7月上旬、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)を訪ねた。
ずっと来なければと思いながら、5年?6年?
#MeToo、沖縄、台湾と経てきて、ようやくタイミングが訪れた。
入ってすぐ、wamのエントランスには、証言した元「慰安婦」の女性たちのポートレイトが壁一面に貼られている。一人ひとりの存在、それらがまず胸をえぐる。
白い花の印は故人ということだろう。そして、訪れる度にこの花の数は多くなっていくのだろう。
展示スペースは、思ったよりもこじんまりとしているのだが、パネル展示を見てみると、情報量が多く、はじめて知る内容ばかりだ。メモを取りながら見ていると、2時間近く経っていた。
現在の特集展示は、今までどこでも見たことのない(少なくともわたしは)ものがテーマになっている。そういえば不思議だ。なぜこのことが取り扱われてこなかったのか。
「慰安婦」と括弧付きである意味......。
その名称は、制度を組織的に作り、容認し、参加した人間が勝手につけたものであり、彼女たちが自分たちを自ら呼んだものではない。そこが非常に重要だと思った。
2000年12月に「日本軍性奴隷制の責任者を裁く女性国際戦犯法廷」が東京で開かれていたそうだ。
社会でそんなことが起こっていたなんて、わたしは全く知らなかった。いや、他のどんなことにしても考える余裕がなかった。仕事に時間やエネルギーを奪われ、生きているのがやっとだった。食べる時間があればいい方だった。まったく働き方は社会への関わり方に直結する。
台湾について、台湾と日本との関係についてわたしなりに学んできた流れも、ここへつながった。一人ひとりの証言が重い。しかし、このようにまとまっていなければ、なかったことになってしまう。
誰もが一度は訪れるべき場所だと思う。
「日本」にルーツを持つと自覚している者は特に知らなければならない。知ることから。
過去にあったこと。それらの延長上に今があること。戦争は終わっていないこと。
無視した、逃げた、追及しなかった。癒えていない傷の果てが今......。
見落としていること、知らないできてしまったこと。
戦争の話をするときに、必ず抜け落ちているもの二つ。
それが生き延びた人たちは、今を生きる人たちも苦しめ続けている。
何をシェアしていきか、何を伝えていくか。
考えなければならない。
▼「東京裁判は、ジェンダーや植民地主義への認識が欠如していた」この点、『東京裁判』のBlu-rayを買ったので確かめる。
▼こちらも読書中。
『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』平井美津子/著(高文研, 2017年)
▼『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』松井久子/編(岩波書店, 2014年)
本書には「強姦救援センター・沖縄(REICO)」を設立した高里鈴代さんのインタビューもあり、読み直す。初夏から追いかけてきた沖縄ともつながった。
▼ドキュメンタリー映画『何を怖れる』公式HP
http://feminism-documentary.com/
▼池田恵理子さん出演動画
まだわたしは観られていない映画『主戦場』。ここにwamの方が出演されているそう。
時間が経つごとに、進展するのか、後退するのか......。すべてはこれからのわたしたちにかかっている。