ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

映画『冬冬の夏休み』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

5本目は侯孝賢『冬冬の夏休み』 1984年制作。
原題:冬冬的假期、英語題:A Summer at Grandpa's

概要・あらすじ http://www.eurospace.co.jp/works/detail.php?w_id=000091

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「一番好きな侯孝賢作品は?」と聞かれて、この『冬冬の夏休み』を挙げる人は多いに違いない。わたしが観たのは10代の頃だったと思うが、当時は、途中でぐっすり寝てしまったようだ。ところどころ断片的にしか思い出せない。

しかし今観てわかる。人生たかだか20歳くらいのわたしが、これを観て、「まじおもしれー」となっていなかった理由が。今のわたしにこそ必要な映画だ。この映画を楽しめるほどに歳を重ねられてよかった。

 

冒頭の卒業式のシーンからいきなり流れる「あおげばとうとし」、台北駅のホームで同級生とやり取りする「日本のディズニーランド」、おじいちゃんの病院兼住まいである「日本家屋」......。様々な形で日本が登場することにまたしても驚く。

エキゾチックなものとよく知っているものが同時にやってくるのが、わたしが台湾映画に魅力を感じているところなのだろうか。もちろん、日本が植民地にしたという負の歴史を経ていることは見逃すわけにはいかないのだが。



夏の光をいっぱいに浴びた、緑豊かな里山の風景は、多幸感に満ちているが、描いている一つひとつは甘美な郷愁ではない。

生、病、死にゆく命、死線をさまよう命、死、障害、性。どこでも変わらぬ人の営みがあって、誰かが特別扱いされることもない。平面的で客観的。でも観客は親しみを持ち、人物たちと共に過ごしているスペースもちゃんと作られている。

少年期の終わりにいる兄と、幼児期にある妹。周りの大人たちの振る舞いや起こす出来事をただ黙って見つめている。『ミツバチのささやき』『エル・スール』や『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』を彷彿とさせるあの眼差し、知っている。わたしにもあった。

「登場人物を批判しない」という言葉通り、侯の描く世界で致命的に悲惨なことが起こって観客が傷つくことがない。川の流れのように山の四季のように、ただ流れる。

わたしにもこういう感情、感覚があったことを思い出す。夏休みに田舎のおじいちゃん、おばあちゃんがいる家に行って、長いゆったりとした日々を過ごす中で、毎日何かと起きて、何かと心揺さぶられるのだけれど、それは自分の歴史にも残るようなことでもなく。

後年、「そういえばああいう人いたよね、ああいうことあったよね」とふとした会話の中で頭を覗かせるような類のこと。夢か現か。今となっては確かめようもないようなたくさんの記憶。

あの田舎の大きな家の2階のつやつやの床板や、川で遊んだときのゴツゴツした岩場が足裏を突き上げる感覚など、やたらと鮮明に思い出せる。地元の子と友だちになって遊ぶときのあの感じ。

とても感覚的な映画。記憶に働きかける映画。

 

詩を暗唱させるちょっと怖いおじいちゃん。
Vespaに乗っているおしゃれなおじさん。
壊れた傘を指していつもどこかを歩いている近所の人。(彼女の父が、「今度こそ避妊手術をさせれば」と心配する医者に対して、抗うシーンもなんだか印象に残る)

全員に対して、まるで自分の親戚のような親近感がある。


ラスト、友情出演のエドワード・ヤンが見せる笑顔の眩しいこと。
幸せな時代。幸せな映画。感覚と記憶の映画。

わたし自身の、ある面においては過酷で、ある面においてはとても幸福だった子ども時代。そんなふうに感じるのも、わたしの世代ぐらいまでだろうか。今の10代、20代ぐらいの人はこの映画をどんなふうに観ているんだろうか。

 

わたしも、侯孝賢映画で一番好きになったかもしれない。

 

 

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舞台になっている銅羅を訪ねた方のツイートより。変わらぬ街並み!

 

 

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