シネマ・チュプキ・タバタで『アイヌモシリ』を観た。
11月中には観たいと思っていたけれども、起きたら朝ドラ『エール』のカーテンコールで『イヨマンテの夜』が流れていたから、もう今日しかないでしょ、という勢いで行ってきた。
複雑でシンプルで、切なく希望あふれる、美しい映画。
劇映画だけれどドキュメンタリーのような、近接する瞬間がなんとも言えない。
実際にそこで生活している人も出演しているし、神事も含まれるし、いろんな本物のある映画だからか。
予告や映画情報からストーリーの粗い筋はわかっているけれど、イオマンテで熊を送ることを少年にどう説明するか(いや、少年っていうか、なんと言うのか微妙な時期の人だな、少年と青年の間の......)、その説明を彼がどう受け止めるのかを、わたしは観るのかなと思っていた。
けれどそこは説明ではなかった。濁されるわけでもなかった。
「ああ、そういうことなんだ〜」と唸った。その展開に。
まだうまく言葉にならないけれど、ここは、この映画の肝なんだろうと思う。こちらも五感と心で捉えるしかない領域。一旦価値観を捨てなければならない。
観る前に、イオマンテについて少し本を読んでいたことも役に立ったが、読んでいなくてもおそらく感じられたであろう。そういう映画のつくりだった。
あのコミュニティにいる一人ひとり、あるいはアイヌと呼ばれる一人ひとり、考え方や立場は異なれど、子どもから大人になる間に、誰もがアイデンティティを確立していったに違いない、と想像がはたらく。
季節の移ろいと共に、人も成長する。
カントの顔つき、体つきや放つ存在感も変わっていく。
少し先の息子を想像したり、わたしと息子の関係を想像したり、わたし自身のルーツやアイデンティティにも触れながら観た。
自然と生き物を取り巻く大きな循環、流れの中では、どれもが小さなことに思える。
「外」と擦れる瞬間がフッフッと出てくる。観ているほうはドキッとするが、それをただ見つめるカントに託して、"映画"からの説明はしない。彼が何を思っているのかに観客が想像を働かせる。このあたりは安易な共感を許さないシーン。
ただ、予告でも流れるエミさんの、「だあれも強制なんかしてないよ」という言葉は、そのまま観客であるわたしにも投げかけられているように思える。
協同体とアイデンティティ。
記録と伝承。
エンドクレジットで流れるトンコリの音は水、風、雲をイメージさせて心地良い。
美しく、ただそこに強烈に有るような映画。フラットで固定観念がない。
よかった、よかった。
日本民藝館のアイヌ工芸展やアイヌ交流文化センターにも行っておいてよかった。
受け取るものが全然違う。
それらぜんぶがこの映画に集合する感覚と、この映画もまたアイヌをめぐる体系を立体的に見るために不可欠なものになるという予感と。
少しずつ知っていく道のりにわたしはいる。
チュプキさんでは1月後半に上映延長が決まったそうです。毎日人気だったものなぁ!
✨⛄️上映延長が決まりました❄️✨
— Cinema Chupki(チュプキ) (@cinemachupki) 2020年11月30日
『#アイヌモシㇼ』
1/17日〜31日 *水曜休
ご予約の受付については後日お知らせします!
阿寒湖を舞台に、アイヌの血を引く少年の成長を通して現代に生きるアイヌ民族のリアルな姿をみずみずしく描く
監督:福永 壮志
公式HP https://t.co/i2fj2jcE0U#アイヌモシリ pic.twitter.com/7XwL4vMchH
"「チュプキ」とはアイヌ語で、月や木洩れ日などの「自然の光」を意味します"
とのことなので、やはりこの映画はチュプキさんで観ると幸せかも。
▼アイヌ文化交流センター
現代の作家さんの手工芸品が間近で見られるのと、充実した資料が閲覧できる。あまり他の図書館や書店では並んでいないような貴重なものもありそうだった。アイヌ関係で調べものがあったら、まずここに行くのが良さそう。
▼参考書籍の紹介。サムネイルにもなっている『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』はよかった。
▼アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドのNetflixで配信中とのこと。海外版ポスターとトレイラーはまた違う雰囲気。日本向けとどこがどう違うか。比較するのもおもしろい。