ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『スーパーシチズン 超級大国民』鑑賞記録

2021年台湾巨匠傑作選の特集上映期間中に知った作品。

2018年台湾巨匠傑作選で上映されていたそうだが、そのときは知らず。今回、ネット配信で初めて観た。

『坊やの人形』収録の3作品のうちの最後の「りんごの味」で痛烈な印象を残したワン・レン監督の代表作。(『坊やの人形』の鑑賞記録

 

※ 映画の内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

監督:ワン・レン (萬仁)

原題:超級大国民 英語題:Super Citizen KO

あらすじ・概要:スーパーシチズン 超級大国民 : 作品情報 - 映画.com

youtu.be

 

以下、個人的な記録、メモ書き。

 

侯孝賢が二.二八事件とそこに至るまでと直後の市民の姿を、台北から少しずらした基隆という街に定めて描いたとしたら、これは、戒厳令直後の社会とその時点からふりかえった白色テロの犠牲になった市民を描いている。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

______ツイッターのメモより(2021年5月30日)______

『スーパーシチズン 超級大国民』を観た。観終わってうずくまるほどの衝撃。感想はあとでブログに書くが、一つ、わたしにとって衝撃的な事実を書き留めておきたい。トレイラーにも出てくる、主人公の許さんが陳さんのお墓を訪ねる場面。

 

この竹藪に打ち捨てられたような小さな墓石が点在している感じは、どこかで観たような......と思い出したのが、『人生フルーツ』だった。あのとき津幡さんが訪ねるのが、台湾から来た少年工の墓で、彼は戦後台湾で政変に巻き込まれて亡くなったとのことだった。あのとき出てきた墓標と全く同じだ!

慌てて『人生フルーツ』のパンフレットを引っ張り出すと、「1950年に政治犯として銃殺されていたことがわかった」とある。この映画が2016年の制作なので、おそらく津幡さんが知ったのは2010年に入ってからだろうか。1950年......まさに白色テロで、一番弾圧の激しかった頃ではないか。

2017年東京国際映画祭の『超級大国民』のデジタルリマスター版の上映時の萬仁監督へのQ&A映像を観ていて、あのような墓標は、引き取る遺族がなく無縁墓として葬られた方々のものだという。劇映画でセットだが、実際にあのような土地があるのだと言っていた。それをまさかドキュメンタリー映画の『人生フルーツ』で、しかも2017年に観ていたとは。4年後にようやく理解が追いついた。銃殺。まさに戒厳法第2条第1項......。

しかも無縁墓ということは、元技術工の陳さんにも家族がいたが、『超級大国民』の陳さん(奇しくも同じ姓である)の家族のように、何らかの名乗り出られない事情があったのだろうか。あのような苦しい物語を生きた(生きている)のだろうか。つくづくどちらも映画として作ってくださって有り難く思う。

次は韓国。『タクシー運転手』を観る予定。

 映画作品の中には、映画のテーマや、作られた当時の社会背景を知識として入れておかないと大きく読み誤るものがあるが、台湾ニューシネマはまさにそのような作品群だと思う。特に、二・二八事件および白色テロ戒厳令は抑えておきたい歴史的事項だ。

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この映画は、無数の許さんや陳さん、呉さん、林さん、その家族の人たちへの鎮魂の歌。灯さねばならない無数の蝋燭。「社会から見捨てられた人たち、忘れられてきた人たち」に対し、「わたし(たち)は見捨てていない!」と伝える映画。

画面いっぱいに大写しになる顔。
この人の顔を見よ!この人を見よ!と言うかのように。

「なかったことにするな!」という叫び。社会への批判。

今、この人たちへの謝罪と名誉回復は行われているのだろうか。

 

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たまたまその時にその地に居合わせ、当時の国内政治や外交の情勢に巻き込まれた人々。あの屋台の主人(かつての将校)が言っていたように、でっちあげもあり、個人にはまったくどうにもできないようなことで生死が分かれてしまったんだろう。あの笑み、あのシーンで交わされる言葉の残酷さ。自分が加担したという意識のなさ。深刻さの受け止めの度合いのあまりに異なる現実。いたたまれない。

 

社会は言いたいことを言えるようになっている。デモもできる。
誰も止められない、逮捕もされないし、死刑にもならない。
まるで初めからこのような社会であったかのように。

呆然と立ち尽くす許さん。
どういう心境なのか、わたしには想像もつかない。

 

生きのびた人たちにとっても、地獄の日々だった。「当人」だけでなく家族も。

許さんの娘は自分の家族を作ったが、関係は温かいものとは言えない。夫からの理解は感じられない。戒厳令は明けたが、あの苦しい日々を誰とも分かち合うことができない。

その辛さや恨みを父にぶつけるしかない。
父に?男性という存在に?

