『1秒先の彼女』(2020年)→『熱帯魚』(1995年)の順で観るのがよかった。
源流を辿る感じで。
『熱帯魚』は当時話題になっていたけど見逃し、そのまま月日は流れ。台湾映画祭でも上映あったのに縁なく。
今年の台湾映画祭で観た『台湾新電影(ニューシネマ)時代』か『あの頃、この時』かどちらか(どっちでも?)紹介されていて思い出し、今度見かけたら絶対観ようと思っていた。
1995年頃の台湾映画といえば、侯孝賢『好男好女』、蔡明亮 『愛情万歳』、萬仁『スーパーシチズン 超級大国民』、楊德昌『エドワード・ヤンの恋愛時代』『カップルズ』、李安『恋人たちの食卓』など、台湾ニューシネマのその次の波。当時学生だった私にもその盛り上がりぶりは伝わってきていた。
『熱帯魚』はゲラゲラ笑った。
こういうんが観たかったね!これぞ喜劇!
そして笑ったぶんだけ哀愁もある。『吹けば飛ぶよな男だが』に近い笑い。
戒厳令解除後の拝金主義的な社会で、学歴獲得にあくせくする大人とそれに従わされる子どもたち、そこについていけない人たちの対比と不思議な交流。都市と地方の格差、個人間の貧富の差。過酷な世を風刺して笑い飛ばす。
まるで今の日本を見ているようでもある。既視感......。
「お上品」なニューシネマに汚い・臭いで殴り込みかけた若者(監督)の勢いみたいなものも感じる。
笑いの中にも女性の辛さや旧体質の家族観や地域コミュニティの構造、広くは社会にある女性差別が見えてくる。映画が描き出している。
「お上品」なニューシネマに汚い・臭いで殴り込みかけた若者(監督)の勢いみたいなものも感じる。
笑いの中にも女性の辛さや旧体質の家族観や地域コミュニティの構造、広くは社会にある女性差別が見えてくる。映画が描き出している。
それを深追いするのでもなく、物語の添え物でもなく、絶妙なところで止めているところが素晴らしかった。
誘拐先のおばちゃんがやってる商売が見世物小屋。たまたま最近見たチラシに似たようなのがあった。
『1秒先の彼女』のほうは、ちょっと気持ち悪さが上回って、手放しでは楽しめなかった。着想はおもしろかったし、旅行では見えない台湾の普通の人の生活が垣間見えてわくわくしたり、『1秒先』から『熱帯魚』に遡る形で二本立てで観たことで原点回帰を目指したことがよくわかったけれども。
音楽もポップで楽しかった。主演のリー・ペイユーの歌もよかった。けれども。
『1秒先の彼女』で感じた気持ち悪さは、ホフマン物語についてのラジオ番組を聴いていて腑に落ちた。人を(特に女性を)動かない人形として理想化することの気持ち悪さだった。
今回、『ラブ ゴーゴー』も同時上映していたが見逃したので、またの機会を待つ。
*追記
『ユリイカ2021年8月号』の「特集:台湾映画の現在」で、チェン・ユーシュン監督へのインタビューが掲載されていた。インタビュアーは栖来ひかりさん。
まさに私がおぼえた違和感について、インタビューの中で質問してくださっている。
読んでみて、やはり監督の他の作品も観てみたいと思った。特に『健忘村』は「フェミニズム運動映画でもあった」と監督自身が言っているので、気になる。
*追記*2022.6.20
牟田和恵さんによる記事。私が感じた気持ち悪さはこういうことだ。インタビュー中の監督の反発にもギョッとしたことも思い出した。