横山大観記念館に行ってきた。
美術館に足を運んでいると、なにかと登場してくる日本画の重鎮、大ボス的存在だが、どのような経歴を持ち、どのような画業の変遷があったのか、あまりよく知らない。
2018年に生誕150周年記念の大回顧展があったのだが、見逃してしまった。
今あったらぜったい行ってるのに!!!
公式HP:横山大観記念館(国指定 史跡及び名勝 横山大観旧宅及び庭園)
http://taikan.tokyo/index.html
台東文化探訪 "台東区ゆかりの巨匠たち 横浜大観"
https://taito-culture.jp/topics/famous_persons/taikan/japanese/page_01.html
建物の前はよく通りかかってはいたのだけれど、開館日時が一般的な博物館に比べて限定的なのでなかなか合わず、そのうちに改修工事に入ったりして、アプローチできなかった。
ようやくツワブキの花の咲く頃に訪ねることができた。
この記念館の特徴
・自治体ではなく、横山隆氏(大観の孫)をはじめとした大観画伯の遺族により設立された財団により運営されている。
「私の死後この地を個人財産としてでなく、公的な財産として日本美術界のために役立ててほしい」という大観の強い意志に基づいて、大切に受け継がれてきた建物と作品たち。
予算の関係で、大規模の改修を次々にはできないが、元の館の姿をこれほど残しながらも、大観について来館者にできるだけわかりやすく、伝わるような展示にするために、試行錯誤してこられたとの話をガイドさんに聞いた。
平成29年にようやく史蹟認定。大観ほどのビッグネームでも、この国で文化財の保全はなかなか難しい問題がある。
・大観がこだわって設計した建物、手を入れた庭、日々の作業が行われた部屋。そこにガラスケースなしで展示された選りすぐりの作品。大観の美意識と画業、そして暮らしぶりを、空間からまるごと体感できる空間になっている。
こちらの記事にも描いたが、個人美術館ならではの味わいがたっぷりとある。
・私設であること、展示形式等の理由で、開館日時が非常に限られている。
ホームページからカレンダーを確認して、「ここにこの日に行くぞ!」と決めて予定を組んで臨むような場所。そしてその価値があるところ!
・開館日には1日3回、ボランティアガイドさんが、館内について丁寧にレクチャーしてくれる。それ以外にも疑問があったときには、答えてもらえる。このガイドさんにまた愛があって、「大観さん」と気軽に呼んでらっしゃるのがいい。やっぱり個人美術館はいい。
印象に残ったことあれこれ。
・数寄屋造の木造2階建て。隣は高層マンション。毎日この景色がみられるのは羨ましい。
・館に入るとすぐに飾ってあるポートレイト。42歳、178cm。カッコいい。。
・大観邸に使われている材木はすべて面取りされている。柱、梁、天井、障子、襖、下足入れ、照明器具、とにかく徹底して面取り!!!
・庭の植栽は地味だけれど落ち着く。日本に自生している植物だけを、自生しているように植えてある。ツワブキが大好きだっということで、玄関先にいっぱい咲いていた。大島桜や竹林なども移植。盆栽の黒松も鉢からとって直植えしているところがおもしろい。銀閣寺の手水鉢を見て真似て作らせたとかも(記憶が確かなら)。奥にいわれのある灯篭。
自分の好きなものたくさん詰め込んだ庭を作業の合間に見ながら、インスピレーションを得ていた大観を想像する。
・この庭が二面から見えるような客間が豪勢。階段を4、5段上がって高くなっている。非日常の演出か。能楽堂のようにも思える。8畳の部屋を京間でとっているので広め。他の生活空間は江戸間にして、限られたスペースにメリハリをつけている。
船形天井。囲炉裏。
日本的なものをすべて詰め込んで客人を迎える部屋。
夏目漱石、幸田露伴、タゴール(インドの詩人)、フランス大使もここでもてなしたという。
・庭を眺めるのは硝子障子。下の硝子部分が、座るとちょうど庭全体を見渡せるような位置にくる。廊下兼縁側の硝子戸も、格子が立っても座っても目線を邪魔しない位置にデザインされている。こだわりがすごい。
