田端文士村記念館には、シネマ・チュプキ・タバタさんに行くときにチェックして、展示替えしていたら立ち寄ることにしている。
今回の企画展は、「愛とサヨナラの物語 芥川龍之介・田端文士たちの一期一会」と「旧居跡地に刻まれた記憶」の二本立て。
北区が2018年に芥川龍之介の旧宅の一部を購入したこと、芥川龍之介記念館を作る予定があるそうだ。
今回は、その土地の埋蔵発掘調査で出土した生活用品のうち、芥川家の暮らしと関連するもの(所有物かどうかは特定できないが)を紹介しますというのが「芥川龍之介 旧居跡地に刻まれた記憶〜出土品から辿る渋沢栄一との繋がり」の展示だった。
入って右の部屋。
2021年はNHK大河ドラマで「青天を衝け」の放映があって、渋沢栄一にゆかりの北区は何かと力を入れているのだった。こんな感じに→http://shibusawakitaku.tokyo/history/
一階ホールスペースと突き当たりの地図の裏では田端に暮らした文人たちの愛と別れの人間模様、「愛とサヨナラの物語」展。竹久夢二が田端にも暮らしていたとは知らなかった。その経緯や顛末もなかなか派手。
芥川龍之介と妻・文のやり取りは微笑ましく切ない。
鑑賞メモ
・龍之介没後、妻・文と子たちは17年間田端の家に暮らした。その後戦争のため、文の実家がある鵠沼海岸に疎開した。田端の家は昭和20年4月13日深夜の空襲で全焼。
・出土品「耕牧舎の牛乳瓶」渋沢栄一が興した耕牧舎。龍之介の実父・新原敏三は耕牧舎の牛乳販売店の管理者の仕事をしていたというつながりがある。
・出土品「楽天堂醫院の薬瓶」楽天堂の下島勲は龍之介のかかりつけ医。死亡確認も行っている。親子ほども歳の違う下島を慕っていたという。
・芥川家はお隣の鋳金家の香取秀真(ほつま)と家族ぐるみの付き合いをしていた。
・近所にたくさんの交友関係があり、頼れる年上の男性もいたのに、やはり早すぎる死は惜しい。ここに来るたびに思う。
・昭和4年6月13日 飛鳥山邸内庭園にベンガルの詩聖タゴールを迎えている。タゴールと渋沢栄一の写真は「青淵遺影」におさめられている。
この記念館で知った本。
芥川龍之介、その素顔とは―
芥川作品を理解する一助となるよう、作品そのものから離れ、
本人が書き残した書簡や記述に、家族による記録をまとめた一冊。
家族が間近で見た様子を辿っていくと、そこには、よく悩み、よく笑い、よくしゃべる、
ひとりの人間・芥川龍之介の姿が浮び上ってくる―
「家族」という側面から夫として、また父親としての芥川の素顔にせまる。(Amazon書誌情報より)
家族にしか見ることのできない龍之介の姿が現れる。ブックデザインもよい。ここに訪れる度に少しずつ立ち読みしている。(買っていなくてごめんなさい!)