詩の話。
映画『タゴール・ソングス』の監督・佐々木美佳さんが、タゴールの詩を自分の言葉で訳してくださっている。
ガチガチの理屈や現実主義の言葉に、心も体も疲れて防御的になっているとき。
スッと入っていくのは詩の言葉。
伝達でも依頼でも要求でもなく。観念的な心情の表現。音律としての言葉。
「奈良少年刑務所詩集」についての記事でも書いたけれど、日常のおしゃべりとは違う言葉だからこそ心に響く。
これを書いている途中にツイッターに流れてきたこの詩も、情報伝達の波間をかいくぐって、手の中にやってきてくれたようだ。
もし君の呼び声に誰も答えなくても ひとりで進め
— 佐々木美佳@映画『タゴール・ソングス』 (@mikachan43) 2020年4月1日
ひとりで進め ひとりで進め
もし誰もが口を閉ざすのなら
もし誰もが顔を背け 恐れるのなら
それでも君は心開いて 本当の言葉を ひとりで語れ#タゴール・ソングスpic.twitter.com/ALj84brUCm
何度も声に出してみると、馴染んでくる瞬間がある。
いつまでたっても馴染まない詩もある。
これらは何が違うんだろうなぁ。おもしろい。
詩が流れてくるといえば、「谷川」というアプリを愛読?(愛用?)している。
詩を釣る、キャッチする。リリースされてもう9年経つけれど、時代を超えていると感じる。商品でもあり作品でもあり、商品でもなく作品でもない存在。(それって何だろう)
そうそう、谷川俊太郎さんといえば。
年末に行った早稲田大学演劇博物館の「コドモノミライ 現代演劇とこどもたち」で、詩の授業風景の展示があった。日本劇作家協会による、自分と他者を発見していくプログラム「2時間からできる演劇授業用例集」の映像。
そのうちの一つが詩で、谷川さんが先生。
自分の心や気持ちを一生懸命表現しなくてもいい。
言葉を出発点に、言葉で遊ぶ詩の書き方もある。
たとえば、自分のなまえを並べてその頭文字を先頭に詩をつくっていくやり方もある。
わたしの場合だと、
こ い せ わ か の な ふ
縦書きで、ふではじまりこで終わる詩をつくる。
たとえばこういうこと。
このとき追求するのは、おもしろさ。突拍子のなさ。支離滅裂さもおもしろさ。
でもそれが続いてもまたおもしろくない。
このさじ加減がむつかしい!
上のはいまいちだなぁ。。
あるいは、「つみあげうた」もまた詩。
短歌も俳句もまた詩。
はじめて『短歌研究』を買ってみた。付録の『短歌研究ジュニア』もいい。こういうのを読みたかった。
昨年冬至のコラージュの会でのわたしの作品。今年のテーマはなぜか「詩」だな、とインスピレーションが降ってきた。それもあって、個人的に『タゴール・ソングス』が気になっている。
「詩のない場所に詩を持ち込む」
映画は4/18(土)から。なかなか厳しい状況の中での公開だけれど、陰ながら応援している。トレイラーもよくて、何回も観てしまう。
公式Facebookページや公式ツイッターでたくさんのタゴール・ソングスを紹介してくれている。
製作・配給は、昨年『沈没家族』を語る会でお世話になった、ノンデライコさん。
タゴールの詩集を注文した。
読んだらまた書きたいことが出そう。
ああ、なんだかむしょうに、美しい音楽と詩の言葉に触れたい。
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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー