ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『幸福 しあわせ』鑑賞記録

映画『幸せ しあわせ』をネット配信で観た。

 

youtu.be

 

アニエス・ヴァルダ長編3作目。 

あらすじ>https://eiga.com/movie/45049/

 

※ 内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

『幸福しあわせ』というタイトルとは裏腹の内容......。どのへんから不穏な感じが出てくるんだろう?と思いながら見始める。冒頭からやけに牧歌的な音楽が、映像とのバランスがやや崩れるギリギリのボリュームで入ってくる。なんだか怖い。

 

1965年のベルリン映画祭で銀熊賞と監督賞を受賞した作品だが、道義的に問題があるとされて、フランスでは上映に制限がかかったらしい。が、うーん、わたしは不倫が道義的にどうかというよりも、夫のフランソワが怖い。あーなんか気持ち悪いな、この人。残酷なのにピュアに見えて、見目麗しくて、騙される。

こういうわかりづらい形の暴力って起こってるんじゃないかな、家庭内で。

 

電報の紙で詩のようなラブレターを書いて不倫相手に渡す場面なんか、うええええ〜となる。平安時代は、即興で和歌つくるのが上手いとモテた、みたいな話を思い出す。そしてまた、「俳優のように」顔立ちの整った俳優同士が演じているので画になるのだ。観ているこっちも、ついうっとりしてしまう。展開しているのはえげつない行動や振る舞いなのに、画面がスタイリッシュ。

 

心情にそぐわない形で例の牧歌的音楽が入ってくるので、心地よくはない。

くるかくるかと観ていると、突然に不穏なカットが入る。

「わたしとどっちがいい女?」と聞くテレーズ。

「お前だよ」と即答するフランソワ。しかしその後にカメラが写すのは、フランソワが開けた食器棚の扉に貼られたピンナップ、グラビアの切り抜きだ。ベタベタと貼られている。シールがおもしろくてそのへんのタンスに貼りまくるような感じで。それらは、明らかに男性に向けたエロティックな肢体を強調するようなもの。

それがフランソワの自室にあるならまだしも、狭い狭い四人暮らしの家の、人が二人同時に立っていられないくらい狭いキッチン兼洗面所にあるのだ。

一瞬なので、「あれ、なんか気持ち悪いもん見たな。なんだったんだろ……」と思っていると、次のシーンは職場の木工所が写る。そしてまたここでも、食器棚があり、その扉にはグラビアが貼られているのだ!うわ、さっきのは見間違いやたまたまや些細なことではなくて、この人は筋金入りの何かだ!とわかるようになっている。

 

ピンナップ以外にも怖いシーンがときどき入る。

親戚の家での集まりの中で、楽しげにフランソワに話しかけるルイーズに、

「ピエロを抱きすぎだ、歩かなくなるぞ」

テレーズは答えず、ピエロを下ろす。

ペンキ仕事を終えて、テレーズが仕立て中のドレスに素手で触るのを咎められて、

「細かいこと言うなよ」

笑顔で去るテレーズ。(いや、言うだろ!商品だぞ)

 

愛しているの理由が、「きみは上手いから」「テレーズは植物みたいで、きみ(エミリ)は動物だ」。

そして、「楽しい理由、僕は嘘がつけないから」と実に楽しそうに告白する。

「あなたが幸せならそれでいい」とテレーズ。

「いいんだね!やったぁ」。

どういう悪夢を見ているんだろう、これは。

サイコパスと、サイコパスに取り込まれてしまった人?

映画『ビッグ・アイズ』を観たときの感じに似ている。

 

 

ジェンダーという観点から見ても異様だ。

情熱的な恋人も、結婚して子の親になってくれと言われたら、広い一人暮らしの家も手放して、子二人を学校あるいは幼稚園(Ecole Communaleと壁にはある)に迎えにいく。子どもたちを食べさせ、寝かしつけ、アイロンをかけ、森に行くといけば薪を組み上げて面倒をみて。

たぶん以前のような郵便局で同僚から切手を見せてもらったり、いろんな客と話したりはできていないだろう。働き続けているかもしれないが、時間は短くならざるを得ない。

自分が生んだのではない子を愛して育てなくてはならない。今後、エミリとフランソワの間に子ができたらどうなるんだろう。

 

けれども、フランソワは何も変わらない。

妻を亡くしてさえ、兄夫婦が面倒を見ると言ったりする。理由も述べられない。当たり前のように「(彼以外の)誰が面倒をみるか」という話をしている。「あなたは仕事があるから」とさえ言われない。森へ行けば子どもの面倒をエミリに見させて、「ぼくはちょっと一人で歩いてくるよ」と言えてしまったりする。

 

なんだこの世界!!

かつては、こんな世界だった?

いや、今もこんな世界?

 

この映画は、一見すると、モノガミー(一夫一婦制の婚姻)から外れる「不倫をしていて平気な夫」「それを許している(風の)女」を描いた問題作のようだ。しかし、埋め込まれているのは、ヴァルダによる冷静な観察のリポートだ。

 

挿入される看板をトリミングした単語「信念」「信頼」や、ダンスのシーン(木を真ん中に左右にカメラがパンしていろんな組み合わせのダンスを映し出す)や、テレーズが亡くなった理由(おそらくエミリには知らされていない)を、観客であるわたしたちは知っている。

 

また、配役の情報を見ると、フランソワ、エミリ、子どものジズーとピエロは、姓が同じなのだ。もしや家族で出演して、この役を演じている? こんな縁起悪そうな映画によく出ましたね……。

 

いやはや、観終わってからもすごい。

夫婦という複雑な関係と、閉じられた中に潜む狂気。それを強化する社会の規範や通念。そんなものを見た気がする。

 

ヴァルダの先見性、映像作家としての才能......。

これが1965年。凄すぎる。

 

シモーヌVOL.4』がアニエス・ヴァルダ特集だったのを機に、刊行記念イベントを視聴したり、リバイバル上映を観に行ったりしているところ。

 

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