ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

映画『台湾、街かどの人形劇』(台湾巨匠傑作選)2回目の鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

『台湾、街かどの人形劇』
http://www.machikado2019.com/

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昨年1月以来、2回目の鑑賞。
あの美しさを再び堪能したくなった。そして、この特集期間中に映画を7本観て、少しずつ見えてきた台湾について、既に観た映画を再び辿ることで、より丁寧に、より深くとらえたいと思った。

 

前回の鑑賞記録。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

関連記事。

www.sankei.com

台湾にある「布袋戯」という伝統指人形劇の伝承者、陳錫煌(チェン・シーホァン)に密着する10年の記録から、布袋戲の衰退と回復への執念、「伝統」の再考察、台湾社会の変遷を描く。

布袋戯の読みは、日:ほていぎ、北:プータイシー、台:ポテヒ。

陳錫煌の父は、布袋戯の人間国宝、李天祿(リー・ティエンルー)。あまりにも偉大で巨大な存在である。陳錫煌と父との間には、彼が生まれ落ちた時からの長年の確執があり、そのことは陳錫煌の技を継ぐ弟子との関係にも影響している。

そこに布袋戲の実演、芸術的な美の世界が加わり、ドキュメンタリーは主に3つの軸で進行していく。

 

一回目の鑑賞では哀愁や愛惜の念でいっぱいになっていたが、映画のヒットを受けて、伝統的布袋戲の価値が見直されていると知り、今回は心に余裕をもって観られた。

 

布袋戲はやはり美しく、あまりにも美が美としてあり、何も遮るものもなく真っ直ぐに届くので、胸が苦しくなり、涙が止まらなかった。この人間国宝の技術を高いレベルで継いでいる弟子は数人とか......まさに絶滅危惧種

楊力洲監督の、「わたしは今貴重なものを目撃している」「わたしはこの失われつつある芸術を記録せねば」「見逃すまい」という気概がひしひしと伝わってくる。途中、「わたしが撮っているのは、技芸の継承ではなく、袋小路かもしれない」と揺れるところも含めて、これが映画として残っていくことがありがたい。映画は人間より長く生きる可能性がある。記録したこの美は、生きた証は、後世の人間に観られることで何度も命を得る。この映画も残ってほしい。

一日限りの楽団の結集も、貴重な記録だろう。まるでブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのようだった。「もっと遠くを見よう」という言葉に胸がじんとする。

「もういいんだ」「もう終わりなんだ」と言いながら、結局誰かが諦めていないから続いていく。

 

アメリカの学校や、聾唖学校での公演のシーンでは、子どもたちの生き生きとした反応が眩しくて愛おしくて、こみあげるものがあった。陳錫煌には日常会話の通じない弟子がいて、それでも日々技を磨いている。

「言語」が違っていても、芸の領域では通じ合えるということなのだろう。それが目の前で繰り広げられることで、わたしも確信をさらに深めることができてうれしい。

弟子たちが、布袋戯の実演を観て、「絶対にこれをやりたい!」と思ったように、あの子どもたちの中にも、「何年経っても心が震える。何がなんでも習いたい」と思う子が現れるのではないかととも期待する。ほんものにはそれだけに力がある。



主言語が台湾語で、共通語や英語は〈括弧付き〉で表示されているため、違いが明確だった。印象でしかないが、共通語のほうがパキッとしていて、抑揚が強いように感じる。字幕を追っていると、名前のところで気づいたが、同じ字でも読み方が全く違うようだった。音声で聞いたときにまったくわからないというのはこういうことかと合点した。

その台湾語も、今では解する人もかなり少なくなっているという。1949年から1987年の間の中国国民党政権による学校での台湾語使用を禁止や、メディア媒体での台湾語の放送量の制限などが背景にある。台湾語で演じられる布袋戲は二重、三重に危機に瀕している。布袋戲はまた、国民党政権時代に、抗共・反共宣伝の演目を義務づけられたこともあったそうだ。さらに、映画では詳しくは描かれていないが、日本統治下の皇民化の中で、布袋戲も影響を受け、演目は日本のものを題材にするように指導されていたという。波乱万丈な歴史を持っている布袋戯。時代の証人とも言える。

 

