されているところ。まさにタイトル通りマニュアルです。
「学級担任のための 」というタイトルで、受け入れ体制の準備、保護者との信頼関係のつくり方、学級づくり、授業づくり、進路指導の進め方が細かく解説してくれていますが、学級担任が一人で抱え込むのではなく、学校の内外で複数の専門職と連携しながら、この地域社会に受け入れ体制を作っていこうということも書かれています。
(そのスタッフが足りないということが現状の課題なのでしょうか?自治体の予算?両方?)
「ああ、そうか〜」「そういうの必要だよな〜」という思いで読んだところがいくつもあります。たとえば、
・「母語・母文化指導は、外国人児童生徒が、日本語や日本文化の中で生活するうちに忘れてしまいがちな母語や母国の文化を忘れないようにするため...(略)学校の外で行われることが多いです。外国人児童生徒にとっては、母語や母文化を共有する友達と出会える貴重な機会にもなっています」「母語・母文化に誇りをもち愛着を感じられるように」
・保護者への連絡文書も翻訳する。8言語分用意しているところも。(そうか、、英語があればいいというものでもないのか、、)
・文化や宗教上の留意点の聞き取り。「ときには文化的相違による誤解やトラブルが生じたりします。異文化を理由とするいじめなどの誘発をぼうしするためにも(略)例えば宗教上の理由から食べられない食材がある、校則に抵触しそうな服装やアクセサリーの着用を希望する、頭をなでたり肩をたたいたりといった身体的接触に対して日本とは異なる解釈をする、などです」
・「日本では、昼食は教室などで同級生と一緒にとることを説明します。給食であれ、お弁当であれ、このような習慣のある国は少ないので、外国人保護者にはまったくわからないと考えたほうがよいでしょう。そのため、給食の場合は教育活動の一環で行なっており、バランスよく栄養を摂取することや友達と食事を楽しむことなど、給食の目的を説明します」
・「学校と家庭との役割分担の線引きを明確にしている国は少なくありません。そのような国で育った保護者からすると、家庭訪問や個人面談の意義や重要性がピンとこないばかりか、むしろいちいち家庭に相談してくる学校に不信感さえ抱きかねないのです」
・「出身国だからといって、必ずしも国の文化に詳しいわけではありません。にもかかわらず、外国人だからという理由で、詳しい説明ができるという期待を向けられる。このことは非常に大きなプレッシャーとなります」
・「学級の中での異文化理解とは、目の前にいる外国人の同級生が『なぜ、自分たちと違うところがあるのか』、そしてそれを『先生がなぜ注意しないのか』その理由を知り納得するところから始まります」
......などなど。
この本のどこを読んでも、なるほどーーーーーと嘆息することばかりです。
こうして一つひとつ洗い出していくと、もはや空気のように水のように存在している「わたしたちの文化」というものの輪郭がはっきりとしてきます。
それはおもしろいなぁとまず思いました。そして息苦しさの理由を示唆されているようでもあるなとも。日本の特殊さ、その地域の特殊さに気づかされることが、現場ではさらにたくさんありそうです。
「丁寧に説明する」というフレーズが何度も出てくるけれど、そこがほんとうに難しいところなのだろうなと思わされます。
支援と対話によって、異文化を理解する寛容性を育んでいけますように。
子どもにとっても大人にとっても。
学校の先生にはもちろんすぐに役立つ本ですが、そうでない方にもぜひ。
報道で外国籍の児童のことを見聞きしたときに理解がしやすくなりますし、心を痛めモヤモヤするだけではなく、「何が問題なのか」「何ができるか」を考えるとっかかりになるので、おすすめです。
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対話にふさわしい対象(作品や資料や場所)を見つけることも、その対象と鑑賞者との間に橋をかけることも、鑑賞対話ファシリテーターの職能です。どうぞご活用ください。