ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

本『あのこは貴族』読書記録

『あのこは貴族』山内マリコ/著(集英社)を読んだ記録。 

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読み終わってポツンと涙が出た。

なんの涙だ。

年末年始でナーバスになっているからなのか。

東京と「地方」、「学歴競争」、階級社会、『ディスタンクシオン』、『香川1区』から見えてきた政治の世界もチラつく。


ああ、原作の力よ、文字でしか表せない小説の世界よ、すばらしい。

11月に映画を観て(鑑賞記録)、感想シェア会《ゆるっと話そう》もやって(レポート)、個人的にも深く影響を受けている作品。原作のイメージがかぶりそうで、ファシリテーションしづらいと考えて、あえてそのときは読まなかった。

年末年始で時間ができたので読み始めたら、一気に最後まで連れて行かれた。小説の良さを久しぶりに味わった。

 

人と人との間で「なぜ話が通じないのか」の根本的なところを突いている。SNSのエコーチェンバーという現象が、人がいかに狭い世界の中で生きているのかをあらためて教えてくれたが、みんな本当はとうに気づいている。幼い頃から、繰り返し気づかされてくる。ふるいにかけられ、態度で示され、居心地の良し悪しから勘づき......。

「世界が違う」「階層が違う」「持てるもの・持たざるもの」小さな違いをうまく組み合わせて、受容したり排除したりしながら、どうにか自分の居心地の良さを確保している者としては、身につまされる。その構造を物語にのせて、他人の人生として眺めることで、自分の人生についても少し見られるようになる。

どこに生まれて、どこで暮らしていても、生まれたときから日本以外の国だったとしても、これはかなり、どこにでも存在する構造のような気がする。そこに対する思い入れが、具体的な固有名詞「東京」や「慶應大学」や「新丸子」などで強く出てくるかどうかの違いで。

 

私自身は大学は東京ではないし、強い連帯感を持つような雰囲気のところではなかったので、大学への思い入れや「人生のサクセス」と結びついた話題になると、一歩引いてしまうところがある。そこに人を惹きつけて止まない何かがあるんだろうということはわかる。お正月に行われる箱根駅伝にも特に思い入れがなく、私以外の全員が夢中でTVを見ている場にいた時は地獄のようだった。なんてことをふと思い出したりする。けっこうずるずると辛いことも出てくる。

たとえば映画でも原作でも出てくる「お雛様」の話題。私にとってはこれが地雷だったりする。ちなみにお正月の「おせち」や「お雑煮」もけっこう地雷。のれない話題。だからこの時期は憂鬱なのである。そんなときに『あのこは貴族』を読んで余計にナーバスになったのかもしれない。一人ひとり「ぐうう」となるポイントがありそう。性別にかかわらず。

もしかしたらこの物語は、社会への告発なのかもしれないと思う部分もある。「みんな一緒」じゃないんだよ、という。多様性とかいうけど、違いを知りながら生きていくのはけっこうタフだよ、と。

 

いやしかし、これを映像にしようとして、一体どれだけの作り込みがあったんだろうと想像し、ちょっとくらくらします。ほんの数秒のカットも観客が「信じられるもの」にするために。それを生身の人間、役者さんが演じてくださることの有り難さよ。それぞれの人でなければ出せない存在感があるから。

脚本になったときに追加されたもの、採り入れられなかったものもある。話者の入れ替えや語られるタイミングのズレなども映画を観た後だから気づくが、それが読書を妨げるものではなかった。むしろその改変が映画としての魅力を高めていたと思うし、原作の偉大さも痛感させる。どちらもそれぞれの表現形式に相応しい作品として、またそのタイミングを考慮して、世に出されている。

どちらかといえば、映画のほうが出てくる人たち皆それぞれの「世界」や「事情」などが透けて見えてくるところだ。きめ細かく作り込まれている。それは映画が画面を読む必要があるからでもある。

原作のほうは、華子や美紀の心情が豊富に綴られている。映画を思い出しながら、彼女たちの内面ではこういうことが動いていたのかと想像したり、「どちらでもある自分」を発見したりする。小説には言葉で物語を彫り出していくようなところがあり、自分の内側もまた彫られて何かが形作られていく。

原作の相楽逸子さんが私は好き。そこで近松門左衛門の『心中天網島』を出してくるか!というシーンがよい。語りも熱い。それにつられて美紀も美紀らしさが出てくる。マンダリン・オリエンタルでの会話は、やはり新しい女性たちの関係を表していた。

 

原作は2016年11月30日に刊行されている。初出の「小説すばる」での連載が2015年10月からだ。そこから今までの5年、6年を思うと、なんと自分は変わったのかと思う。

そしてゆっくりではあるけれど、社会も、世の中も少しずつ変わってきている。

それが仮にある「極小のコミュニティ」の中だけのことだとしても、私自身が息がしやすくなってきたことが有難い。まずは自分を中心に考えて、これがあることがうれしい。

この物語が原作でも映画でも伝えてくれるのは、「人生には自分にはどうしようもできなかったことと、自分で選んで変えていけるよ」という力強いメッセージだと思う。

 

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