ひととび〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『東京自転車節』@オンライン配信 鑑賞記録

オンライン配信イベントで映画『東京自転車節』を観た記録。2021年9月3日。

tokyo-jitensya-bushi.com

 

ネット配信ではなく、リアルタイム配信のイベント。

手持ちカメラやGoProでの撮影がめちゃくちゃ揺れるので、映画館で観ていたら多分画面酔いして気持ち悪くなっていたと思う。明るい中で音量調整しながらPCの小さな画面で観られるのもよかった。オンライン配信、ありがたかった!

最初は他の人たちと一緒にわいわい観ている感じがして楽しかったが、わりと早い段階で笑えなくなり、コメント欄をオフにした。

映し出されている姿に考え込んでしまった。

 

※内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。

 

今記憶に残っている印象的なことは2つ。

 

1つめは、奨学金のこと。

監督は大学の奨学金を返さねばならない借金として抱えている。大学卒業と同時に借金を負わされている。しかしコロナの直前にしていたのは、非正規雇用の仕事だ。そしてこの映画の中では東京に「出稼ぎ」に来て、Uber eatsの仕事をしている。借金を抱えてまで通った大学は、彼の社会的身分を安定化するようには働かなかった。それでも無情にもかかってくる催促の電話。返済どころか生活費も底をつくという状況なのに。

それは彼が奨学金(という名の借金)を定期的に支払えるだけの収入を得られる仕事についていないからとも言えるし、彼がそれを選択しなかったからなのかもしれないが、だから仕方がないということではなくて、つまり、「そもそも大学に行くために500万円も学費がかかるのはなぜなんだ」「どうして若者に丸のせしているのか」「そういう仕組みになっているんだ」ということだ。監督の場合は20年に分割して返済しようとしていて、利子がついて700万円という状態になっている。しかし全く返済できていない。

私たちの社会は、学びたい人が学ぶことを応援できない。「学ぶことも自己責任」になっている。あるいは、「生まれ育った家庭の経済的環境によって得られる・得られないが決まる」とも言える。

今や半数の学生が奨学金を受給している。
https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifeevent/761.html

学費が払えないから奨学金を得て、そして学んで卒業しているのに、思うように収入が得られない若者がいる。こんなことでいいわけがない。こんなシステムをいつまで継続するのか、支持するのか。

参考図書『経済的徴兵制をぶっ潰せ!戦争と学生』(岩波書店, 2017年)

 

 

2つめは、デリヘルのこと。

監督はUber Eatsで働く日々の中で、27歳の誕生日を迎える。せめてきょうくらいはと安宿に泊まる。そして「人肌が恋しい」というナレーションに続き、デリヘルを呼ぶ監督。この宿にスタッフが派遣されてきて、客である監督に性的サービスを行う、という流れなのだ。

いや、そんなところまで撮るのか、見せられるのか、と一瞬ギョッとする。

しかし結局、請求額に対して持ち金が足りないことが明らかになる。しかもキャンセルもできない。せめて払った分は、来るはずだった女性の手に渡るように頼む電話をかける監督。

私はここのくだりで愕然としてしまった。デリヘルが「コロナで割引サービス中」となっていたのだ。ほとんど労働力の搾取じゃないのかと思ってしまうような対価設定の業態で、朝から晩まで身を粉にして、心も体もヘトヘトに疲れ切った男性が、別の産業で働く女性の労働力を安く買おうとしている図がある。

いや、もちろんここでは誰もが同意の上で働いてはいる。同意の上で契約が結ばれ、対価が行き交っている。それに対して個別にいちゃもんをつけたいのではない。

ただ、「コロナで割引サービス中」ということは、そこで働く女性の報酬も、通常より割引かれているのではないかと懸念するのだ。しかもコロナ流行中ということは、普段よりもリスクが高いのだ。感染するかもしれない怖さもあるだろう。その労働を「割引ラッキー」とばかりに購入する男性が現れる。こちらもまた「なけなしの稼ぎ」を握りしめた人だ。その二者間で契約が成立してしまう。その「構図」に胸が痛くなった。

しかも男性は外で体を張って戦うのが仕事になり、女性はその戦って疲れきった男を体を張って慰めるのが仕事になるという「構図」にも見えて、やりきれない思いがした。社会では一体何が起こっているんだろう。くどいが、これは監督個人の行動を非難しているのではなく、構図に対して複雑な感情をおぼえた、という話だ。

 

 

映画を通してみていると、Uber Eatsの仕事は相当に過酷だ。この映画で初めて知った。細かな件数と売り上げの数字は忘れてしまったが、それだけの距離と時間配達し続けて、その売り上げなのかと驚く。相当体力がないとできない仕事だ。誰でもできるわけではない。働きたくても仕事がなかなか見つからない人にUber Eatsがあるじゃん、とはとても言えないような内容だった。監督すごかったな。

2020年のあの月この月に、私も同じまちで生きていたし、その頃監督は自転車をこいで配達をしていたのか。貴重な記録だ。

人々はあのときを、そして今を、ほんとうはどんなふうに生きているのだろう。

一人ひとりがあまりに違っていきすぎて、会わない、合わないことに、心の深いところで自分もものすごく孤立を深めていると思う、たぶん。

 

都会の人間は消費してくれる者たちとして都合がいい。東京に暮らす自分も、都会の消費者の一部だとみなされているということに気付いてハッとする。

しかし監督は「食でお店とお客さんと繋ぐ」「お客さんに喜んでもらう」などを胸に、ある日、「一件一件のお客さんへの対応を考えなおそう」と決める。ギリギリの状況でも人間性と誇りを保とうとする気迫に押された。この映画の中で一番救われたシーンだったかもしれない。「システムに操られるだけじゃない、システムを利用してやる」というたくましさもユーモアも人への思いやりも、ぜんぶ使ってこの映画は撮られていた。

 

今、もっと状況は悪くなっていて、働きたくても働ける仕事がない人が、明日の食べ物にも困る状況になっている。

映画のクライマックスでは、監督なりの批判と皮肉を込めたシーンが続く。

きょうも東京は焼け野原が拡大している......。

 

 

 

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2020年12月著書(共著)を出版しました。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社