12月はやはり第九。
コンサートホールでの第九に行き始めて3年目
1年目。
2年目。
そして3年目。
今年はどうしようかなぁ、やはり自粛したほうがいいのだろうか、無理してまで行くことはないか、など迷っていたのですが、10月下旬に思い立ってチケットを取りました。わたしは高いところが苦手なので、1階席で取ることが多く、値段はお高くなってしまうのもあって、迷っていたのです。
でも「この一年よくがんばった自分へのご褒美」ということで決めました。
12月中旬ごろから、第九に行った友人知人たちの声がちらほら聞こえてきました。
このような時期に演奏会をひらいてくれてありがたい。
人々がたくさんのものを喪った過酷な年だったからこそ、第九を聴きたいという切実な思いを抱えて来ていることに胸が熱くなる。
歌詞と音楽の美しさがあらためて沁み入る。
こちらのインタビューを読んでいても、制作と演奏の皆様の、様々な創意工夫の上に成り立つ舞台なのだとわかり、感謝の思いでいっぱいになりました。
年末が近くにつれて、チケットを取っておいてほんとうによかったなと思いました。
いつまで続くかわからないあれこれに、区切りがほしかった。労ったり、嘆いたり、悼んだり、ふりかえったり、したかったのですよね。いろんな「恒例」が失われた2020年だったから、自分なりの儀式というか、恒例を持って、希望にしたかった。
終わった直後の感想(twitter @seikofunanok から)
はぁ、、、ちょっとまだ涙が止まりません。 この疫病やそれに伴う災いが元で、世界中で亡くなった方々と、大切な人を亡くされた方々に思いを寄せることもできなかった日々。ようやく祈りの機会をいただけた気持ちです。
直前までは自分のことばかりに意識が向いていたのですが、腕のいい按摩の先生(ジョナサン・ノット)にじわりじわりと解され、緩み、段々と拡がっていけた感じ。顔のリフレクソロジーやってもらったあとに、視野が広がって目がよく視えるようになってるあの感じ。(いいのか、そういう例えで)
そして涙していたのはわたしだけではなく、周りで何人もの人が涙をぬぐっていました。きっと皆さん、いろんな思いがあって、今日ここに集われているのでしょう。わたしにとって第九にまつわる思い出はいつも濃いけれど、今回はほんとうに特別です。
大きなうねりの中で、ものすごい速いテンポを指示され、喰らいついていく演奏者の方々に、医療現場で奮闘されている方々が重なりました。
大きな出来事や絶望的な状況に翻弄され、打ちのめされたのち、第4楽章で新しい旋律を発見し、それを分かち合っていく。スコアのところどころに残されたメモには、「強く柔らかく明るく。小さくても弱くない」少し違う旋律と歌詞を、組むパートを変えて旅しながら最後に行き着く、大きくて壮大な流れ。
2021年の年末もまた、第九を聴きに行けますように。
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2020年12月 著書(共著)を出版しました。
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社)