2021年11月、県立神奈川近代文学館で展示「樋口一葉展 ーわが詩は人のいのちとなりぬべき」を観てきた記録。
以前書いた長いブログ記事。2019年に台東区一葉記念館を鑑賞したときの記録。
今回の神奈川近文の展示は、この記事を読んでくれた友達と行ってきた。ありがとう。
朝11時に現地に着いて、展示を見て、ごはんを食べて、ギャラリートークを聞いて、15時まで滞在した。みっちり4時間。
やはり文学館というミュージアムは物量が多く、テキストの情報量も多いので、どうしても時間がかかる。
特にここの文学館は展示スペースも広いので、中島敦の企画展のときは大変だった。逆に言えば見応えがあるということ。
鑑賞の記録をつらつらと。
2021年は一葉の没後125年にあたる。
1872年生まれ、1896没。24歳6ヶ月。
展覧会の挨拶文から:
「家族制度や女性差別、貧困などのなかで苦闘し続けた一葉の人生、そして作中人物が背負っている闇は、現代社会にも通じる問題を孕んでいます。」
こういうことを文学館のような公的な機関がハッキリと打ち出すようになったことに時代の変化を感じる。
会場に入って、まず観た(と思う)掛け軸。
「我れは人の世に病苦と失望とをなぐさめんために生まれ来つる詩のかみの子なり」
これまで見たことのない強い決意。使命感。筆で生きていくんだ、立っていくんだという覚悟。そう自分に言い聞かせなければやっていけなかったのかもしれない。
没落の自覚の上に、底辺で生きる人への眼差しを持ち、己の表現をどこまでも追求した。女性が作家になるどころか、経済的に自立することも難しかった時代に、これをやったということがすごい。
森鷗外の評「此人にまことの詩人という称ををおくることを惜しまざるを得ない」と呼応する。
『うもれ木』は、東京図書館に通い、兄の虎之助を取材して書いた作品。東京図書館は帝国図書館の前身。この資料(PDF)に詳しい。東京図書館のほうはわからないが、帝国図書館は、婦人閲覧室を設けていた時期があるらしい。つまり、男女が同室にいることが一般でなかった時代ということか。
帝国図書館と樋口一葉については、中島京子さんの『夢見る帝国図書館』でも触れられている。p.94「夢見る帝国図書館・6 樋口一葉と恋する図書館 上野赤レンガ書庫の時代」
本郷の丸山福山町にある一葉が生涯を閉じた家は、森田草平が一時期暮らしていたこともあったそう。森田草平は夏目漱石の門下で、若かりし平塚らいてうと心中未遂事件を起こした人。(それを小説に書いたというのがやっぱりすごい)
このウェブサイト、散歩日記かと思って読み始めたら、すごい記事だった。先日観たばかりの『にごりえ』にも触れられている。
http://j-gentlemanslounge.com/traveling/37058
今回新たに知って一番驚いたのが、一葉が書き直しをしていたこと。つまり草稿や未定稿がたくさんある。筆で直して直して直した原稿を見ていると、芸術として高めよう、自分の納得のいく作品を作ろうという、一葉の気概や誇りが見える。この人のこういうところが好きだ。
泉鏡花は出版社の博文館に勤めていたことがあった。博文館の社員として一葉を訪ねたことがあったそう。
出版社の春陽堂・大橋乙羽からの原稿の催促の手紙なども展示されている。字が大きくてちょっと怖い。1896年3月。(同じ年の11月に一葉は亡くなっている)
一葉の妹・くにがこれだけの遺品を大切に状態良く保管していたということにまず何よりも驚く。本当は日記の類は「自分が死んだら捨ててほしい」と一葉は言っていたのだが、きっちり取ってくれていた。日記を出版することは鷗外は反対していたそうだ。
ありがとうございます。くにはその後結婚し文房具店を営みながら、6男5女を育てた、とある。子沢山......!
一葉は同時代の作家が女性を主人公に据えて書いた作品に、自分の作品でもって、「女、そんなんとちゃうわ!」って言っていたような気もする。成就しない恋、様々な人間関係を描いて、何を表現しようとしたのか。
一葉の困窮ぶりについてはよく分かったのだけど、「何が彼女を貧困状態にさせていたか」について、もっと踏み込んで知りたい。そもそも精魂込めて書いた報酬が原稿料のみというシステムに問題はなかったのか。その報酬額も妥当だったのか。(今で言うとライターってことだよね?)
政府による社会保障のようなものはあったのか。人々は困窮に陥ったらどんな選択があり得たのか。この時代の女性はどう生きていたのか。
一葉を知ると、知りたいことが増える。
当日のギャラリートークメモ
・2021年は没後125年、2022年は生誕150年の記念イヤー
・文京区の一葉の自宅には文人が訪れ、ちょっとしたサロンになっていた。(漱石や鷗外など、男性の文豪だけがサロンをしていたわけではなかった)
・雑誌『都の花』1892年12月4日に『うもれ木』が掲載される。
・神田の龍閑町に駄菓子の問屋があり、一葉は台東区の下谷龍泉寺町からここまで菓子、玩具などを仕入れに来ていた。
千代田区町名由来板:大和町(やまとちょう)に説明あり。
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/yurai/yamato.html
・浅草の荒物問屋にも買い付けに行っていた。
・当時の台帳が残っているのが貴重。おきあがりこぼし、小鈴、南京豆、センス、犬張り子、麻などの記載も見られる。夏祭りの時期にはお祭りで売れそうなものを仕入れたりと工夫している。
・8月に開店して、軌道に乗ってきたので、10月に上野の東京図書館で読書や執筆にも時間を割けるようになってきていると日記にある。
・『たけくらべ』の草稿は、最初『ひなどり』というタイトルだった。荒物屋を通じて出会う子どもたちをモデルにしている。
「文学は糊口の為になすべき物ならず」と当日のメモにあり。おそらくこれは「文学では生計を立てることができない」という意味ではなく、「文学は芸術だから糊口をしのぐ手段であってはならない」ということだと思う。
神奈川新聞
一葉初心者に概要がつかみやすい記事。おすすめ。
『樋口一葉 たけくらべ/夏目漱石 /森鴎外 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集13) 』(河出書房新社, 2015年)
『たけくらべ』を川上未映子が現代語訳している。夏目漱石『三四郎』、森鷗外『青年』この3編のとりあわせはイイ。
川上未映子による『大つごもり』の現代語訳が掲載されている。これがとても良い。このためだけに購入してもよいくらい。
執筆者と作品一覧
http://www.bungaku.net/wasebun/magazine/wasebun2017women.html
横浜観光サイト
https://www.welcome.city.yokohama.jp/spot/details.php?bbid=182
港の見える丘公園に向かう途中の坂道にある横浜地方気象台。「氣」!
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