ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『春江水暖』鑑賞記録

映画『春江水暖』を観てきた。

www.moviola.jp

youtu.be

 

Bunkamura ル・シネマに行くのは何年ぶりか。ひょっとしたら15年近く来ていなかったかもしれない。シアターどころかロビーの様子も色がグレーだったこと以外はほとんど思い出せないし、行ってみて、「ああ、こういうところだったな」という懐かしい感じも全く湧いてこなかったので、ずいぶん長い時間が経っていたらしい。

お久しぶりです。

 

『春江水暖』は、配給がムヴィオラさんだからという理由もあって、チェックしていた。2019年に観た『ぶあいそうな手紙』がとてもよくて(感想こちら)、配給はどこなんだろう?と探ると、なんと『『タレンタイム』『細い目』の配給さんだった。

しかも『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(感想こちら)も『郊遊<ピクニック>』もムヴィオラさん。観ていない作品のほうが圧倒的に多いけれど、とても好みのラインナップ。ということで、次回新作公開があったらぜったいチェックしようと思っていた。

宣伝が出はじめ、noteの連載を読んでいたら期待がどんどん高まった。

note.com

 

いろいろ他のことをやっているうちに、公開から4週が過ぎてしまい、慌てて『ぶあいそうな手紙』を一緒に観た友人に声をかけて、出かけた。

 

 

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杭州市、富陽。大河、富春江が流れる。しかし今、富陽地区は再開発の只中にある。顧<グー>家の家長である母の誕生日の祝宴の夜。老いた母のもとに4人の兄弟や親戚たちが集う。その祝宴の最中に、母が脳卒中で倒れてしまう。認知症が進み、介護が必要なった母。「黄金大飯店」という店を経営する長男、漁師を生業とする次男、男手ひとつでダウン症の息子を育て、闇社会に足を踏み入れる三男、独身生活を気ままに楽しむ四男。恋と結婚に直面する孫たち。変わりゆく世界に生きる親子三代の物語。(『春江水暖』公式ウェブサイトより)

 

 

 

わたしは、今年はもう『春江水暖』を超える映画を観られる気がしない。

わたしにとって全部がある、とても特別な映画だった。自分がこういうものを必要としていたなんて思いもしなかった。時間が経つほどに静かに降りてきて沈んでいくものがある。期待以上の映画体験だった。

 

遠くへ行けた。海外旅行に行ってまず受けるあの衝撃、全く違う文化に来ているんだ、という実感。この行き来の難しいときに、ふわりと遠くに運ばれて、ただただうれしい。

わたしは中国の言葉は全くわからないが、主に映画を通して観てきた蓄積があるのか、登場人物の話す言葉は、北京語とはだいぶ違うように聞こえた。実際に「富陽の方言と標準語の2つ」が登場しているそうだ。そういうことを感覚的に受け取るのも、海外旅行と似ていた。

地図を広げて、ざっくりと大きくとらえていた「中国」の中の、「富陽」というまちにいきなりピンが刺さった感じ。旅の醍醐味。

 

 

わたしが10代終わり〜20代初めの頃によく観ていた侯孝賢、楊德昌などの台湾ニューウェーブの系譜がくっきりとしてある。『童年往時 時の流れ』『非情城市』『ヤンヤン夏の思い出』など。監督自身もかれらの映画から多くの影響を受けているとインタビューで語っている。

いや、台湾の監督だけではなく、わたしが美を受け取ってきた全ての映画の遺伝子を感じた。この歓喜と感謝は、とても言葉では言い表せない。

手法は現代的で、因習にとらわれず、自由。軽やかな革新がある。クルーの組み方も、資金の集め方も、作り方も撮影の進め方もコミュニケーションも、今の時代の人らしさが見える。

そう、映画のあるジャンルにおいて、世代がぐるりと交代した感があるのだ。

あの頃、わたしは台湾ニューウェーブの作品群を少し背伸びをして観ていたところがあったと思う。しかしこれは紛れもなく、同時代感がある。様々な人生経験を経てきた今、わたしの物語だという気すらする。それを自分より若い人たちが作ってくれているという喜び。グー・シャオガン監督の観察眼と感性、物語る力、構成力がすばらしい。

名作を継承し、超える存在の登場に、多くの映画好きが歓喜している。
わたしもまた同様に。

 

ヤスミン・アフマド作品も彷彿とさせる。
変わりゆくまちに影響を受けながら、生きる人たち、家族の物語。
親子やきょうだい間の確執、病気、障害、介護、親孝行、結婚するのは子の責務......世代によって異なる価値観の衝突。とにかく常にお金の話をしている。家と車、物。弱い者がさらに弱い者を叩く、でも実はそれはかれらにもどうしようもないところで起きている動きからの波及......。

国も文化風習も違うのに、身につまされ続ける感覚があり、たまにどきりとする発言もあり、ただただ美しいカメラワークもあり、150分もあるのに、1秒も目が離せない。



どの登場人物にも感情移入できる、どの立場もわかる。全員にしっかりとフォーカスが当たっている家族の物語だから、誰にとっても自分を探せるのではないかと思う。それぞれの人が、自分の人生を生きていて、衝突や分断、転落を繰り広げながら、生き抜いている。

そして世代は老いと死によって交代していく。家族のために生きること、成功と繁栄だけが人生の目的ではなく、精神性も大切にする若い世代の登場。

 

かれらを写す眼差しはどこまでも優しい。どの局面もむやみに表情のクローズアップをしたり、それらしい音楽を挿入して「悲惨」さを掻き立てることもない。わたしたちは入り込みすぎずに、けれども親しみをもって一人ひとりの生を見つめることができる。

引いて引いて、ロングテイクやロングショットで見せる富春江の四季や富陽のまちが映されると、それもこれも、悠久のときの流れに溶けていくように思える。

そのようにして人々はどの時代も生きてきたのだ、と受け入れられる。「赦し」のような感情も湧いてくる。

 

一方で、「中国の(あるいはこのまちの)社会保障はどうなってるんだろう」「家族間の自助(というより依存)が前提の社会って辛いな」「こういうとき日本はどうなんだろう」なども頭に浮かんできて、映画のあと友人とはこのあたりについて感想を話した。

 

一人の力がまったく及ばない、大きな流れに影響を受けながら、地べたに這いつくばり、もがきながら生きていく愛おしい人間たち。そのようにわたしもまたどこかの誰かから、ある家族の物語として撮られているようで、思わず後ろを振り返る。

なんだろう、またすぐに観たくなっている。

 

 

パンフレット掲載のロングインタビューでのグー・シャオガン監督の語りも良い。レビュー2本、ムヴィオラ代表の武井さんの挨拶も読み応えあり。ぜひ入手されたし。買い逃した方はオンラインショップもあるみたい。

 

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こちらにもインタビューが掲載されている。いつまでネットにあるかわからないけれど、貼っておきます。これが長編第一作とはほんとうに信じがたいクオリティ。

news.yahoo.co.jp

 

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