伝統とは積み重ねることで研ぎ澄まされて結晶化してゆく面もあるが、固定化して人を縛る「しきたり」という面も併せ持っている。姓によって親子の情愛がまったく変わってしまうこと。そのことで人生が囚われること。婿入りして最初に生まれた子が男の子なら妻の姓を継ぐこと、息子の葬式で母親は泣いてはならないこと、その他にもおそらく無数のしきたりがあるだろう。

若い世代にとっては、「そんなに重要ですか」と言えてしまうことも、その中で生きてきた人間にとっては、アイデンティティを左右する強いものになる。そこから逃れたいとするならば、例えば「父殺し」のような儀式をするしかない。

ホドロフスキーの『リアリテイのダンス』で、父と和解するシーンの詩を思い出す。

何もあたえないことですべてをくれた
愛さないことで愛の必要性を教えてくれた
無神論で人生の価値を教えてくれた
(すべて許すよハイメ)
もはや詩を失ったこの世界に
耐えられる力を与えてくれた

人間は連綿とこのような営みを続けてきたのだろうか。生き延びるために。子孫繁栄のために。これからも親世代の「しきたり」を破りながら、新たな「しきたり」を作り出しているのだろうか。

陳錫煌は父から人形で叩かれて修行していた。それがトラウマになっているから、自分の弟子たちを決して叩いたりはしない。暴力や抑圧は継承しないこともできる。

李天祿の人生を描いた侯孝賢の『戯夢人生』も今この流れの中で観たい。彼には彼で、複雑な人生があったようだ。父はどんな思いで、戯曲の神・田都元帥の像を子に渡したのだろうか。父子の語りがオーバーラップするシーンがあり、ここは堪らない思いになる。男として生きるということの困難さもあるだろう。世が世なら、と思わずにいられない。戯夢人生 - Wikipedia



先日対話会をしたドキュメンタリー映画『あこがれの空の下』で、隣人である中韓との交流を積極的に行っていると紹介されていた。灯台もと暗し。

近いからこそ知りたいと、今痛烈に感じる。それは、隣人を知ることでまた自分での国や自分のルーツを知ることにもなるからだ。自分のアイデンティティを見つめることで、今ここにある自分の存在がハッキリとしてくる。どんな変遷の上に、今の自分があるのかを知ることで、初めてここから先を描いていける。



布袋戲も、いろんな種類があるようで、現代のエンタメ的に演られているものは、申し訳ないけれど、わたしには見ていられない。派手派手しくて騒々しくて雑に見えてしまう。「伝統に創作を持ち込んでもいいが、伝統を踏まえることで新しいものが生み出せる」いろいろな考え方があるだろうし、わたしも古い人間なのかもしれないけれど、伝統芸能と呼ばれる者の気構えはやはりこうでなくては、という気持ちがわたしにもある。

陳錫煌の布袋戲は地味かもしれないが(日本の感覚で言えば派手だが)、美しく、繊細。この小さな人形に注がれる愛と情熱。

人形が命を得て、人間よりも人間らしく振舞う。観る者は言葉にし得ない芸の本質を受け取っている。目には見えないその美の感覚の応答が、舞台を作っているのではないかと思う。

映画の最後を飾る布袋戯の実演。いつまでも観ていたかった!

 

 

▼TED×Shanghai : Chen Xi Huang: The ancient art of hand puppetry

劇中でも登場したTEDのデモンストレーション

youtu.be



台北偶戯館(人形博物館)

いつか行ってみたい。

Puppetry Art Center of Taipei 台北偶戲館

www.rieasianlife.com

 

▼国立伝統芸術センターというところもあるらしい

ontomo-mag.com

  

▼昨年観たときのパンフレット

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▼2019年公開時のビデオメッセージ

youtu.be

 

あの人たちは今どう過ごしているんだろうと思ったときも、今はインターネットのおかげで、ドキュメンタリーのその後も追える。今の時代、ありがたい。

 

『私たちの青春、台湾』というドキュメンタリーも気になっている。昨年10月に公開とは全く知らなかった。当時はまだ台湾にアンテナが立っていなかったからな。とはいえ、こちらは現代の若者たちの民主主義運動。これも知りたい。今の台湾のこと。

ouryouthintw.com

 

台湾の今、と言えばこの人の言葉も。「言いこと言ってる」だけでなく、医療、教育、制度的なものも見えてくる。様々な歴史の波に翻弄されてきた台湾が今、この危機に直面してどのような動きをしているのか、知りたい、学びたい。

 

 

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seikofunanokawa.com

 

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