ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

本『ファシズムの教室:なぜ集団は暴走するのか』読書記録

ファシズムの教室:なぜ集団は暴走するのか』田野大輔/著(大月書店, 2020年)を読んだ記録。発売されてわりとすぐ買って読んだのだけれど、記録をつけるのが遅くなってしまった。

 

 

(帯より)

ファシズムの「魅力」とは?

ウェブ上で話題沸騰のナチスを体験する授業を通して、
ファシズムの仕組みに迫る。ナチスの大衆動員の実態から、
ヘイトスピーチなど身近な問題まで論じる、
民主主義のための新たな入門講義。

 

ナチスが行ったことを知ったときに多くの人々が抱く、「なぜ当時の人々はナチズムに染まってしまったのか、なぜ気付けなかったのか、止められなかったのか」という問いに構造や仕組みの面から答えてくれる本。

「体験学習」についてはとても慎重に扱っている。中身について紹介する前に、「なんのために行うのか」をまず第2章で抑えている。

そしていよいよ第3章。以前ウェブ記事で授業の概要について読んだことがあったが、こうやって一つひとつ「懇切丁寧に」説明されると、とても複雑な気持ちになる。

実際にこの授業を受けてみたいかと聞かれたら、私はNOだ。

とても怖い。読んでいるだけで十分だ。つまりこの本の目的は達成されている。この授業を全員が受けなくても、読者が擬似体験を通して学ぶことができているから。

体験後のデブリーフィング(被験者への説明)が何よりも大切だとして、本書でも第4章でページ数を割かれている。

 

とはいえ読みながら心配になってしまった。この授業を受けた人や、役を演じた人たちが、いくら同意しているとはいえ、心になんらかの傷を負っていないかという点。

もちろん体験授業の説明は十分に行い、学生は内容に同意して履修するし、タームの途中で離脱することも自由だ。とはいえ、学生には単位取得という目的があるから、途中離脱はしにくいのではないか、我慢してしまうのではないかと思ってしまうし、いくら同意して履修しても、いざ体験してみたら思っていたより辛かったということもあるのでは。メンタルケアが必要なレベルではないかとまで想像してしまった。実際に受講した人たちはどうだったのだろう。

 

よくコミュニケーションの講座で、「よくないコミュニケーションの例を実践して、そこから気づきを得よう」というワークが行われることがある。以前はなんとも思わず参加していたのだが、あるとき2回ほど立て続けに失敗の実践例に参加して辛くなったことがあった。それを経験してから、自分の講座ではわざわざよくない例を練習するようなことは決してするまいと決めた。

この「ファシズムの教室」の体験授業は、なんとなくあれに似ているところがある。その心理的負担の感触として。

恐ろしさを知るために実際に体験してみるという意図は理解できるが、本当に体験してみないとわからないのか、そこまでやらないといけないのか、という気持ちがわいてくる。平気な人もいるから大丈夫なのかもしれないが、このあたりがとてももやもやしている。

今はこの授業は行われていないそうなので、もう心配しなくていいのかもしれない。この本が出たことで、擬似体験できるようになってホッとしている。本で読んでいるほうが安全だから。多くの人が想像力を使って、ファシズムの「ヤバさ」を実感できるといい。

 

私たちは容易に集団心理に巻き込まれる。いや、既に巻き込まれている。知らず知らずのうちに加担している。ファシズムはいつも私たちの中にある。それに気づけるか、立ち止まれるか、踏みとどまれるか、引き返せるか、引き止められるか。

 

(本書・はじめにより引用)

ファシズムは決して抑圧的なものとは限らず、愛国心大義への献身を鼓舞しつつ、人びとを積極的な行動に駆り立てる力をもっている。そうした危険性に目を開かせることが今、求められているのである。

 

 

著者の田野さんの記事。

gendai.ismedia.jp

 

▼この本の内容に関連していると思われる本と映画。

NHK 100分de名著 ル・ボン群衆心理』

 

セルゲイ・ロズニツァ〈群衆〉ドキュメンタリー3選

国葬』『粛清裁判』『アウステルリッツ

www.imageforum.co.jp

 

 

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 2020年12月著書(共著)を出版しました。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社