映画『陶王子 2万年の旅』
チュプキさんで #陶王子2万年の旅 を観た。人類が愛おしくなるドキュメンタリー映画。わたしの好きな調べ学習映画と呼ばせてください。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月17日
歴史に苦手意識がある方には、何か一つのテーマで串刺して、地理と共に訪ねるのをおすすめしてます。今回はテーマ「陶磁器」、形式「映画」で辿ってくれてる。 https://t.co/XfqiNIKG1V
土器以前、粘土を手遊びしていた原始の感覚まで遡る。実用のもっと前のおもしろい、楽しい。自然を写すもの、記憶装置への不思議。ふと焼いてみたらどうなるかな?赤い色にしたい!色を付けたい!きれいに模様を描きたい!もっとこんな色を出したい、こんな造形にしたいという憧れ、欲望、願いの変遷。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月17日
・人間は作ってみたい生き物。好奇心、創造性
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月17日
・映画ならいろんな場所に行ける、時間も自由自在。映像に浸る
・個別に名前は知っていた焼き物の産地(景徳鎮やマイセンなど)が一つのテーマ史の流れの中で語られる気持ちよさ。そういうことだったのか!
・トンデモなエピソードも!
・ミュージアムのある意味もわかる。調べて仮説を立てて、「ほんとうかな?」を確認したいとき、アーカイブされているモノが証明してくれる。あるいは大いなるヒントをくれる。逆に調査がモノに新たな側面を見出す可能性も
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月17日
・自分でつくったからわかることをやってみている人たちの姿。研究者、芸術家
人間の歴史でもあり、地球との関わりの歴史でもある。
まったくバラバラに存在していた事物、事象が、この映画によってつながれていく。パズルのピースが次第に全体像を成していくような謎解きドラマでもある。
旅に連れて行ってもらった。
陶王子をナビゲーターに据えるという発明がすごい。のんさんの声もぴったり。
一点、効果音の過剰さが気になった。もう少し控えめでもよいかなと思ったけれど、これが今の時代のドキュメンタリーの流行りなのかもしれない。
観た直後は、「人間は新しくつくりたい生き物である」その衝動や好奇心に共感し、愛おしく感じたし、たくましさを頼もしく眺めていたけれど、今ふりかえってみると、こういう行動が、環境を破壊したり、弱い立場の人を踏みつけてまでつくっていこうとするという面もあり、手放しで喜べないなとも思う。
東京オリンピックもそうだし、一昨に見学した生ゴミの飼料化再生工場や、最終埋め立て処分場での経験を思い出す。気候変動もそうだ。人間がつくったことで起こしてきた数々の損失。
いや、自分だってそうだ。つくりたいからつくるし、人にも環境にも負荷をかけてつくっている。
パンフレットにある監督の言葉にハッとなる。
「ナショナリズムに陥るな!」ーーそれが5年前にこの企画をスタートさせたときからのスタッフの合言葉だった。
陥り......がち!どちらが "本当の"ルーツだとか、どちらが優れているとか。ルーツや環境が影響を与えるものは大きい。そこから生まれるものを期待されてつくる。しかし「だから日本偉い」のではなくて、容易に陥るな......。
難しいけれど、2万年も歴史のあることで、いくつもの土地で偶発的に起こったり、交わる中で起こったことは、どちらがどちらの「おかげ」なのかは意味を成さなくなる。
長い時間の尺でひとつの物事をとらえ、その体感を持って日常をまなざすことで、陥る手前でブレーキがかかることはいくらもある。
とはいえ、「つくる」動力に嫉妬や競争心もあるのは否めない。その中で、できるだけ犠牲や負荷を少なく技術革新するって可能なのかな、ともぼんやり思う。
遠くに行きたくても行けないときに、時間や場所を軽々と超えて見せてくれる作品でもあった。そうか、そう考えると、ここ1年半の間に起こって混乱も、長い歴史のカウントできないほど短い出来事なのだろうか。
そう思うにはまだ時間がかかりそうだけれども。
チュプキさんでの舞台挨拶の記録。ツイッターからスレッド全体を展開してどうぞ。
『#陶王子2万年の旅』
— Cinema Chupki(チュプキ) (@cinemachupki) 2021年6月15日
上映は6/18(金)まで😳
水曜休館日を挟んであと2日🥺🥺
先々週に行われた柴田昌平監督によるトークをちょこっと紹介です! pic.twitter.com/LyBKAqZIsD
この本のことも思い出した。
『一万年の旅路 ネイティヴ・アメリカンの口承史』(翔泳社, 1998年)
口承でのみ伝わってきた部族の歴史が本になるというだけでもすごいが、その中身があまりにも想像を超えていて、衝撃を受けた記憶がある。自分の命もまた、このような継がれてきた命の先にあるという不思議。