ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

三人の会 能『隅田川』『融』狂言『蝸牛』@観世能楽堂 鑑賞記録

TVドラマ『俺の家の話』知名度が上がってきているからなのか、近頃行くお能の公演、わりと盛況かも?気のせいでしょうか。

わたしは早々に見逃して、見逃し配信も見逃して、今季は諦めました。Amazon Primeで一気見できる日を待ちます。

 

さて、昨日行ってきたばかりのお能の鑑賞記録です。

お能の公演っていろんな系統のものがあります。わたしも詳しくはわからないので、間違っていたら教えていただきたいのですが、おそらくで分けてみるとこんな感じでしょうか。

  1. 流儀の定例会、企画公演、普及公演、若手の会(研修目的)、流儀の伝統公演
  2. 家の定例会、企画公演、普及公演、若手の会(研修目的)、家の伝統公演
  3. 能楽堂主催の定例会、企画公演、普及公演
  4. 能楽師個人、親子、同門主宰の会の企画公演
  5. 超流儀の企画公演
  6. 社寺仏閣主催の定例公演、企画公演
  7. 国、地方自治体、地域主催のの定例公演、企画公演

他にもあるかもしれませんが。

きのう行った「三人の会」は、このうちの4にあたるかと思います。

皆さんシテ方観世流能楽師さんですが、谷口健吾さん(銕仙会・観世銕之丞家)、川口晃平さん(梅若会・梅若六郎家)、坂口貴信さん(観世宗家)と、所属している家が違います。1975年〜1976年生まれの同い年で、「同期生」というつながりがあるそうです。

同時期に各々の家にて住み込み修行をした縁で、独立後も舞台を共にすることが多く、師の芸の素晴らしさについて語り合うなかで、所属する家の垣根を越えて研鑽の場を持ちたいとの思いを共有することとなり、2016年、それぞれの師より許しを得て「三人の会」を立ち上げました。(過去の三人の会の告知ページより)

 

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この日の番組はこちらに。

第六回 三人の会|2021年3月13日 | 銕仙会

 

それぞれの解説と感想

隅田川 | 銕仙会 能楽事典

ワキツレ(旅人)が「あそこで大念仏しているのは何ですか」と聞き、ワキ(船頭)が、「ああ、それは悲しい物語があってね」と語りだしたことで、船に乗り合わせた女が探していた我が子だと判明する。ワキツレ、ナイス!

話を聞いているときにすでにお母さんの人が「もしや」と思い当たって泣いているのが、ほんとうに胸締め付けられた。お客さんの中で泣いている方もいた。

隅田川』は、子を亡くした経験のあるすべての人、子どもの死に接した経験のあるすべての人、もしかしたらすべての人にとって関係のある物語ではないだろうか。わたしも間接的にたくさんの子を亡くしてきたんだ、ということがパッと降りてきた。

鎮魂、慰霊。

あのお母さんの人、あの後どうしたか気になっている。悲しみを抱えたまま生きていくのか、絶望のあまりもっとどうにかなってしまうのか......。かける言葉を失うような最後だった。ほんとうに悲しいお話なのだけど、子方(現実に子どもの人)の存在がかなり和らげてくれるように思う。

 

蝸牛(かぎゅう) 茂山千五郎家  ※今回の公演は茂山千五郎家ではありません

めちゃくちゃ笑った。「にほんごであそぼ」で観たことがあった(動画)。

手加減なしの笑いがもう最高。主人(上司)も別に偉くない、なんならろくでもない。太郎冠者もただペコペコしてもいない。滅私奉公してない。あの不思議な対等感が好き。

 

安宅 | 銕仙会 能楽事典

勧進帳」は名前は聞いたことはあるが、じっくり聴くのは初めて。謡と大鼓のみの上演を「一調」ということを知った。川口さんの朗々とした謡をこういうスタイルで聴くのは合う!

 

融 | 銕仙会 能楽事典

百人一首の「みちのくの しのぶもじずり たれゆえに」で個人的におなじみの源融さん、河原左大臣の物語。

『融』がこんなに激しい曲だって知らなかった……。前場後場のあの差よ!終わってからボーッとしながら家路についた。

お囃子の方々が卒倒するんじゃないかってくらい激しくて、ノリノリ、トランスで、こちらも身体動かしたくなるし、なにか囃したくなる。鳴り物持って踊りたくなる。みなさん、あんなに激しいのに、肩で息すらしてない(ように見える)。能楽師、超人。

「生前の夜の遊宴を懐かしみ、月光の下、優雅な舞を舞い始める」と解説にはあるんだけど、そんな雅でノスタルジックな感じでは全然なかった。原初的な衝動、呪術的で、鬼気迫るものがあってゾッとしたというのが近い。

小書(特殊演出)は「十三段の舞」ということで、ひらたく言えば、舞に舞を重ねてこれでもかと舞いまくっている演出、ということになるか?

源融は、『源氏物語』の光源氏のモデルの一人と言われている。天皇の血を引く身分でありながら、源姓を与えられ、臣籍降下左大臣にまで上り詰めたが、臣下ということで天皇にはなれなかった恨みをもっている人物として、世阿弥が作る前から、能の物語としてあったらしい。きのうはわたしがそちらのほうの面をより強く観たのかもしれない。月明かりに照らされた美しい顔。刻まれた妄執の苦悩......。

いや、そもそも生前に、塩竈(宮城)の風景を模して、京のど真ん中の屋敷に人工の浜辺を作り、毎日難波から海水を運ばせて、汐焼きさせたというあたりからして、狂気じみてやしませんか......。

 

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そしてまた何事もなかったかのように引けていく舞台。がらーんとした能舞台が残る。夢か幻か。なんだったのかなと思いながら、日常に戻る。ふと思い出す、あの気配。


この日は雨が激しくて、気圧も低く、度々眠ってしまったのだけれど、能楽師さんが眠ってもいいと言っていたのを心の頼りに、罪悪感もなく、ただただ気持ちよかった。

細胞の隅々までリラックスした。

お能は優しい。

 

しかし、久しぶりに出かけた都心の商業施設の虚構感がすごかったな。

綺麗に整えられた食料品やお化粧品や衣料品。買って買ってとあっちでもこっちでも声がかかる。でもちっとも欲しくならない。世界が一挙に変わってしまったのに、ここは何も変わらないように見える。

 

いや、わたしだって売店でクリアーファイルを買ったから、そんなこと言う資格はないのかもしれないが。

 

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