ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『あの頃、この時』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

16本目は、楊力州監督『あの頃、この時』2014年制作。
原題:那時.此刻、英語題:THE MOMENT

あらすじ・概要:金馬奨50周年記念作品として制作されたドキュメンタリー。往年の映画監督やスターの姿を通して、台湾映画の歴史が明らかにされる。(傑作選公式HPより)

金馬奨は、台湾の1962年に創設された、中華圏を代表する映画賞。

 

▼台湾向けトレイラー。日本の観客が見るときの受け止め方とは全然違うので、映画の良さが伝わるような予告を自分で編集したくなってしまう(!)

youtu.be

 

▼見てすぐツイートした感想。

 

昨今流行のドキュメンタリーの手法がとられていて、とても情報量の多いドキュメンタリーで、誰が何を言ったのか控えきれてない。漢字も難しい。

しかしもう少しだけ、ツイートしきれなかったことを以下にメモしたいと思う。(内容に深く触れているので、未見の方はご注意ください、あらためて)

 

金馬奨の名前は、金の馬(Golden Horse)がアイコンになっているが、もともとは動物の馬ではなく、台湾海峡にある金門島馬祖島における、対中戦線で勝利を収め、台湾の実効支配下に置いたことにあやかって、台湾(中華民国)における映画産業の隆盛を願ってつけられたものだった。そのことが冒頭で示される。とはいえ、中国本土(中華人民共和国)から目と鼻の先。金門島は、対岸の廈門(アモイ)までフェリーで35分という近さ。台湾は台湾島だけではなく、こういう微妙なところも領域になっていると、初めて知った。

・10月31日に開催するのは、蒋介石の誕生日だから。誕生日祝いとしての式典。とても政治的な生い立ちだった。

・そのときの社会背景によって、台湾映画が目指してきたものが移り変わっていく。

・たとえば、1960年代は、香港映画の後追いをやめ、台湾の人々に希望を与えるような「選択的な」リアリズムを追求。『海辺の女たち』や『あひるを飼う家』(『恋恋風塵』の野外映画のシーンにも登場する)は台湾映画史で必ず出てくる二本。健康的リアリズムと女性の美貌と孝行ぶりを強調。

・たとえば、1970〜80年代。資源に乏しい小さな島として、加工貿易を強みに急激に工業化。若者が台北や高雄など大都市に出稼ぎに出た。「家計負担は長女にのしかかった」という時代。そんな女性の観客が熱狂したのは、スター演じる富裕層とのロマンスを描くメロドラマや恋愛映画。男性は武侠映画(時代劇)に英雄を見る。

・たとえば1970年代、国際連合を脱退した台湾は急激に愛国主義へ。抗日愛国プロパガンダ映画。日本人への憎悪をかき立て、軍入隊への憧れを高める映画を制作。内容は善悪二項対立。金馬奨には「民族精神発揚特別賞」なるものまで設置された。(まさかこんなところで日本が憎まれていたとは、知らなかった)女性はそこでは繊細さ、ケア、「力強く、勇敢で偉大な」男性に尊敬と愛、「男の子」を送る役割。(ひいい、と今なら思えるが、そういう時代に生きていたら、きっと洗脳されるだろう)

・「映画はかくも人生に影響を与える」「人生や仕事、映画のセリフに励まされた」
勇気も与えるし、人生の選択を変えるものにもなりうる。観客が映画の犠牲になったというか、映画が体制に加担したというか。

・1980年代近くになると、検閲制度も緩和され、社会は少し自由になる。その反動で、暴力的で過激な要素が噴出する。20年間押さえ込まれてきたものが出てきた。台湾ニューウェーブが、台湾をも席巻。広東語が飛び交っている会場。当時はまだ香港の俳優は北京語が話せず、たどたどしい北京語で挨拶している様子が映っている。考えてみれば香港の中国への返還は1997年。それまでは北京語は日常では使われない言葉だったのだ。PDF資料『福岡銀行 アジア四季報』「駐在員こぼれ話 香港返還後10年の変化」がわかりやすい。実際、1997年の返還後の金馬奨での香港映画人のスピーチはペラペラになっている。

