シネマ・チュプキ・タバタで『37セカンズ』という映画の感想シェアの場をひらくのに合わせて読んだ本。劇場で参考書籍として販売されていた。
『わたしが障害者じゃなくなる日〜難病で動けなくてもふつうに生きられる世の中のつくりかた』
第一感想としては、
とにかく読めてよかった!とてもいい本!これで読書会したい!
丁寧にルビが振ってあるので、小学校高学年や中学生ぐらいから一緒に読める。
単行本は装幀がとてもよくて、読む気がぐいぐい起こる。
表紙のマゼンタはハッピーになる色だし、サイズもちょうどいいし、本紙の色も少し黄味がかっていて、その上にのっているえんじ色のテキストも、黒より意外に目に優しい。イラストやまとめも立ち止まりながら、一緒に歩んでくれる。このイラスト好き。
今、出版のプロジェクトを進行中なので、こういう本の体裁への愛もついつい確認してしまう。読み手に影響するから、デザイン大事よね。
2019年6月に発刊になった本。
第3章『人間の価値ってなんだろう?』で、やはり津久井やまゆり園の事件に触れられている。
でもいきなりそこにいくのではなくて、段階を追って丁寧に渡りやすく楽しい橋を架けていってくれる。
そう、なんだか海老原さんの語り口はとても楽しい。一緒にいたら、すごく楽しい人なんだろうなぁと思う。
著者の海老原宏美さんは、1977年生まれのわたしと同年代。
生まれつき脊髄性筋萎縮症(SMA)という難病にかかっている。
脊髄性筋萎縮症とは、体の筋肉がだんだん衰えていく病気。
移動は車椅子で、呼吸は人工呼吸器で、生活動作は介助者(アテンダント)のサポートを受けて、一人暮らしをしている。
まず冒頭で明示されるのが、障害は社会の側に問題があるということ。
例えば、建物に入るのに「車椅子だから」入れないのではなく、「階段しかないから」入れない。これまでは、「一人ひとりの個人のせいにされてきた」(個人モデル)けれども、これからは、「わたしたちのくらす社会の仕組みが原因になる」(社会モデル)でやっていこうという考え方が世界中で起こっている。
システムを中心にして人間を合わせるのではなく、人間を中心にしてシステムのほうを変えていこうとする流れ。
わたしも障害者だった期間がある。
この本の説明で言えば、たとえば、「妊婦さん」「ベビーカーを押しているお母さん」「言葉の通じない外国人」。そうそう、こういう状態や立場だったとき、「生活するときに困ったり、不便だったり、危険を感じたり」したなぁ。「すみません、わたしがこんなんで」と申し訳なく思ってしまったこともあったけれど、それもおかしな話だった。
がんばったり乗り越えたりしなくても、そのままの自分で、そのままのあなたでいい。困ったことがあれば伝えて、一緒になんとかできないか考えてもらう。
第1章では、主に海老原さんがどのような人生を歩んできたのかが語られているのだけれど、これがまたおもしろい。
海老原さん自身が好奇心いっぱいに当時を生きていたし、今また新鮮な驚きをもって当時をふりかえっている感じがすごくいい。
人の体験談がおもしろいときって、
・こういう経緯があって
・こういう出来事があって(へーー!やガーーン......)
・そのときこう思って
・こういう発見や学びがあった
・それを元にこんな仮説をもって、次にこうしてみたらこうなった!(ワーイ!)
がセットになって語られているときなんだけど、それがどんどん続いて、つながっていく感じで、どんどん読んでしまう。
小学校から大学まで健常者の中にいて、違いをあまり感じずにくらしてきたので、わたしは自分が重度障害者だということにぜんぜん気づいていませんでした。
のところは、びっくりしてしまった。
かといって、エキセントリックでとてもついていけない、わたしにはとても真似できない、海老原さんが特別だったんでしょ、という感じは全然ない。
海老原さんと一緒にのびのび冒険をして、チャレンジしているうちに、わたしも自分の中で限界を決めちゃってたかも、とか、わたしはわたしでよかった!と思えたり、なんだか心が健やかになる。
わたしが困っていることだって、みんなが助けてくれたら困っていることじゃなくなる。話したら聴いてもらえる。一緒に考えてもらえる。ここはそういう優しい世界でもある。
合理的配慮のところは、場づくりする人にとっては必読。
「どうしたらその人と一緒に楽しめるか。その方法を考える」
もちろん場の目的があるわけだけど、工夫することによって、より場がおもしろく楽しく豊かになる可能性も検討したい。想定を超えていくことが、場づくりの醍醐味。
そして2章の終わりから、3章にかけての人権、そして人間の価値の話。大事な話。
人権は、あなたの感情や思いには左右されません。
イヤなヤツでも、ゆるせない相手でも、人として生きる権利がある。
尊重される権利があるのです。
この章については、まだ言葉にならないけれど、ひとつ思い出したことがある。
わたしが小さい頃、「障害者はかわいそうな人」と親がよく言っていた。「生まれてきた子が五体満足でよかった」という言葉もよく聞かれた。
それ以外にも、「かわいそう」という言葉は何かにつけよく聞かれた。貧しかったり、突然難病にかかったり、事故にあったり、いろんな不運に対して使われていた。それは今思えば、社会の側に救済や支援や方策がなくて、その人のせいにされていたから、「かわいそう」という表現をする他なかったのかと思う。一人ひとりが自分らしくいるということから程遠かったのかもしれない。
そしてなんといっても、わたしの親が親になるまでの間に、あの「優生保護法」は現役で機能していたわけだから、かれら個人のせいばかりとも言えない。(疑問はもってほしかったけれど)
けれども、そこからアップデートしなくては。
たくさん事例があり研究があり実践がある。
人間を中心に組み立てていったほうが、みんなが幸せになれる。
自分も気づいたし、たくさんの人が気づいているから、もっともっと形にしていきたい。
知るから想定できる。
学び続けるから、具体的に実現できる。
この本に限らずだけれど、いろんな障害があっても、いろんな障壁があっても、直接は会えなくても、時間も場所も超えて、本の形だから人とつながれる。
読み終えて、その実感もとても温かく残っている。
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