映画日本題『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(原題:Little Women)を観てきた。(タイトル長い...正式表記難し...)
鑑賞仲間の評判がすこぶるよかったので、とても期待して観に行った。
いやほんとうに、めちゃくちゃよかった!友人の「誰が観ても嫌な気分にならない」という感想の意味が、実によくわかった。
脚本、登場人物、俳優、編集、カメラ、照明、音楽、衣装、美術、、、
すべてがよい!びっくりするぐらいよい!
今これを観られてよかった!!
観終わった瞬間、もう一回観たい!と心から思った。
"女性がアーティストとして生きること、そして経済力を持つこと。それをスクリーン上で探求することは、今の自分を含む全女性にとって、極めて身近にあるテーマだと感じています。"監督・脚本/グレタ・ガーウィグ(公式ホームページより)
このことをとても受け取った。わたしは女性で、ジェンダーギャップ指数121位の国で生きているから。(2019年)
しかし男性がなおざりにされているとか、責任追及や非難をされているかというと、まったくそうではない。アーティストとして生きること、経済力を持つこと、社会で発言権を持つことが難しい、、そんな人生を生きる女性たちの葛藤に対して、男性たちは真摯で誠実である。かれらも自分の葛藤の人生を生きながら、そのことに向き合っている。その姿は美しい。
性別も、年齢も、"人種"も、経済格差や差別の問題も、この映画ではすべて「あるもの」として大切に扱われている。
映画の中で一人ひとりがその人の人生を生きている。
必死にやったことを間違っていたと認めたり、
決めたことだけど、挫折したり、
反発していたけれど、賛同したり、
これが良いと信じていたけれど、ふりかえれば違うふうに感じているとか……いろんな葛藤と決断が出てくる中で、「変わってもいいのだ。変化しながら生きてゆくことが美しいのだ」と伝えてくれる。
この映画は、世界がこんなふうになったらいいのにという理想ではなく、時代が変わっても、映画の世界でなくても、あり得ることだ。
自分の中にもあった「よい経験」をいくつも思い出して、つなげて、極めて現実的で日常の役に立つ物語に転換する力を持つ。
よい物語。
四姉妹の母・マーミー・マーチの「わたしも時間をかけてやったの。あなたはもっとうまくやってね」という言葉。これは、具体的な言葉にはしないけれども、伯母の態度や行動にもあるもの。それは、「前の世代から受け継いだものを、自分の世代でよりよくし、次の世代に手渡していく」というテーマ。
そのことにまさに今取り組んでいるわたしとしては、このあたりからもう涙が出て仕方なかった。
わたしたち、望むほうへ進んでるんじゃないかな。
そう信じられる希望の物語。
2回目を観る友だちと一緒に行って、終わってから感想を話していたら、3時間も喋り続けていた。映画の感想と、そこから展開した映画にも関係ある大事な話と。
次観るときは、この豊かな時間も持って行って観るから、もっと体験がふくらむはず。楽しみ。
それ以外の感想もたくさんあるけれど書けない、自分にとって大事すぎてまだ書きたくない。
と、いうぐらいによかった。
言葉に力があり、展開がとても練られた脚本だったので、英語のシナリオがほしいな、取り寄せできないかな、と思ってネットを検索していたら、なんとすぐに見つかった。これ読んでからもう一度観にいくと、オペラを観に行く前にアリアを予習するみたいに、きっと味わいが百倍になるはず。
とにかくおすすめです。『若草物語』を読み返したほうがいい?と聞かれたけど、いや、むしろ自分の今抱いている『若草物語』のイメージのまま観に行ったほうが、受け取るものが大きいんじゃないかと思う。
でもね、ここからが一番書きたかった話。
この映画の素晴らしい革新性と力強いメッセージにもかかわらず、日本の予告編が全然別物で残念なのですよ。
「結婚するかしないか」「なんのために結婚するか」「結婚か仕事かで迷う」人たちの話みたいに見えてしまう。押し出されているのは、弱さ、優しさ、ときめき。
四姉妹のそれぞれのキャッチコピーも、そんな一面的な人物像ではない。
こんな話ではない、この作品の奥深さが伝わってこない。
宣伝のための「これまで通り」の編集や言葉の使い方が非常に残念な予告編になっている。
オリジナルの予告編と見比べると一目瞭然だ。
日本の予告編からは、差別の現実、伝統的な価値観への抵抗、自立した個同士の対等な関係性、アーティストへの敬意、野心、主張、才能がすっかり抜かれている。
それが何を意味しているのかは、容易に知れる。
それって、作品と観客への冒涜とも言えるんではないでしょうか。
わかりやすくすることは、旧い価値観を踏襲することでも、ステレオタイプ化することでもない。この予告編を作るだけのクリエイティビティがあれば、あの映画に込められたメッセージや世界観をわかりやすく伝えることは造作もないはずなのに。
と考えていたら、2016年に見かけたこのツイッターまとめを思い出した。
(ハッシュタグは「女性が主人公の映画」のほうがよかったと思う)
この一連のツイートを観て、違和感が言語化されたようでスカッとした。
実際観てみたらイメージが全然違う内容だったというのは騙しだし、「ターゲット層はこういうのを喜ぶだろうから」というのは、ローカライズではない。
ひと昔前の、海外の状況を知る手段がない、英語も得意でない、という扱いで「大衆」向けに広告を打てた時代はとうに過ぎている。
映画は、他国の文化風習を知ることを通して、自国や自己を省みる機会でもある。
映画はビジネスでもあるが、メディアでもあり、文化の担い手でもあることを、今回の鑑賞を通じて再認識した。
いろいろ書いたけれど、『Little Women』は、性別も世代も立場も関係なく、とにかく誰が観ても幸せと希望を感じられる映画です。
ほんと、みんなに観てもらいたいよ。(なんにでもすぐこう言っちゃうけどネ)
グレタ・ガーウィグ監督の前作も良いです。ジョーとローリーが出てるよ。
*追記*
先日2回めを観に行きました。1回めには気づかなかった箇所に目が(耳が)いってもっと受け取るものがふくらむ。2回観るととてもよいです。
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