父は何も言えない。言わないというより言えない。「心を失った」が、言葉も失っている。唯一、彼には書く言葉が残されている。彼の知性、彼の尊厳はギリギリ死んでいない。病をおして、死を覚悟で、旅に出る。

 


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内容に目が行きがちだが、それを引き立たせている映画の技法がある。注目したいのは、四つの世界で構成されている点。

一、1990年代の世界。娘さんが話しかけてくるが許さんは無言。かつての「同志」に会いに行ったりする。

二、1990年代の世界の中の、閉じられた自分の世界。モノローグ。離人感。

三、過去の回想。若い許さん。妻と娘。陳さん。おそらく忘れようとしても何度もフラッシュバックするシーンなのだろう。見る側にも強く印象づけられる。

四、過去の回想を裏付ける、当時の史実、記録フィル厶。

これらを行き来することで、浮かび上がってくる壮絶な人生がある。

色、光、音、質感。ディテールの作り込みが、この映画に本物さを与えている。

 

また、言語の使い方にも非常に敏感だ。重要な鍵だから。

台湾語、北京語、日本語。特に、日本人としてのわたしは、許さんが知識層であり、日本語で彼の知性を磨き発展させたという点に、強く惹かれる。日本語の話者は、大なり小なり、この映画における日本語の意味を感じることだろう。ラスト近くのシーンはとりわけ重要だ。

もちろん言語だけではない。日本の志願兵として祝われながら出征し、骨となって帰ってきた若者たちについても触れられている。書かれている言葉「昭和19年之烈士 為國献身」......。言葉を失くす。

 

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最近、映画とは関係のない別の文脈から、"Lost Corner" という表現、 "Unsung Hero" という言葉に出会った。

Lost Corner、忘れられた、見捨てられた土地、領域。

Unsung Hero、歌われていない、賞賛されていない、日の当たらない英雄。

わたしたちの社会にもいる歴史の犠牲者のこと、現社会の犠牲者のこと。

自分自身が犠牲者となっている側面のこと。加害者と犠牲者が表裏一体であること。

この映画から発展して、さらに目を向けることを後押しされているように感じた。

 

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この映画のことは、今回の台湾巨匠傑作選で上映されたドキュメンタリー映画『中国新電影(ニューシネマ)時代』の中での、日本の映画批評家佐藤忠男氏へのインタビューで知った。同じ内容がこちらの論考にある。

日本財団図書館(電子図書館) 台湾映画祭 資料集?台湾映画の昨日・今日・明日?

 

わたしは1995年の公開時はもちろん、2017年の東京国際映画祭も観ておらず、2018年の台湾巨匠傑作選も視界に入らず、今回2021年の台湾巨匠傑作選でようやく間接的に出会った。今、なんとかネット配信でたどり着くことができた。

わたしには今のタイミングでよかったと思っている。人それぞれに出会いの時期や出会い方は異なる。「然るべき時」がある。

一つの作品を時期や場を変えて繰り返し上映し、映像や本や記事の形で記録を残してきてくれた数多の方々に、心から感謝したい。然るべき時にアクセスできることのありがたさ。

 

 

▼2017年東京国際映画祭Q&A 

youtu.be

  

▼上記トークのレポート

2017.tiff-jp.net

 

一青妙さんのブログ

ameblo.jp

 

 ▼劇中に登場する、原付に乗った被り物の集団。『台湾 街かどの人形劇』にも出てきて気になっていた。哪吒三太子という子どもの神様らしい。哪吒三太子を推している人も世の中にはいるという発見もうれしい。

www.k-3taizi.xyz

 

この映画を観たあと、また調べ物を進めた。

映画にも出てくる「馬場町」の処刑場について。(2020年)

www.excite.co.jp

2018年にオープンした国家人権博物館のバーチャルツアー。

jp.taiwan.culture.tw

 

教科書図書館では、台湾統治時代や満洲当地時代の国語(日本語)の教科書、台湾の高校生が使っている歴史の教科書などを見つけた。

 

どれも遠い昔のことではない。つい最近のことだ。

国家権力によって行われた人権侵害。権威主義で統治された時代。

 

台湾の歴史と日本の歴史について調べてきた一連の流れや、そこからの学びはなんだったのか。まだまとまった言葉にすることができない。

ただ、知れてよかったと思う。

今まで気になってはいたけれどハッキリとは見えていなかったことが見えた視界の広がり。歴史を学ぶことや記録し記憶すること。様々な表現で世に問い続け、それに反応し続けること。

 

わたしが生まれ、10代を生きていた1970年〜1990年代の話でもある。自分のルーツをたどるような思いもある。わたしは、ただわたしの身の回り、すぐ近くにあった環境だけで作られていたわけではない。同時代に世界で起こった出来事でもできていたことを痛感する。この自分事の感覚はどこから来ているのだろうか。今回のことをきっかけに、引き続き個人的に探究していきたい。

いつか、まとまって綴れる日が来ることを願う。

 

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