東京ステーションギャラリーで開催されている神田日勝 大地への筆触展を観てきた。
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202004_kandanissho.html
感染症流行のため、6月に入ってからの開始となり、終了は予定通り6月28日という、予定よりかなり短い展覧会になってしまった。
神田日勝のことは、10年ぐらい前にこちらの本で知った。前にもこの本で一本記事を書いたけれど、とてもよい本なのであらためておすすめしたい。
いろんな画家の紹介がある中でも神田日勝の印象が強かった。
それは開拓民であること。
国策で開拓地に入植した人たちの苦難の話は、本や映像などで得てきた知識でしかないが、どうしても苦しくなる。支援がある、夢があると聞いてきたのに、行ってみたらひどい土地で、開墾するだけで手いっぱい、土は痩せていて作物が育ちにくく、支援もない、など。神田家も例外ではなかったようで、苦労したようだ。
それから、やはり遺された半身の馬。本の粗い印刷でも、その絵はとても記憶に残った。今回は実物が観られるので、とても楽しみにしていた。
(↓お土産に買ったクリアーファイル)
神田日勝は、1937年(昭和12年)に東京の練馬で生まれる。日勝が7歳のとき、終戦直前に一家が十勝に入植。
幼い頃から絵が好きだったが、東京藝術大学に入学した兄の影響で18歳ごろから油絵を描き始める。農業のかたわら、美術展に出品しつづけ、絵も売れるようになっていたが、1970年、32歳の時に病気で死去。
やはり本物を観ると受け取るものがまったく違う、ということを思う。
ナイフのひと塗りひと塗りが呼吸のようだ。
呼吸の回数、描くことにかけた時間を見ている。
15年に満たない画業の中にあった、膨大な時。
上に紹介した大竹昭子さんも書いておられるように、農作業や風景を描いた絵はほとんど展示されていなかった。
自画像、馬、死んだ馬、朽ちた家、転がる空の一斗缶、空き瓶、鎖、ストーブ、壁。
そして画風が変化していく色鮮やかな牛の腹、アトリエ、居室、ピンナップ、裸体。
物質的に豊かになり、馬に頼っていた農作業にも機械が入り、大きく変化していった地方の農村の気配が、背後に感じ取れる。
その感情はなんだろう。不安か怒りか空疎か、愛か慈しみか憎しみか、解放への欲求か、支配への欲望か、孤独か連帯か......。
名前の呪縛もあったんだろうか。日勝。日本、勝つ......。
農作業を描いてはいないが、まるで耕すような、馬の毛をすくような筆致でもあった。日勝は何を思いながら絵を描いていたのだろう。
最後に現れた絶筆、未完の『馬』は、まるで壁から抜け出してきた途中のような、不思議な絵だった。「ブロックごとに固めながら描いていった日勝のスタイルがうかがえる」という解説がついていたが、どうなんだろう。
何周も回ってここに戻り、同じモチーフでありながら、なにか別のものに挑戦していたような感もある。
何人もの人がこれがアトリエにあるのを見ているので、かなり前から描いたまま放置していたらしい。
と先出の本にある。その意図は本人しか知らないというところが、謎めいている。
謎めいているといえば、馬の佇まいもまたなんとも言えない。先に見てきた馬の絵と決定的に違うのは、目と表情。こちらを見ているような、もっと遠くを見ているような、吸い込まれそうな透明さと光をたたえる瞳。微笑みを浮かべるような穏やかな口元。
まるで別の世界から遣わされた使者のようにも見える。
本人が「仏画のつもりだった」と言っていたら信じる。
東京ステーションギャラリーのレンガの壁がよい背景となって、作品と一体感を作り出していた。
いつか行ってみたいな。
梅雨の晴れ間の、よい鑑賞の日だった。
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