・「習作」について。名前と印がないものは大観が自分作の完成品として認めなかったという。一枚の完成のために数十点描くということもあったらしい。
いきなり本番を描く人だったので、練習でもなく下絵でもないそれらは、いつも書生さんに命じてお風呂の焚き付けにしていたらしい。ひえー。
運良く残っていたものを記念館では「習作」と名付けて展示してある。どこがどうだめなのか、完成品ではないのか、素人には全く判別がつかない。大観研究をされている方ならわかるのだろうけれど。
・いきなり美術界にはいかず、建築家を目指したり、東京大学と東京英語学校の掛け持ち受験して顰蹙をかい、東京英語学校に行ったのちに、ふと思い立って東京美術学校を受験して合格し、一期生となる。絵の勉強をしたのは直前の2、3ヵ月という。とても頭がよくて、新しいことが好きで、好奇心旺盛、豪気な人、という印象。
だから岡倉天心を師として、日本美術院創設にもついていったのかも。
・中国の明の時代の墨匠「程君房」作、「鯨柱墨」という名前の墨が展示してあった。名器というのはいろんな世界にある。(ヴァイオリンのストラディバリウスみたいな)こういう古いものは「古墨」と呼び、墨の数え方は「丁」と知る。
・戦時体制へ協力していて、昭和12年の「国民精神総動員絵葉書」が展示されていた。他にも軍事郵便絵葉書のデザインをしていた。皇室からの依頼で制作したものもあり、銀杯や御礼の品々も展示されていた。
文化、芸術、芸能に携わる人たちが、この時期をどう過ごしていたのか、いろいろなところで見るけれども(たとえば去年行った小早川秋聲展や旧東京音楽学校奏楽堂など)、いつも複雑な思いがする。
・元書生さんの部屋が売店になっている。「大観のことば」をパラっと開けると、
国粋主義とか、民族主義とかいう考え方より、もっと深いところにある"日本人であるのだ"という個性を腹の底から認める、とでも言いましょうか。(『混迷の日本画壇に寄す』より)
という一文が目に入って、なんとなく買ってしまった。人柄が見える言葉の数々。
岡倉天心と菱田春草がだーい好きだったことは、とりあえずすごく伝わってくる。
・人生の多くの時間を湯島や池之端近辺で過ごしている。もともとは水戸の出身。
・1908年に池之端に自宅を建てる。1945年3月10日の東京大空襲で自宅が消失。その頃熱海や山中湖に疎開していたらしい。戦時中は作品を東京国立博物館に預けたりもしていた。1958年86歳のときに再建。90歳で亡くなる。
池之端で暮らしている期間に、日本美術院の再興などを行った。東京美術学校、日本美術院、画家や文士などの芸術家が集まり、交流していた地。目の前はすぐ不忍池。かつての一大遊興地。同時はどのような風景だったのか。ここから歩いて3分ほどの下町風俗資料館に展示があったような気がする。
・上野公園の中に黒田記念室がある。ここは無料で鑑賞できるので、ぜひおすすめしたい。当時、黒田清輝率いる東京美術学校と、そこから離脱した岡倉天心、横山大観らの熱いドラマがあったのだなぁ、それぞれの思いを感じてみる。
もしもそこに女性の日本画家がいて、対等に活動していたら、また違うことが起こったのだろうか、なども想像する。
・2Fの作業場は作品保護のために暗くなっている。ここに展示されていた「生々流転」の「習作」は鳥肌もの。こんな間近に座って見られるのはすごい。
・少ない展示品の中にも、日本画の行く末を背負いながら、自分の画の探求を目指した大観の姿が見えてくる。非常に伝統的だったり、モダンだったり、高尚だったり、遊びだったり、ポップだったり。時期により、目的により、いろんな魅力がある画。
・日本画を訪ねて、山種美術館、大倉集古館や島根の足立美術館などにも行ってみたい。大観さんのおかげもあって、さらに日本画にも親しみが深まった。
当時の芸術運動を担った人々の気配を感じるような時間だった。
今回もお世話になった、こちらの本。やっぱりわかりやすい!
たくさんとったメモ。
次は横山大観の師匠でラスボス、岡倉天心について調べる。
この方のことも、実はよく知らないのだ。