ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

中島敦展@神奈川近代文学館〜今ひとたびの山月記

11月下旬、神奈川近代文学館中島敦展を見に行ってきた。
少し前に樋口一葉記念館に行った時にチラシを見て知って(チラシありがたい!)、むりやり予定を調整して、どうにか会期終了の2日前にすべりこんだ。

www.kanabun.or.jp

 

ほんとうに、とてもよい展覧会だった。間違いなく心のベストテン展覧会に入る。

自分の胸の内にあるだけでも十分なのだけれど、残念ながらわたしは忘れっぽい。

このままだと何もなかったように流れていきそうなので、バラバラしたものでもなんとか書き留めておこうと思う。

 

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印象にのこったあれこれ。

編集委員池澤夏樹というのもまた貴重な展覧会。展示の端々から愛と共感、尊敬が伝わってくる。ここの文学館はいつもこうなのかしら。それとも中島敦だからなのかしら。

・知識人の家系に生まれ、親戚も学者や識者。父はいかにもこの時代の家長。

・実母に早く離別し、継母と折り合いの悪い生い立ち。父方の伯父・叔父たちと親交があり、人生に多くの影響を受ける。どなたもアクが強そう。しかし、やはりおじ・おば、いわば斜めの関係というのは良いのだな。一親等の家族がキツいときに助けになる。

・直筆の原稿は、漢字が大きくひらがなが小さい。とめはねはらいのきっちりとした、緩急のある筆跡。

・卒論は耽美派作家の研究。古典ではなく同時代を選んでいたことが意外。

・横浜と中島敦の関係は、横浜高等女学校の教員の職を得たことから。1933年(24歳)〜1941年(32歳)の8年間を過ごす。途中10ヵ月パラオへ。学校では国語と英語を担当し、クラス担任、部活動の顧問、遠足や修学旅行の引率も。ほんとうに普通の先生の仕事。女生徒からの人気ぶりもうかがえる。

・同い年のタカと出会い、結婚するまでに交わした熱烈なラブレター。

・仕事で南方へ行ってからの苦悩。現地の子どもに日本語教育を施すための教科書づくりや実際の授業、ひいていは日本政府の施策への強烈な違和感。

・庭で話を育てたり、音楽会に出かけたり、スケッチをしたり。ささやかな楽しみや感性にふれることを日常に取り入れていた。調度品や持ち物にも「らしさ」が光る。

・友だちに恵まれていて、パラオで知り合った美術家で民俗学者土方久功との親交は、心辛い中でも支えになっていた。

・2人の息子をとてもかわいがっていた。写真や、買ってやった本や、南方へ行ってから頻繁に送っていた絵葉書。それも一人ひとりに当てて。子どもや妻と会えない時間や距離を埋めるようにたくさんの手紙を交わしていた。

・「吃公子(韓非子)」の構想メモや自筆の地図。これは読んでみたかったな...。

・絶筆となる「タコの木の下で」に綴られた言葉が胸に迫る。読んでいると何かずっしりと重大なものを託されたような思いがする。

・館内で配布されたいた「K先生の謎解き山月記講義」というパンフレットがおもしろかった。北海道の高校で国語を教えているK先生(田口耕平さん)の文章とイラストによる紙上講義。定説ではない、K先生の独自の解釈だけれど、なるほどこんなふうに読み解いてみると、何重にも物語世界が味わえる。
「袁傪は李徴の詩を読んだことがあるか?」なんて考えたこともなかったけど、確かにあの二人の関係はもっと知りたくなるところがある。(見つけたので>田口先生へのインタビュー、13年前のベネッセの記事。

 

 

 

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わたしと中島敦との出会いは、多くの人がそうであるように、やはり高校時代だった。国語の教科書に「山月記」が掲載されていたことから。
山月記」の書き出しの美しさは、出会って25年経った今も鮮烈だ。

気づくと中島敦の生きた歳をだいぶ越していた。

 

今よりずっと若い頃には、作家の生涯よりも作品のほうをよく観るのが良いことだとなぜか思っていたし、作品と作家を切り離して考えなくてはと頑張ってもいた。

それが、歳を重ねてきて、何度も人生の節目を迎え、人生を振り返る機会を得るようになって変わってきた。
作家の人生を知ることで、作品からもっと多くのことを受け取れるようになった。

わたしにとっての中島敦は、優秀で、神経質で、繊細で、病弱で、陰鬱で薄幸な人だった。恥かしながら、山月記の李徴のイメージのまま。

けれど、この展示を旅してみて相当にイメージが変わった。

おおらかで視野が広く、好奇心旺盛、情熱的、研究熱心で、美的感覚に鋭く、愛情に溢れている。苦悩だけではなく、たくさんの幸せを瞬間を持ち、生き抜いた33年間だったのだ。

そうか、このような人だったのだ。
知ることで一気に血が通う。

こんなふうに〈作品と出会い→人生の一部になり→ふとしたきっかけで作家を知り→再び作品を味わう〉となることが最近増えたように思う。

新しいものを多読するより、再読や再見が楽しいこの頃。

旅。

人生のご褒美。

 

展覧会に行けなかった方にもおすすめしたいのがこの二冊。どちらも通販可。

展覧会図録「中島敦展 魅せられた旅人の短い生涯」
中島敦についてここまで網羅された愛あふれる資料もないかも。

https://www.kanabun.or.jp/webshop/10513/

 

中島敦の絵葉書ーー南洋から愛息へ
息子へあてて書いた絵葉書を両面オールカラーで掲載されている。解説も詳しい。これはほんとうに貴重な資料。本にしてくださってありがとうございます。

https://www.kanabun.or.jp/webshop/10693/

 

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鑑賞対話の仕事をしていて「なぜ"実物"を見る必要があるのか」「実物とは何か」ということを考えている。

今回またつくづく思ったが、実物の放つ存在感はすごい。
それをこれほど丁寧に構成し受け取りやすくしてくれる人(学芸員さん)がいる。監修者がいる。

あれこれ判断を入れる前に、実在を確認する。
展覧会は実存を信じるのに必要な装置なのではないか。

そのためには保存して、記録して、研究しておく。

 

人間はすぐ忘れてしまうし、必要なタイミングが人それぞれあるし、何度も必要になるから、何回でもそれをやる。

その時代の精一杯で編集をかけ、何度も編み直して、提示し直す。
一度だけでは偏っているし、間違うこともあるし、限界もある。
検証し、解釈し直し、新しく知り直す。それを鑑賞者と共に試みる。

 

一旦、そういうことではないかと解釈してみた。

 

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以前からこの文学館は友人からおすすめされていたのだけれど、なかなかピンとくる企画展がないまま、何年も過ぎていた。

ようやく「行ったよ!」と報告できたのもうれしい。

 

大雨の降る寒い日だったが、ほんとうに行けてよかった。

茶店のホットサンドイッチも美味しかった。

 

 

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