ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

本『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』読書記録

ここ2、3年、声を大にして言い続けてるけれど、ぬいぐるみはいい。

人間にはぬいぐるみが必要。パートナーとして必要。

心理学、社会学民俗学家政学......など、どんな学問に当てはまるのかはわからないけれど、研究してる方はたくさんいると思う。特に動物をかたどったぬいぐるみはよい。わざわざnoteで書いたくらい、よい。

 

そんなわたしなので、この本を知ったときはうれしかった。

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』大前粟生(河出書房新社, 2020年)

 

しみじみタイトルがいい。

 ぬいぐるみとしゃべることも、ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいことも、「わかる、わかるわかる」と思いながら手にとった。

でも全然やわな話じゃなかった。(やっぱりね。そんな気はしていた)

 

表題の中編と、3本の中編が入っている。

「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」の物語には、大学生の男の人が、男性による暴力行為の根深さに気づいて、自分の性を嫌悪し苦しむ、という流れがある。かつては地元の中高の仲間に所属するために無理に合わせていたけれど、大学で環境が変わり、いろんな人と接する中で、自分の言動やセクシャリティに気づいていく。「友だちが好きというのはわかるけれど、恋愛の好きっていうのがどうしてもわからない」という。

こういう人が登場人物にいる物語を10代で読みたかったなぁと思う。わたしが物心ついたときから、わたしの生きている小さな社会は恋愛至上主義で、自分もそれにのっていないと生きていけないぐらいの圧迫を感じ続けていた。あれってほんとに一体なんだったんだろうと思う。

今もどこかの小さな社会では相変わらず、異なる性が一緒にいたら、自分以外の誰か、相手や「周囲」の人がうるさく言ってきたりするんだろうか。そういうことで辛い思いをしている人には、この物語はけっこうホッとするところがあるかもしれない。

 

もう一つの流れとして、「社会の痛みを"繊細"な人が自ら被っているが、その削れる行為は果たして優しさと呼んでもいいものなのだろうか」と言いたげな人が出てくる。ここはギョッとするほどリアリティがあって、とてもひりひりする。

 

あいつらの、僕らのことばがどこまでも徹底的に個人的なものだったらよかった。嫌なことをいうやつから耳を塞いで、そいつの口を塞いでそれで終わりなら、まだこわさと向き合えた。でもそうじゃない。どんなことばも社会を纏ってしまってる。どんなことばも、社会から発せられたものだ。そう考えるとどうしようもなくなって、七森はしゃがみ込んでしまう。(「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」p.87より引用)

 

みんな人間で、なにをいうのが、なにを聞くのが失礼になるかわからない。「恋愛」とか「男女」とか、主語が大きい話は、大きい分だけ、ひとを疎外したり、傷つけたりしかねなかった。私自身がそういった話題で傷つくというより、傷つく人がいるだろう、ということは私には大事だった。(「たのしいことに水と気づく」p.118より引用)

 

自分の身に起きたわけではない世界中の大きな事件と繋がっていた。繋がろうと自分で思うよりも先に指と目が動いて、心を痛めてしまう。(「たのしいことに水と気づく」p.120より引用)

 

じゃあやらんかったらええのにな、そう思うのに、面と向かって批判はしなかった。私もおんなじように一貫性がなくて消極的で、でもまあみんなそういうもんやろ、と思って、楽な状態を長引かせたかった。(「バスタオルの映像」p.137より引用)

 

「こういうこと」で近頃疲弊している人は多いのではないか。

今までなら知りようもなかった他者の傷つきや暴力のことをどんどん知るようになって、どんどん言葉に敏感になっている。自分の傷つきをふりかえり見つめる機会や手段も増えた。誰かを傷つける言葉が何か、わかってしまった。あらゆる言葉が社会的な構造の問題に帰結していくことがわかってしまった。

そこにきて、この感染症の出現だ。人と接触が減ることで楽になったかと思いきや、そうでもない。むしろその少ない接触の機会でやり取りすることの重みが増したような気がする。

この痛みを経た先には一体どんな世界が待っているのか、まだ全く見えないままに、細かい傷つきが溜まっている人がいるのではないか。少なくともわたしはそうだ、と読みながら思った。もしかしたらあなたもそうじゃない?

そっちに行きすぎるとヤバいという警鐘のようでもあるし、行きすぎちゃっても人との微かな何らかのつながりが大丈夫にしてくれるよという処方箋のようでもある。

読む人によっていろんな感じ方がありそう。

 

 

やわじゃない、単純じゃない物語だ。読み進めるほどに揺れ続けて、心のピントがなかなか合わない。この時代の空気を救いとって小説にしてあるのは、ほんとうに凄い。

主人公の七森にカメラが向いているのかと思いきや、語り手が突然前触れもなく切り替わる。この独特の書き方も、「単純でなさ」を引き出しているのかもしれない。いっぺんにいろんな人の立場に立って物言うことを要求されるような、あの日常の感覚をなぞっているようにも感じられる。


わたしは大学生ではないので、主人公と同じ立場としてこの物語を読んでいるわけではない。かつてのわたしもこのような感情を味わったことがあるというのとも違う。今のわたしとして、擬似体験しながら強く共感している、たぶん。

 

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