ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『不即不離』@わすれな月 鑑賞記録

『不即不離』は、マレーシアのヤスミン・アフマド監督を追悼する会「わすれな月」の企画で観た映画。 このような機会でもなければ、観ることもなかった作品だから、貴重だった。

不即不離とは、「二つのものの関係が深すぎもせず、離れすぎもしないこと。つかず離れず、ちょうどよい関係にある」ことを表す四字熟語。

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不即不離―マラヤ共産党員だった祖父の思い出(Absent Without Leave)

ラウ・ケクフアット監督/台湾・マレーシア/2016年/84分/日本語字幕

ラウ監督の自伝的なドキュメンタリー。祖父の思い出が全くないラウ監督は、マラヤ共産党員だった祖父が植民地政府に射殺されたことを知る。マレーシアでは現在でもマラヤ共産党について公に語ることが憚られ、関係者の家族・親戚はひっそりと暮らしている。今も祖国を思いながら中国や香港、タイで暮らす元マラヤ共産党員の証言を通じて、これまで語られなかったアジア現代史の一端を明らかにする。

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詳しい解説>http://yama.cseas.kyoto-u.ac.jp//film/report/2017awtl.html

 

youtu.be

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※以下は映画の内容に詳しく触れています。未見の方はご注意ください。

 

▼鑑賞メモ

・「僕」も家族の記録映像がほしかった。父も写っている写真は一枚だけ。父は写っているがどこか遠くを見ていて、ここにはいない感じ。しかし、「父にも父がいなかった」ことが判明する。僕と父、父と祖父の関係を通して、遠い祖父とその時代を訪ねる中で、マレーシアでもあまり知られていない「マラヤ共産党」の姿が見えてくる。

・時代背景については、わたしが書いていることより、こちらの解説のほうが詳しいし、正確だと思います。

・1930年代のマラヤ。イギリスの植民地支配下でも、華人たちは故郷を離れた身でも、中国の抗日戦線を援護しようとした。「マラヤ共産党抗日隊員」紙の花を作って売って、お金を募金して支援した。その頃の花売りの歌を歌う女性。

・1941年に真珠湾攻撃ののち、日本軍は14万人の兵力でマレーシアを60日で陥落させた(1942年)。そして、抗日支援への報復として華人を虐殺した。シンガポールでは華僑の粛清を行なった。華人たちは「マラヤ防衛のため」に蜂起し、イギリス植民地政府(ここの関係も複雑だった)、マレー人、インド人と共に革命に参加した。

・1945年に日本が降伏。しかし監督の祖父は、党の幹部で、戦争が終わっても家には帰れなかった。日本のあとイギリスが再び植民地として支配しようとし、それに抵抗して、イギリスに殺された。マラヤの独立と民主を求めたが大勢が捕まって、中国に送還された。(弾薬が湿っていたから中華鍋で炒めて乾かしたという「武勇伝」がすごい)

・タイの祖父の元マラヤ共産党の戦友が暮らすエリアにあるお墓。工場の一角。抗日の集会をしていたときに日本軍に殺された18人。遺骨はジャングルに眠る。

・香港で暮らす元マラヤ共産党の男性。マラヤ警察に捕まって死刑判決を受けた。20年服役して釈放し、中国へ「追放」された。「命がけで国を守っても(マラヤの)国民扱いされない。民主化を求めても、命を落としても忘れ去られた。どうすればこの国で国民として認められるか」

・1950年〜1957年に2,3万人が中国に送還される。折しも文化大革命の頃、スパイ容疑がかけられ、収容所へ入所させられる。女性の中には小さな子どもを持つ人もいて、中国に渡ったらいつ死ぬかわからないからと、子どもを親戚や知人に託して帰った人も。後年、シンガポールで(マレーシアではない場所で)あったが、「親の自分に親しみを感じないと。これが娘を捨てた罪。娘は悪くない」

