しばらく滞っていた鑑賞記録を遡って書いていきます。
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こちらの記事でも書きましたが、龍子記念館で観た小鍛冶の作品がとてもよかったので、また観たいな〜と呟いたら、なんと友だちがお世話してくれて、横浜能楽堂で観られることになりました。
願ったり叶ったり。
観世→喜多→金剛と、流派を変えて観られるのもうれしいし、初めての2階席で観るのもとても楽しみにしていました。ハイライトを上からみる格好でもあり、贅沢です。
小鍛冶を観るのは3回目。最初の出会い方がよかったから、好きになったのかも。
張り切って予習しました。
この4冊は予習のときにいつも使うもの。
こちらの二冊は図書館でしか入手できないかもですが、おすすめ。
さらに、神田方面に行く用事があったので、檜書店さんに行って謡本を買い求めました。
さて、当日。
いやはや、大変よかった!
二階席は初めてだったけど、天からの視点というか、少し浮いたところ(雲に乗って?)から観ている感じです。風神雷神の距離感ってこのぐらいかな?などと勝手に想像。この席は夷毘沙門にも小鍛冶にもぴったりでした。
観終わってから、駅近くのカフェで友人と恒例の感想戦。
狂言「夷毘沙門」
とにかく華やか。自分が優位に立ちたいもんだから、お互いのことをけなしたりもするけれど、「サブロー」「ビシャ」と呼び合っていて微笑ましい。神様なのに人間味あふれているところは、ギリシャ神話の神様っぽい。多神教、アニミズムの神様ってフレンドリー。ニコニコした面の神様が舞台で踊っている様子は、めでたさに溢れていた。
舞や謡が入る、狂言としては珍しい曲。能楽ってやはり狂言と能なんだなと思わせる。
最後はうやむやではなく、ちゃんとオチがあって、恵比寿さんも毘沙門天も、その家の福の神に収まったらしい。知らないで観ていたから、「あら、こんな幕切れもお能っぽいわね」などと思っていた。
能「小鍛冶」
相槌がいないとできないという悩みから、言い訳せず人に頼らず一人でもやる覚悟が生まれてはじめて神仏が力を貸してくれる。最終的には完成、納品して、宗近も結果的に名を挙げる。でも開始前と最中は心は凪で無欲無心。仕事や武道、芸事いろんなことに通じる。
「刀剣というのは古からこんな力を持つものだ」と語って聞かせ、「そのようなものをきっとお前も作れるから大丈夫」と応援する稲荷明神の化身。優しいのよー!ちょっとここで泣いた。
金剛流、童子と老人、赤頭と白頭、初めての能楽堂で二階席(正面上方から)。そしてわたしの状態。一人で観るか誰かと観るか(誰と)。いろんな違いを含むから同じ曲でも毎回一期一会。もちろん演者も全員違うし。
そういう点からも、この日はとてもよい体験でした。
少し遠いけれど、また横浜能楽堂で観たいな。
当日いただいたプログラム、美しい!
題字のデザイン素敵。
小狐丸が透かしで入っているのです。見えるかな。
公演タイトル「眠くならずに楽しめる能の名曲」は、緩急があって、後場が華やかで、あらすじもシンプルで、見どころも押さえやすいという選曲にあらわれていました。
狂言と能の1曲ずつの組み合わせは確かにはじめてでもトライしやすい。
さらに冒頭に横浜能楽堂の芸術監督である、中村雅之さんによる丁寧でユーモアあふれる解説もついていました。
それでも、それでもやっぱり眠くなるときはなっちゃうよね。周りでお休みの方もいらっしゃいました。
わたしはあまり「寝るんじゃねぇ!(怒)」とは思わず、最近では「あの人どのタイミングで起きるんだろう?」と視界の端で観察するのが好きです。
能を見ていて寝るのは、情報が処理できなくて(処理しようとしてしまう?)シャットダウンしてしまうか、集中力が切れるか、幽玄「あちら側」の世界に連れて行かれてしまうのか、なんとなく仕方がないことという気がする。
でもそれを超えて、こちら側に戻ってくるきっかけってなんだろうとすごく気になる。「あ、そこで目が覚めるんだ!」には、「やっぱり!」や「へえ、なぜそこで?」などいろいろ想像が巡ります。
マニアックになってきましたが、能の楽しみ方もいろいろあってよいのです。
今年も能楽にさまざまな形でふれていきたいです。
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