『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』展に行ってきた。
行く前に、1月4日の朝日新聞の切り抜きを読み、
予習がてら友人が送ってくれたページをサッと読んだ。
わたしはミナ ペルホネンの服を持っていない。
持っていて、大好きで着ている、という友人もあまりいない(たぶん)。
ミナのお店でハギレのパックを買ったことはある。
そしてそれをブローチにしたことはある。
皆川明さんは、西村佳哲さんの本に出てくる人として知っていた。
自分の仕事をつくるにあたって影響を受けた本の一冊。
とはいえ、皆川さんのパートで何が書いてあったのか実は覚えていない。
そのときは、自分にすごく関係があるとは思わなかった。
「服をつくっている人なんだ、ものを作るってこういうことなんだなぁ」というぐらいで。
当日は鑑賞後に、友人たちと誘い合わせて2Fのサンドイッチカフェで感想を語った。
印象に残っていること
- 継続、積み重ねること。
- ひとつのクリエイションが次の可能性を示す。次へ繋がる要素を表す。
- "ミナ ペルホネンのデザイナーたちのアイディアや思考は日々の暮らしの細かな事象や出会いから生まれている"
- "日常のための特別な服"
- ミナを着て、会いにくる人たち。
- ミナの服がとても愛されてる
- ベビーカーの人もいっぱいで、普段あまり現代美術館に来ない感じの人があふれていた
- 新聞の挿画が印象的。皆川さんの中にこのような沼や森があって、表出しているのは着ることができるぐらいの状態になった上澄み、氷山の一角なのだ。
- 自分から流れを作り出し、自分がその流れに乗る。
- "擦り切れることが楽しみなコート"
- 馬への執着
- 計算されたセオリー、恐ろしいまでの几帳面さ
- 村上春樹と似てる説
他にも、ミナ ペルホネンのファンではない同士からこそ話せたことなどがあった。
逆にミナのファンの人があそこで何をどんなふうに体験したのかも、聴いてみたい。
きっとその方の人生と切り離せない関係にあるのだと思うから。
ふりかえり
服の可愛さに歓喜しに行くだけではない、ということは行く前からわかっていたけれども、ふりかえってみるとなんだか課題付きの講義に出席したような感じがある。
きょうのわたしの課題は、「素人とプロの違い、思いつきと愛される商品との違いは、なんだろう?」という問い。
いろいろあると思うけれど、一つは計画性。
思いつきに文脈がある、流れや経緯がある。同じことをやって毎回同じようになる何かがある。それでいて発展がある。だから飽きない。
それは少しふれるだけでわかる。
ほんとうに些細なことでわかってしまう。
そしてわかる人だけが長く愛してくれる。
帰ってきてから「わたしのはたらき」の皆川さんへのインタビューパートを読み返して、あまりの変わらなさに驚いた。
この本が出版されたのが平成23年、2011年。
もちろんチャレンジはたくさんしてこられただろうけれども、スピリットやフィロソフィは変わっていない。人間や世界に対する態度も。
そして、やると決めていたことを、実際にやった。やっている。
その途中の様子を、一旦の区切りとして、この展覧会で披露されていた。
可愛いと感じる、愛着を持つ、これが着たいと熱望する。
そう思えること、そう思ってもらえるものを作ること。
実はとても根源的で命に関わるようなことなのかもしれない。服に限らず。
去年からヴィンテージの服が好きで、古着屋さんに出入りするようになった。(その話をnoteに書いた)
店主さんが世界各地から買い付けてきた古着は、場所も時代も違うとサイズ表記がないものがほとんどだし、あってもなんの参考にもならない。
自分の身体や気分に合うかどうか、一緒に出かけたいか、愛着がもてるか。
そういう気持ちを大切にしたい。
そういえば、この本は「あとがきと謝辞」もすばらしくて、ここばかり何度も読んだ記憶がある。
アキツユコさんの音楽を聞きたくなった。
https://www.hora-audio.jp/aki-tsuyuko-ongakushitsu.html