原美術館へ、光ー呼吸をすくう5人展を観に。
今期の展示でクローズする原美術館に、お別れとお礼を言いに行くつもりで。
晴れて暖かい秋の日。
光が美しくて、銀杏の木が輝いていたのを何枚か撮ってから館へ。
光をただ「光」として受け取るには、「熱」がある程度人体に耐えられる範囲じゃないと厳しいな、と思った。
つまり、今の季節でよかった。
光と呼吸。
この場所のすべてが、原美術館の記憶をとどめる祈りの場になっていた。
いつもの展示では閉じられている窓やロールスクリーンも、換気や演出のために開けられていて、ほうぼうから光や風が差し込んで、そこに生ピアノの自動演奏で「月の光」が流れる。
庭の木漏れ日、葉の上で輝く陽の光。
先日行った安達茉莉子さんの個展でも光がテーマになっていたな。
光を集めている。
この館にしかない、特別の空間を身体に記憶させておきたくて、奥行きや高さ、いろんな角度からの眺めを一つひとつ味わいながら見た。
作品もそれを手伝ってくれているようだった。
そう、この作品群が、ほんとうに今回の展示のために作られていて(あるいは再構成されていて)、よかったのだよね。
今のために、みんなと分かち合うために。
当初は、「原美術館コレクション展」が9月下旬から12月下旬に開催されて終わるはずだったが、感染症の大流行のため、急遽この企画がされたそう。
まさに今体験したかったこの空間、この表現、この共有。
「あいまいな喪失」にさらされ続けてきたわたしたちへの悼みと労いにも思われた。
確実な終わりを体験できることのありがたさも思う。
ミュージアムやシアターに関して言えば、準備したものの、観客の目にふれることなく中止になったものも数多くある。
竹橋の国立近代美術館工芸館は移転前の最後の展示だったが休館となり、そのまま工芸館としては永遠にクローズした。
わたしは鑑賞に間に合わなかったので、後悔が深い。
森村泰昌、奈良美智、宮島達男、ジャン=ピエール・レイノー、須田悦弘の「いつもの展示」も、もうこの場所では見られないのでしっかりと観た。
門から玄関までのアプローチ、階段の手すりの幅、床の傷やめくれ、たくさんの修繕の痕、カフェダールの席からの中庭の眺め……どれも愛おしい。
ここにわたしのいた痕跡もある。
わたしがここで過ごした時間も蓄積されている。
それは消えない。保存され続ける。
Time flows......