・映画を通して、言語の違いや時期ごとの中華圏の微妙な事情も見えてくるのがありがたい。「世界史」の流れは全体的な概略であり、一つのテーマを据えて、その歴史を追うことで初めて理解できる。そのテーマをいくつも持っていると、学びが進みやすい。たとえば映画、文学、美術、飛行機、車、ファッションなんでもよいけれど、自分が関心があるもので串刺してみる。

・台湾ニューシネマの作品やそこで経験を積んだ監督たちは、社会に対して批判的な目を向け、「台湾人のアイデンティティ」とは何かという問いを投げかけた。表現技法とテーマと言語も含め。「映画は政治とは無関係ではない」という言葉は、当然日本の(日本で生まれた?)映画にも当てはまる。とはいえ、ニューシネマは、商業映画がメインの映画産業の中で常に周縁的な存在だった。メディア、観客、評論家が救って生き延びてきた。俳優の個性を主張せず、生活のリアルを写すと言えば聞こえがいいが、「金がないからだよ」というインタビューには思わず笑い。抑圧される国民、人々の悲しみに具体的に寄り添う映画も生まれた。

・1987年に戒厳令の解除。台湾の人たちは、「人権は天与のものではないと知っている。自由と権利は戦わないと得られないことを知っている。」この38年の戒厳令の日々があり、それを映画人が表現し続け、問い直してきたことも、台湾ならではの民主主義の努力を重ねられている原動力の一つになっていると感じる。

・台湾ニューシネマは「世界に誇れる一大芸術活動」「我々は国内では孤立していたが、取り合わないようにしていた」と侯孝賢。「芸術志向の映画はマイナーになりやすい」これはどこの国でも同じ。

・1990年に金馬奨は政府の管轄から民間へと移行。すべての「中国語」映画が参加する仕組みになっていく。好みを超えた客観性を持ち、共有財産としての賞を目指すようになる。外国からの出資を得て制作される対話映画も増え、映画の国籍は一つではなくなった。(ただ、収益が台湾に落ちるかというとまた別。台湾映画としての発展も目指す必要があるのか)

・現代に時が近くなる、つまりラストに向かうにつれて、ドキュメンタリーにスピード感が増してくる。


 「映画を撮る理由は、現実社会との対話」

 「不平等で不正に立ち向かうことは、どの時代の人も理解できる」

 「映画は人間や社会と結びついている」


これらの映画人の言葉に加え、『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンのような演出。これにはやられた!思わず涙が。

台湾映画や金馬奨の歴史を中心に据えつつも、それらは当然、周辺国や他の文化圏や人々、人々の作り出した作品に大きく影響を受けて育まれてきたものだ。

中華圏、華人圏の国同士の政治的な関係が取りざたされたとしても、映画を愛するオープンな文化芸術の場では、人は共感しあえるし、お互いを称え合うことができる。そう信じたい。

金馬奨のプロモーション、アーカイブではあるが、公正で対等で健やかな賞であろうとする宣言とも言え、ぜひそのようであってほしいと、一映画ファンとして心から願う。

 

台湾映画を何本かは観ていないとわからないことが多いかもしれないが、もしまったく観たことがないとしても、観る人の持っているもの(たとえば、どこの国と限らず映画が好きとか、香港に住んだことがあるとか、語学に興味があるとか、歴史が好きとか)によっては、何かしらの接点から興味が持てるドキュメンタリーだと思う。

わたしはここまで15本の台湾映画を見てきたところで、このドキュメンタリーに出会えたことが、とてもうれしい。ほとんどわたしへのプレゼントではないかと思うほどだ。

今回の特集上映にラインナップしてもらえてほんとうによかった!

ありがとうございました。

 

 

台湾巨匠傑作選の過去のパンフレットも購入。

とにかく調べまくっている。


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▼台湾の本と本屋さんを日本につなぐユニット・太台本屋の方のブログ。監督トークのまとめ、ありがたい!

xuxu.blog.jp

 

金馬奨公式ウェブサイト

台北金馬影展 Taipei Golden Horse Film Festival

 

▼楊力州監督のインタビュー

mjapan.cna.com.tw

 

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