新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。
6本目はシエ・チンリン監督『台湾新電影(ニューシネマ)時代』 2014年制作。
原題:光陰的故事 - 台湾新電影、英語題:Flowers of Taipei: Taiwan New Cinema
概要・あらすじ https://www.ks-cinema.com/movie/denei/
台湾ニューシネマとは。Wikipediaの解説がわかりやすい。
台湾ニューシネマ(たいわんニューシネマ)は、80年代から90年代にかけ台湾の若手映画監督を中心に展開された、従来の商業ベースでの映画作りとは一線を画した場所から、台湾社会をより深く掘り下げたテーマの映画作品を生み出そうとした一連の運動である。
このドキュメンタリーでは、台湾ニューシネマの起こりや経過や終焉を辿りながら、その意味や今日への影響をふりかえっている。
関係者の証言を積み重ねるのではなく、映画監督、舞踏家、批評家、美術家、映画祭ディレクター、キュレーター、映画プロデューサーなどの立場や国、外側から動きを観ていた人たちへのインタビューをメインに、「台湾ニューシネマとはなんだったのか」に多面的に迫っている点がユニーク。
映画のシーンを差し挟みながら、それぞれの立場から見た台湾ニューシネマとそれへの愛が語られているのを聞くのは、幸せな時間だった。
印象に残ったフレーズを要約的にメモした。
・70年代の課題の解消と、抑圧された感情の発露が80年代的なテーマとなった。
・台湾と中国の両岸の開放に、演劇、文学、映画、美術は明らかに重要な役割を果たした。
・個人の記憶に価値がある、映画とは記憶の記録。
・ニューシネマの映画は眠気を誘う。観客を別の世界へ、いつもの日常とは違う精神世界へトリップさせる。
・独特の文化、30年過ぎても新鮮さをを失わない。映画に引き込む力がある。始原の映画だ。
・深い協力関係。共同監督など、新しい制作形態をとる。制作現場は驚くほど自由。
・自国の歴史を見つめる。
・ヴェネツィア映画祭で台湾国旗が中国政府の要請で撤去された。
・西洋の観客には背景や切実さが理解できない。内省人と外省人との対立、社会的、心理的不安。しかし美学や演出方法に強い影響を受けた。
・なぜか台湾映画に親近感がある。同世代で感覚が近い。ニューシネマとはいっても一様じゃない、作風もバラバラ。複雑でスローな撮り方、静かなところは一致。
・日本では考えられないほど自由な制作。前日のシーンを再テイク。きょうのお前らのほうがいきいきしてるから、と。なるほど。
・観るたびに影響を受けている。映画的な瞬間、映画的に見えるか。
・台湾という社会がおかれている独特の悲しみがある。
・父は台湾時代は楽しかったという。父の話と結びついて自分も親しみがある。ただ、日本と台湾との歴史的な関係を思うと、呑気にも言えない。
・50年の日本の植民地支配を思う。白色テロで日本語で教育を受けて日本語による知的活動をしてきた人が迫害の対象になったことが、スーパーシチズンで描かれる。このラストが最も印象深い。
・80年代が激動だったとは、香港では知らなかった。彼らの苦しみに気づかなかった。粘り強く、信念がある。香港人には理解できない。台湾の映画人は協力し合う。侯孝賢が、エドワード・ヤンの映画製作のために金を工面したという。友情を大切にする人たちだ。
・よい映画とは、その時代の現実を表現しているものだ。明確な視点で、心を開いて対象の人間と向き合う。映画は政治的変化、経済的変化を映す。
・かれらが扱うテーマを理解したい。
・テンポが遅く、忍耐が必要。理解も難しい。しかし心惹かれる。違う視点を与える独特の魅力。
・独特のヒューマニズムがある。個人的な思考でも現実を捉えるとき深い理解ができるなら、それは普遍的である。(中国では否定される)個人の価値の尊重がある。
・個人の記憶を大切にする。生身の人間。生活感がある。人間と人間との関係が見える。集団ではなく、個人の視点があり、特別な時間から真実を見出すのがユニーク。
・台湾誠司の民主化によって社会の要求の変化があった。今の時代はあんなふうには撮れない。しかし、かれらのスタイルを忘れてはいけない。
今回の特集で、ドキュメンタリーは3本上映されている。
『台湾新電影時代』、侯孝賢個人に寄った『HHH:侯孝賢』、そして台湾映画を中から検証した『あの頃、この時』。素晴らしい構成だ。この3本を観れば、台湾映画や台湾ニューシネマについて相当な量と質のことが学べる。ありがたい。
侯孝賢とエドワード・ヤンについてのドキュメンタリーはないものかと探したら、なんと是枝裕和さんが1993年に撮っておられた。『映画が時代を写す時-侯孝賢とエドワード・ヤン』ものすごく興味がある。なんとかして観たいものだ。
わたしが大学生の頃、90年代半ばにミニシアターで台湾映画が次々と上映されていた。そのときに台湾ニューシネマという言葉も一緒に摂取していたと記憶している。
わたしが台湾ニューシネマの映画(あるいはその遺伝子を継ぐ映画)にこれほど惹かれているのか、自分でもよくわからなかったが、このドキュメンタリーを観て、世代や国を超えて人々が感じていることが自分の中にもあると気づいた。
あらためて考えてみると、あの頃わたしは、大阪や京都や神戸という都市とその郊外に生きていて、現代都市における人間関係に関心を寄せていた。強烈な抑圧から突然放り出される10代の終わりから20代の始めという不安定な時期でもあったので、孤独、理解し得なさ、つながれなさ、寄るべのなさ、凶暴さ、貧しさ、虚しさを映画の中で感じながら、現実の複雑さに直面していったのだと思う。
ノリやわかりやすさや笑顔で好印象が求められる現実、日常に対して、思いっきり偏屈で不機嫌で理解不能を表現してもよく、これが一つの美学や芸術として評価されているということ自体が救いだった。
台湾という、軸をずらした、似て非なる文化に触れることや、過剰な演出を配した静かな(calm)世界では、いつも心穏やかでいられた。
わたしにとっては、あれらの映画が「台湾ニューシネマ」でくくられていることが重要なのではないが、ムーブメントとして歴史になり、国や言葉を超えて共通言語になっていくのはうれしい。
また、「アート系映画」という言い方に長らく抵抗があったが、このドキュメンタリーを観て考え直した。やはり別のものなのだ。娯楽映画と芸術映画は明確に異なる。芸術映画はメインストリームにはなりえない、しかし映画や映画館という同じ名前を使うことで、同じカテゴリにあることによって、鑑賞者はシームレスに行き来することができる。
映画は文化だ。あってもなくてもいいものではない。個人であり、市民であり、民族であり、国民のアイデンティティの根拠になるものだ。
『憂鬱な楽園』で山道をバイクで走り下りるシーンにクレジットが重なって、エンド。
今もなお色褪せない、永遠の台湾ニューシネマ。
こちらのブログのまとめがありがたい。
もっと知りたくなって、やはり購入してしまった。この機会にもっとのめり込んでいこう。ずぶずぶ。
うちの近所の台湾っぽいところ。
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