ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『君がいる、いた、そんな時。』鑑賞記録

4月に入ってから、綴るエネルギーを他に向けている。
でもとりあえずの鑑賞記録は置いておくぞ!ということで、ツイッターからぺたりと。

 

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きのうチュプキさんで最終日だった『君がいる、いた、そんな時。』を観た。正直「え?!」と思う展開のジャンプ感や設定や編集の謎はありつつ(すいません、、)ちょうど今片付け月間で、長らく手がつけられなかったものに片が付いたり、物と向き合うことから自分の人生について考えたりしていたので。

 

止まっていた時間が動き出した人の物語に、思わぬ符号を感じて、大変よかった。それぞれにタイミングというものがあり、どうにかしたいと自分でも思っているのだけれど、溜め込んでしまうときに、誰かとの踏み込んだ関わりの中で進展していくのは、とてもありがたい。  

 

自分のルーツや属性を受け入れられないこともある。周りが否定的であれば特に。でもそれも誰かの無意識の振る舞いや、踏み込んだ関わりの中で動き出すときがくる。人って嫌だな〜とも思うし、ありがたいよねえ〜とも思う。

 

自分の小学校時代にこういう子いたな、とチラつく顔が何人かあった。いつもすごくテンション高くてうるさい子、無愛想で無表情で感じ悪い子、いじめられているのにヘラヘラしてる子、いじめていた子、そしてそれを見ていて関わらなかったわたし、とか。

 

この映画を見てみようかなと思ったのは、学校図書館司書の先生も登場人物の一人だったから。学校の中にあって、しがらみから開放される図書館という待避所は大事。「指導」の顔せず、フラットに話ができる司書さんの存在。ここの図書館は明るくて、校舎からちょっと外れたところにあるのがいい。

 

ぜんぜん前情報入れずにパッと行ったから、エンドロールで「呉だったのか!」とびっくりした。なんとなく西の方、岡山、広島、山口あたり、内海っぽいな、長崎の可能性もあるかな(いやそれにしては山が低い?)など考えながら見ていたから、わりと近くてうれしかった。

 

去年、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の対話のために呉についてあれこれ調べていたので、また出会えて、また別の表情が見られてうれしい。

 

一分の隙もない完璧じゃない映画の、余白みたいなものもいいなぁ、と昨日から感じている。厳しい批判と評価に晒される分野もあるけれど、関わる人、受け取り手にとってよい体験になるなら、それはそれで良いではないか。緩みも持っておきたい。そしてそれは言い訳ではなく大切なプロセスである、とか。

 

 

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