・戦争中に党員が生んで育てられなかった「ゲリラっ子」たち200人以上が養子に出されたすべてを犠牲にしてマラヤに命をかけた結果、家族離散......。台湾映画『超級大国民』でも、「理想を追った結果、家族をこんなふうにして」となじる娘が出ていた。これも普遍的なテーマ。。あとから自分の子にしたいと思ったが、タイ語しか話せない子、タイ語が話せない自分は親子にはなれなかった夫婦、「わたしたちは生涯を革命に捧げた。だから若者を自分たちの子のように思っている。歴史の巡り合わせだと考えるようにしている」

・中国・広州での集まり。23,4才で中国に「帰還」させられた人たち。すっかり老いてしまったが、今もマレーシアに帰りたい。夢でしか帰れないと嘆く。アイデンティティは中国人であり、中国は祖国だが、生まれ育ったのはマレーシア。わたしには想像するしかないこの複雑さ。しかし追放されているから足を踏み入れることができない。。

・ゲリラ活動の中でも、バドミントンやバスケ、盆踊り(これは日本の風習の?)などで楽しむ若者たちの姿が胸を打つ。

 

日本軍がアジアで行ったことの加害のひとつの面。今回初めて知って言葉もない。日本がマラヤに侵入しなければ、この人たちの家族間、民族間、市民間の分断もなかったかもしれないのに。

現在、マラヤ共産党を肯定する作品は、マレーシア国内では上映することができないという。省みられることがないため、今も当事者や遺族含め、排斥の悲しみや分断の苦しみを抱えている人がいる。

つくづく戦争のもたらす悲劇には果てがない。

 

ラストに戻ってくるのは、監督と父との関係だ。冒頭のぴりぴりと緊張した雰囲気に比べ、ずいぶんと穏やかでリラックスしている。子によって理解されること、父と息子の間で「和解」が起こること、それもまた平和への一歩。個人的で小さな働きかけが、時間をかけてさまざまに伝播し、さまざまな個人や家族に影響を与えていくのではないかと期待を抱かせるラストだ。

監督のルーツを探る旅は、思わぬ事実を明らかにした。大きな枠組みの中で語り直されていくことには時間がかかるだろうが、地域によっては次第に、個人の物語としてなら語れる時代になってきた。テクノロジーの発展もある。

個人のナラティブを通じて歴史を幾重にも辿り直す。その束によって、歴史の認識は変わっていくだろうか。変わりようがないと思えたことも、非暴力の手段で変えていくことができるだろうか。

 

 

▼関連資料

交錯する国歌、反転する望郷の歌 映画『不即不離』に見る歴史的記憶とマレーシア華人アイデンティティ/村井寛志(『マレーシア研究7号 2019年』)

http://jams92.org/pdf/MSJ07/msj07(012)_murai.pdf(PDF)

 

 記憶がつなぐ社会の亀裂と家族の離散 映画『不即不離―マラヤ共産党員だった祖父の思い出』の制作と上映をめぐって ラウ・ケクフアット/編集委員会訳(『マレーシア研究7号 2019年』)

http://jams92.org/pdf/MSJ07/msj07(004)_lau.pdf (PDF)

 

マレーシアの歴史のタブーについては、ラウ監督の第二作も。(やはりこういった映画は、マレーシアにいるほうが制作が難しいのかもと思わせる切り込み方。。)

『斧は忘れても、木は覚えている』(The Tree Remembers/還有一些樹)

2019年/制作国:台湾(撮影地:マレーシア)/上映時間89分
◎監督:ラウ・ケクフアット(Lau Kek Huat 廖克発)
◎言語:華語、英語、マレー語、オラン・アスリ語
◎日本語字幕付き
◎受賞歴:台北金馬映画祭(2019)金馬奨ドキュメンタリー賞ノミネート、台北映画祭(2019)ドキュメンタリー賞・音楽賞・音響デザイン賞ノミネート

http://www.cinenouveau.com/sakuhin/thetreeremembers.html