ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『あこがれの空の下〜教科書のない小学校の一年〜』鑑賞記録

4月のはじめ、チュプキさんで、映画『あこがれの空の下〜教科書のない小学校の一年〜』を観てきた。今月の〈ゆるっと話そう〉の候補に、まずは観てみようということで。

xn--v8jxcq2f151q1vam0mt0xyuukq6d.jp

youtu.be

 

いやもう、すごくよかった。ちょっと斜に構えていた自分が恥ずかしい。

想像していたのと違うものをみた。

子どもの自分がみんなと笑ったり考えたり、大人の自分がかかわりや学びについて感じ考えたり、ずっとそれが混ぜこぜになっていて、頭も心も忙しかった。

観終わって、すぐに誰かと語りたくなった。

また、共著『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』に通じるものがあった。これはチュプキさんときみトリでコラボイベントができるのではないかと考え、執筆メンバーに「ぜひ観て!」と声をかけたら、すぐに予約してくれた。

話はとんとんと進んで、ちょうど明日4月28日、イベントの開催となった。(こちら

 

冒頭で「斜に構えていた」と書いたのは、「ふん、どうせ素敵な小学校の素敵な教育の話なんでしょ?よかったね!」という気持ちが湧いてしまったから。

自分の生育過程や教育の中で受けた傷つきや痛み、そして大人になって、自分の子を取り巻く学校教育の中で、現在進行形で受けている違和感や傷がうずく。今回の映画に限らず、しょっちゅうこう「なる」。

でも『あこがれの空の下』を観ているときは、自分も一緒に子どもや先生と一緒にいて、一緒に考え、感じ、表現して生きることにただもう夢中だった。圧倒されて、幸せな時間。

観終わってから、あれこれ考えた。

 

編集された映画という表現形式で観る範囲ではあるが、とても印象深いのは、ここがいわゆるオルタナティブスクールやフリースクールや私塾ではなく、見たところ普通の学校だということ。(まぁ普通って何って感じだが……。)

「教科書を使わない」「チャイムがない」というと、もうそこから勝手に妄想が始まって、独自の尖った教育哲学や手法が強固にあるイメージや、創設者やリーダーにカリスマ性があるとか、イメージが膨らむ。けれど、実際はどの先生も、教育業界で名が知れ渡っている大先生ではなく、ただただ一人の先生、一人の人間を感じる人たち。

 

1933年創立時からの一貫した理念「子どもたちが学校の主人公」。

これをほんとうに実践されている場ということを映画は記録しながら進む。
人が変わっても受け継がれるのはどうして可能なのか?
1933年に親たちが理念を建て、校舎を建て、先生を集めたという成り立ち?(お上が設置したわけではないというところ?)組織運営に秘密が?

 

 

 

浮かんだキーワード

主体的、対等性、自立、選択、見てくれているところ、手渡す、体験、失敗しながらでも大丈夫、「つまづく」は宝、感受性、自治、責任を引き受けること、大人の役割、大人が助け合う、時間をかける、葛藤上等、年間プログラム、準備-当日-ふりかえり、準備に時間をかける、「普通」を持ち込まない、愛のあるほうを選択する、自分らしさを発揮する......。

 

「和光だから、私立だからできる(それに比べてわたしの現場は......)」だけだと辛くなっちゃう。それも嘆きつつ、「じゃあ学校って何?」「教育の大切なことって何?」を皆さんで語りたい気持ちがある。

とにかく映画を観てもらいたいし、対話の良さを実感してもらいたい。「あ、これってもしかして和光小でやってることじゃない?」って、ふとつながるといいな。学校じゃなくてもできるからこそ、学校でもできる。

 

対話会が楽しみ。

 

▼【対話付き特別上映】(日本語字幕あり、音声ガイドなし)
映画『あこがれの空の下』× 書籍『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』
〜「子どもが教育の主人公」はどうしたら実現できるか〜

chupki.jpn.org

 

 

▼関連記事

"増田監督の中では「公立校でもできないことはない」との思いがある。「いつかこの映画の内容が(どの学校でも)普通になって『つまらない』といわれる社会になるのが理想」"

小学校に1年密着 映画「あこがれの空の下」 いつか、こんな教育が普通の社会に:東京新聞

www.tokyo-np.co.jp

 

 

▼ちょっと脱線

本の学校教育の歴史を調べてみたら、1933年当時の日本の社会に和光小学校が生まれたのも、もしやこの流れがあったからでは?と思えるものが見つかった。

1933年周辺の出来事としては、1931年に満州事変、1932年犬養毅首相暗殺、1933年国際連盟脱退、1936年2.26事件、1938年国家総動員法......戦争の足音が大きくなっている頃。

その少し前、1924年に「児童の村小学校」が東京池袋にできる。

大正「新学校」とは異なる徹底した自由が主張されている。”村”の名称が暗示するように伝統的共同体精神の再興を基調にして、一切の管理、支配を否定し、子どもに教師を選ぶ自由、時間割を選ぶ自由、勉強する場所を選ぶ自由などを謳っている。実際にはこのプランは次々に挫折するのであるが、それでも本気に実行しようとした経緯と経験は教育実践史上の基調な遺産となる。(『教育の歴史』p.58 横須賀薫/監修、横須賀薫、千葉透、油谷満夫/著、河出書房新社、2008年)

 
こちらの論文もおもしろい。ネットで論文タイトルで検索すると出てくるはず。

『池袋児童村小学校における教育課程づくりと保護者の参加 「緑会」 と 「母の会」 の活動を中心として』/水崎富美(東京大学大学院教育学研究科 教育学研究室 研究室紀要 第29号, 2003年6月)

 

f:id:hitotobi:20210525160907j:plain