2009年に亡くなったマレーシアの監督ヤスミン・アフマドを追悼する会、「わすれな月」にオンラインで参加した。
この会はいつもはオフラインで京都で行っているそうだが、感染症流行の現状を考慮して、今年はオンラインでの開催となった。そのおかげでわたしも参加することができた。
今回は、事前に日本のマレーシア映画を鑑賞して、それを土台に当日はゲストを招いてトークセッションがあり、視聴者もそこに質問やコメントの形で参加するという流れ。
2本のマレーシア映画のうち、一本はヤスミン・アフマド監督の『ムアラフ-改心』。ヤスミン監督にとっては5作目の長編となる。6作目が遺作となった『タレンタイム』。
2003年『ラブン』◎
2004年『細い目』◎
2005年『グブラ』
2006年『ムクシン』
2007年『ムアラフ -改心』◎
2009年『タレンタイム〜優しい歌』◎
並べてみると、ほぼ1年に1作のハイペース。すごい。(◎はわたしが鑑賞済みの作品)
▼参考サイト
今回のオンライン上映で観た『ムアラフ』は、マレーシア映画としては初めて宗教を正面から取り上げた映画と評価されているそう。これは今まで以上にタフそうだな......と思いつつ、「そこはヤスミンだから、きっと愛のある方法で描くんだろう」と、彼女の作品に自分が絶大な信頼を寄せていることを喜びながら、鑑賞した。
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ムアラフ(Muallaf)
ヤスミン・アフマド監督/マレーシア/2008年/97分/日本語字幕カトリック学校で教える華人キリスト教徒のブライアンは、子ども時代に心の傷を抱えて信仰と家族から遠ざかっている。マレー人イスラム教徒のアニとアナの姉妹は父親の虐待から逃げて地方都市イポーで暮らしている。アニたちとの付き合いのなかで、ブライアンは信仰と家族に対して閉ざしていた心を開き始める。(わすれな月2021ウェブサイトより)
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※以下は、映画の内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。
▼鑑賞メモ
・最初は設定や人物関係がよくわからないし、説明もされないのだが、じっくりと観ていくと次第に事情が見えてくる。マレーシアの人にとっては既知なので説明する必要がないということかもしれないし、異文化の人間にとっては、いきなりその世界に飛び込まされることで、先入観なく出会える。
・ブライアン。英名だが見た目は華人系、英語を話す。玄関マット"WHAT DO YOU WANT" は警戒心の強いブライアンの性格もあらわしてもいるし、観客への問いかけのようなタイミングでも映る。
・アニとアナはよく似ているから実際も本物の姉妹とわかる。見た目はマレー系、マレー語を話す。「土足禁止」「ムスリムなのに酒場で働いている」。タンクトップとホットパンツとハイヒール。イメージとのいろんなギャップ。
・姉妹が父から逃げているという事情。壮絶な虐待。他にも父親に殴られて植物状態で入院している子に聖書を読み聞かせるためにときどき病院を訪ねるシーンもある。驚くブライアン。父親は逃げて、母親は行方知れずという。これは今までのヤスミン映画にはない踏み込み方だった。親から子の他、男性から女性への暴力についても描かれる。この描写はつらかった。ヤスミンの重要な社会への問題提起だったのだろう。
・次第に明らかになる、ブライアン自身も父から性的虐待を受けた過去を持っていた。「宗教」が人を傷つけることがある。それは変えられないのか?それを止めなかった母親を恨んで、きつく当たっている。もしかすると母も父から暴力(身体的か精神的か)を受けていたのではと想像される。
・「人は知らないものを怖がる」
・「今日自分を傷つけた人を許す?」これはヤスミン自身の習慣だったとか。特定の宗教を超えた、自分自身との対話。これもまた信仰ではと思わされる。ムスリムだけれど、キリスト教も学んでいる姉妹。こういったことはおそらく通常では考えられない?
・ブライアンの孤独に対して、アニ「人はなぜ他人に希望を求めるのかしら?」彼女が境界線は守っていることが観客を安心させる。
・「悪いのは父じゃない。酒よ。酒は多くの人を傷つける。なのに誰も禁止しない」それ!わたしも禁止まではいかずとも(禁止するほうが脱法しやすいから)規制をもっとかけられないのかと思う。
・暴力の深刻さを提起しつつ、単純に善人と悪人に分けないところもまたヤスミンらしい。でもやっぱり女性や子どもへの暴力については、これを観た社会が、正面から受け止めてほしい、と個人的には思う。
・インド系のシバ先生「だれもが自分の神を求めている。それぞれの方法で」
・アニに惹かれていくブライアン。家事と猫の世話を頼まれて、いそいそと出かける。アニを通して他者を知っていくブライアン。同時に自分の求めてきたものも知る。人とのつながり、家族のぬくもり。怒ること、許すこと、癒えること、愛すること。
・父親が倒れたことによって、アニはシンガポールで学ぶことを一旦諦め、父の介護に専念すると言う。これは「逃れられない血縁」とも言えるし、観ていると「もったいない」と言いたくもなるが、他の見方をすれば、「アニなりの尊い決断」とも言える。「学ぶことはその方法でなくてもできる」や「何歳になっても学び直せる」という提起かもしれない。彼女のことだから、「何を最優先するべきか」をいつも瞬時に熟考して決断するんだろう。頼もしくて、眩しい。
・二人は民族的ルーツと宗教が違うから、法律的に婚姻しようとすると、現実の世界では「どちらかが改宗する」しか選択がない。そして多くの場合、ムスリムではない人が、イスラム教に改宗することが多いのだそう。そうすると、ハレもケも生活習慣が変わり、冠婚葬祭のしきたりも変わり、参加することができなくなる。
・この先のストーリーは、わたしの想像では、アニとブライアンは、結婚という形式をとらずに、一緒にいる方法を探っていくのではないかと思う。結婚とは、夫婦とは何かを小さな存在なりに、切り拓いていくのではないか。自分の願望も込めて、そう想像する。
映画を通して、他の文化を知り、人間の多様さを知り、美しさと醜さを知る。
人と共に生きるのは難しいけれども、過去の痛みが癒えるには時間がかかるけれど。
きょうも人は生きているし、音楽や歌が一瞬でいろんなものを超えることも、人間は知っている。
ヤスミンの作品にはこういう希望がいつもいつもある。別の世界線へそっとズラしてくれる。それは現実から外れすぎない理想の物語。いつもありえるのではと思わせてくれる。人々が願えば、行動すれば、きっと変わっていくよと教え続けてくれる。
ヤスミン・アフマド映画と人とを知るためのこれ以上ない充実の参考書。
『マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界――人とその作品、継承者たち』(英明企画編集, 2019年)
タレンタイムのDVDに書籍や解説冊子付きスペシャルパックもあり。
書籍の編者で、混成アジア映画研究会主宰の山本博之さんのオンライン講座も見応えあり。ヤスミン・アフマドの映画思想や世界観についてもっと知りたい方に。