ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

映画『37セカンズ』鑑賞記録

映画『37セカンズ』を観た。

37seconds.jp

 

3月のシネマ・チュプキ・タバタでの感想対話の会、"ゆるっと話そう"で扱う作品。

「これどうでしょう?」とチュプキさんから提案があったとき、わたしは実はピンと来ていなかった。

チュプキさんの推し理由、公式HP、公式twitter、レビューブログ、3月のチュプキの他のラインナップ、これまで"ゆるっと"シリーズで扱ってきた作品、等々を見てみて、最終的に、「37セカンズ」しかないな、というところに落ち着いた。

 

なのに、なんとなく気持ちが「今すぐ観に行きたい!」というほうに向かない。

「はて、これはどうしたことか?」と思っていたのだが、きのう観てみて、理由がわかった。

 

あれだ。

スマホでネットサーフィンをしているときに表示される、漫画の広告。実際の漫画のコマが貼ってあるもので、ざっくり言うとエロ・グロ・気持ち悪い。

パッと視界に入っただけで、気分が悪くなる。はぁ...嫌なもんみちゃった...っていう。

 

「37セカンズ」のあらすじや登場人物の紹介などを読んでいると、いくつかのキーワードから、自分の中で自動的に「あの嫌な感じ」が起動してしまっていたのだ。

 

なんだそういうことだったのか。

ああ、理由がわかってすっきりした。

考えてみたら、チュプキさんから意地悪な映画なんて勧められるわけがない。そもそもチュプキでかからない。

勝手に起動しただけです。

 

 

でも万が一、「この映画はなにやらしんどそうだからいいや」ってなっている人がいるとしたら、それは心配ご無用です。

とても希望あふれるよい映画でしたよ!!!

 

※追記

RatingがPG-12なのは、性行為のシーンが赤裸々、というわけではないです。人によってはそう感じるのかもしれないけど。赤裸々で過激だとR-15、R-18ですしね。

映っている場所や出てくる人物の言動や背景、その理由などが、性行為や性産業にまつわるもの。全編ではないです。知っていたとしても、それを受け止めて自分なりの解釈を加えて理解できる必要があります。低年齢の子どもに積極的に見せる内容ではない、ということですね。


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観終わってまず。

とても息がしやすくなっている自分に気づいた。

 

その理由は二つ。

 

一つは、映画の力。

わたし流に解説すると、『37セカンズ』はこんなお話。

生まれてから23年間、自分らしさを抑えて生きてきた主人公・ユマ。出生時に37秒間呼吸が止まっていたことから脳性麻痺となり、車椅子を使って生活している。

同居する母や「友人」のサヤカも時間を止めた人たちだ。微かな違和感を持ちながらも、他者との境界も曖昧にしたまま、自分の人生を生きられていない。

ふとしたきっかけから、ユマは「外」の世界の人にふれ、自立への欲求を自覚する。

ユマの時間が動き出したことで、ユマに関わる人たちの時間もまた動き出していく。ユマは新たな世界へ足を踏み出す......。

 

ユマが歩む自立の道のりには、ちょっとハラハラするところもある。

けれども、決定的に悪いことや酷(むご)いは起こらないだろう謎の安心感を持ちながら観ていた。実際にも起こらないし、優しさのほうが多い。

ユマのキャラクターが、とにかく正直で健やかでユーモアのあるところがいい。

無鉄砲で世間知らずでピュアなだけの人ではなく、状況は理解していて、感受性豊かで、気持ちを伝える表現をする。自分で責任を引き受けて行動もする。

やっぱり一人の大人として描いている。(あ、そうか、だから安心感があるのか)

 

 

息がしやすくなったのは、ユマの人生がぐぐっと動いていくときの、扉がひらいていくときの、あの大波に乗せられていくときのような愉快な感覚と、自分の情熱を思い起こさせてもらえたから。

わくわく冒険、アドベンチャーだ。

それから、「外」は確かに怖いところでもあるけれど、もしかしたらその怖さって自分の中に作ったものかもしれないよね?ということも。

今、自分は何を大切にしたいんだろう?

