2021年8月28日、新宿文化センターで二期会のオペラ《ルル》を観てきた記録。
変革の風をごうごう感じる。わたしたちの中のルルを響かせながら観る舞台。
構造を変えていこうよ。みんなでせーのーで、で降りようよ、と思う。
余韻が冷めないままに、ついに年を越してしまった。
わたしがどうしても知りたい、人間にまつわることを教えてくれる大切な作品になった。
▼二期会の公式ページ。グルーバーへのインタビュー動画前後編がとてもよかった。
http://www.nikikai.net/lineup/lulu2020/
ツイッターの記録より。全然まとめなおせないので、このまま掲載。
(観る前)
二期会のオペラ『ルル』楽しみ。カロリーネ・グルーバー版。ファムファタル、異質で脅威の存在としてではなく、背景にある社会構造を痛烈に批判し、ルルを人として再考してくれそうな演出?映画『軍中楽園』(2014)でモヤモヤしたところにストレートに応えてくれそうで期待。希望が見えるか?!
普段あまり観ない類のコワい音と、女性が幼い頃から性的に搾取され続けたり、人がばたばた殺されたりするようなエグい話なのに、METのストリーミングでなぜかハマってしまった。ウィリアム・ケントリッジ版。ケントリッジ版を観た感想を話したら、友達が手塚治虫の『奇子』っぽいと言っていて、まさにそんな感じだった。本人のファム・ファタール性よりも、狂言回しのようなところがあり、奇子やルルの周りの人物の運命が変わっていく、明暗がくっきりしていくところがある。
中学生のときに切り裂きジャックについて調べていたことがあったので、気になっているという理由もある。
2021年1月にチューリヒ歌劇場の配信で観たチャイコフスキーの《スペードの女王》やメトオペラの《マーニー》も似たところがあった。「救いはないがなぜか観ちゃう」という類の。社会通念上あまりよくないこととされているものや、人には絶対見せない内にしまっている感情をこうやって芸術として表現されると、やはり魅入る。
(観た後)
ルル、いやーすんごかったーーーー 。舞台から強い引力が出て吸い込まれそうになる瞬間があって、両脚で踏ん張って座っていたぐらい。
2幕版だったことで、観客にとってはより自由な解釈が可能になった。三幕版も見たから顛末は知っている。顛末だけ頭の隅っこに入れつつ、新しい演出を楽しんだ。
お能を観ているようだった。舞に心情を見る。
乖離していたルルの統合された瞬間が死というのが哀しい。
1幕の背景パネルにはLULU、2幕1場はLUST(欲望)。なんて直接的な。でもそれを常に視界に入れながら人物たちを見ていると、滑稽で、そしてやはり哀しい。規範により抑圧されたLUSTが歪んだ形で暴力となって出てくる。どこかで見た光景。
誰も彼も、特に男たちがとにかくつらそうで、苦しそうで、勝手に破滅していくのだけれど、ああ、やっぱりこの構造は誰にとっても幸せになれないものなんだとわかる。
「これまでほとんど描かれることのなかったルルの出生と、彼女の内面、魂に焦点を当てようとしている」というグルーバーの演出プラン。
ケントリッジ版との比較しかできないけどやはり全然違った。ダンサーの動きと「肖像画」やマネキンの使い方が効果的。独特の音空間が心地良い。叫びのような高音を聴き続ける中に、悲しみ、憎しみ、虚しさが噴出する。人間として「理解」をすごく感じた。無数のルルへの「鎮魂」でもあった。
一つひとつの歌詞に意味があって、繊細な演技と共に発せられる声、一つひとつのフレーズにハッとさせられる。ルルはいつもほんとうのことしか話していない。それなのに周りが勝手に見たいように見、聞きたいように聞く。というか、聞いてもいない。行き来はするけれど、成立しない関係。
演出家が演者を大事にしている感じもよかった。「奔放」や「自堕落」や「狂気」は強い表現になりがちだけど、そういう眼差し(特に性的な)を受ける役はマネキンやそこから派生する映像に負わせていたから、安心して観ていた。それもあって登場人物たちが人生のある人間であることに度々気づかされた。
今回の演出は、ふだん男性中心社会に対してあまり疑問を持ったことがない、辛さを感じない(ようにしている等も含め)という観客に対しても開かれていて、見ればわかるようになっているところがとにかくすごい。分身が"雄弁に"語る様は、無意識にでも必ず印象に残っているはず。
はぁ......やっぱりオペラ、イイ......。これだけのものを一気にどーんと受け取れる時間。至福。
お客さんがオシャレで、そのまま舞台に上がれそうな方がいっぱいいた。わたしももっとオシャレしていけばよかった。。。
《ルル》を観ていて、映画『軍中楽園』のわたしのモヤリと怒り(こちらが鑑賞記録)は救済された。よかった。
わたしにとってはアニメーション映画『マロナの幻想的な物語』を思い出すところもある。巻き込まれたり、立ち会ったり、いろんな名前で呼ばれたり。出会う人が皆、何かしらの苦しさを抱えているところが。主人公を描いているようで、周りの人を描いている構図も。
ドイツ語学んできてよかったなと思った。むっちゃ細々とだけど。よかった。
打楽器がピットに入りきらず舞台横の張り出し?にズラリ。打楽器よかった。。
▼関連記事など
【二期会『#ルル』】
— 乗越たかお (@NorikoshiTakao) 2021年8月29日
二期会はこのところ新しい舞台の創出に積極的で、オペラの可能性を大きく広げている。
『ルル』はベルクの曲が未完であることから、第三幕の描き方が演出家の腕の見せ所となる。今回のカロリーネ・グルーバー演出では、ダンサーの中村蓉の存在が画期的で、かつ極めて重要に→
→ なってくる。
— 乗越たかお (@NorikoshiTakao) 2021年8月29日
男を魅了して破滅させるいわゆる「ファム・ファタール物」は基本的に男の側からの、都合のいい身勝手な妄想で、男の愚かさを「魔性の女」のせい、つまりすべてを女性に負わせて自己憐憫に酔うものだ。様々な宗教が「女性は男性を堕落させる存在」としてきた背景を感じさせる。
→
→ しかし女性の側からすれば、社会的な地位が低かった時代、みずからも生き残るための手段に翻弄されていたにすぎない。心の中では、いつでも「怯えた子供の自分」が存在し続ける。中村蓉が今作で演じるのは、それなのだ。飛んだり跳ねたりはしない。ほとんどの場面で、中村は見つめ、目を背け、→
— 乗越たかお (@NorikoshiTakao) 2021年8月29日
→ うずくまる。だがひとつひとつ傷ついていく過程を全身で表現していた。
— 乗越たかお (@NorikoshiTakao) 2021年8月29日
一見すると自分のない、心のない人間のように見えるルル。その本人が気づかぬほど心の奥底に封印した純真な幼心が、第三幕でついに触れあうシーンは実に感動的だった。
チェルニアコフ版・ミュンヘン歌劇場の配信で3幕版が観られます。
いろいろな演出
『哀しみの女たち』(NHK出版, 2021年)
第12回:さまざまな名をもつ女ルル ーヴェデキント『地霊・パンドラの箱』(一)
第13回:女と男の希望へ ーヴェデキント『地霊・パンドラの箱』(二)