 

だから、脳性麻痺、車椅子、障害、性...などは、ユマを構成する上でとてもとても大事な要素だけれど、特異なものとしてフォーカスはしていない。

親子関係や自立や性や働くこと、生きづらさの根源など、だれにでも関係があるテーマが描かれている。

人によって光を当てるところがかなり違いそうで、とにかく誰彼となく感想を聞いてみたくなる。

(ああ、そうか、だからチュプキさんはこの映画を推してくださったのですね!!)

 

 

もう一つは、映画館で観られることの喜び。

COVID-19感染症流行により、日常に制限がかかっている。

先の見通しがきかない。

約束とはもともと不確かさを含んでいるのだけれども、約束を取り付けること自体がゆらいでいる。

予定していたことが中止、休止、延期となり、これからの予定が立てづらくなった。

そもそも人と会って、「向かい合って一定時間話す」ことが最も避けるべき行動として指摘されている現状。わたし自身の日常にも、大きく影響を与えている。

店舗以外の公共スペース、文化施設などが閉館となっている中で、今求めているときに、映画館の灯がともっていることがうれしい。

そこへ身体を運んで映画を観ることができた。この解放感たるや!

もちろん、映画館なりの予防ガイドラインを設けての営業だ。ありがたい。応援している。

 

 

映画館を出てからの帰り道はなんだか、

Hello again, new world!

人生はわたし次第!

という多幸感に包まれていました。

 

 

というわけで、

 

 

ゆるっと話そうの日程決まりました。

感想話しましょう。お待ちしています!

http://chupki.jpn.org/archives/5441

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備忘を兼ねて、もう少し細かい感想メモを置きます。

*この先は、未見の方の鑑賞行動に影響を与える表現が混じっています。

 
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・母と娘:

前日に『ホドロフスキーのサイコマジック』の試写を観ていたので、影響されてる。自分ではない人になる、自分では行けないところに行く。映画自体がそういうものなのかも。この映画の中に、「自分の過去の痛みから、子の(特に性的な)自立に向き合えず、無視する親」というような話が一部出てくるので、つながってるーー!

そういえばこの本、友人からもらって積ん読になっていたけれど、読もうかな。

 

 

・サヤカ:

一緒にいてくれる、才能をわかってくれる、「こんなわたしに」付き合ってくれている、頼りにしてくれている...と、「搾取」や「依存」を間違えてしまっている友だち付き合い。あったあった。するほうもされるほうも。大人になっても、起こり得る。

ユマの自立にあたって、サヤカがどのように変化していくのか、このあとを見てみたい。

 

・ユマの母とサヤカの母:

煮詰めている感情がありそう。特にユマの母から。

 

・母:

もう一人の娘を失ってまで守りたかったのは何か。もしかしたら、出産時からの罪悪感のようなもの?「一人になるのが嫌なだけでしょ」と、自分が子どもから言われたらどうだろう?とちょっとドキドキした。

シェイクスピアが好きなところがいい。この話をできる人が娘以外にもできるようになったらいいねぇ。内職じゃない仕事をする、という可能性だってある。

子どもが自立によって未熟な自分をゆるしてくれて、助けてくれる。子どもってありがたいなと思う。ここは親としての自分で観た。

 

・三人衆:

舞、クマちゃん、トシくん。人生を健やかに営んでいる人たち。とはいえ全く問題を抱えていないわけではないと思う。とにかくこの人たちがいい人たちでほんとうによかったとホッとした。特に舞に出会えてよかった。自分を引き上げてくれる存在。

 

・編集長:

持ち込みの対応に慣れてる感じに痺れる。板谷由夏さん、すてき。作品で評価するシビアさと、逆に言えばチャンスは平等。

 

・由香:

ユマがカタカナで由香が漢字なのはなぜだろう。

 

・トシ:

家に泊めているときや旅行中に何かが起きるのかと思ったが、何も起きなかった。トシの人となりがわかるのが、ラーメンにレモンのエピソードだけで、あとはいるだけ+実行を助けてくれる人。聴く、いてくれる、見ていてくれる。この感じについては謎。もうちょっと掘れそう。「ゆるっと」の当日、話題が出るかな。

 

※思いついたら足していきます。

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

seikofunanokawa.com