同じ作品を2回目、3回目と観ることを鑑賞仲間のあいだで「おかわり」と呼び習わしている。ここ数年、おかわりの良さを感じることが多い。(もちろん新しい味を訪ねてどんどん食べていくのも相変わらず楽しいのだが)
10代の頃に、主に本や雑誌やラジオで、映画大好きで映画に詳しい大人たちが、「同じ作品を何度も観る」や「この監督の作品はこういうふうに作風が変化してる」など言ってるのを聞いて、全然ピンと来なかった。けれど、最近ようやくそのおもしろさがわかってきた。
若いときはこの世界に何があるかわからないから、とにかく少しずつたくさん観ることに関心が向いていたかも。量と質が一定程度蓄積できてくると、自然と自分の中で体系立てられていく。研究したくなる。地理と歴史と分野の交差性。それが楽しいので複数回観たり、変遷を追ったりする。
齢を重ねてくることのおもしろさ。
今回のおかわりは、侯孝賢監督の『憂鬱な楽園』と『フラワーズ・オブ・シャンハイ』。それぞれ3回目の鑑賞になる。
台湾映画祭で毎日K's cinemaに通っては映画を観まくっていた熱を思い出しながら、いそいそと出かけた。
『憂鬱な楽園』前回の感想
やっぱり好きすぎる『憂鬱な楽園』。
観るのは3回目だけど、劇場で観るのは初めて。もうぜんぶが好き。ダメな奴らしか出てこないのに、みんな好き。「侯孝賢の中でこれがベスト」という人がいるのもわかる。
前見たときと同じ感想になるが、侯孝賢が自分の好きなものを詰め込んでる感じがいい。チンピラ、舎弟、博打、詐欺、賄賂、メシ、電車、車、バイク、喧嘩、タバコ、ヤク、カラオケ……。
チンピラといっても、北野武の映画みたいにこちらがヒリヒリしたり、痛そうだったり、不条理に戸惑ったりは全然しない。ただ情けない。マニアックに笑える。
オープニングがまたカッコいい。タイトルクレジットは背景は真っ黒で、音だけがする。電車が走ってるんだなということはわかるけど、だんだん例の「地獄のダウナー読経」が聞こえてきて、なんだなんだ?!となる。
今はない台湾もたくさん映っているのかもしれない。
2018年に八王子で開催された『オネアミスの翼』の制作過程の展示も思い出した。
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2018/10/31/195654
「全く見たこともないものには観客は親近感を覚えない。知っているけれどちょっと違うもの。少しズラすことで没頭できる」というようなことが語られていた。台湾に惹かれるのってそのへんが大きい。自分のルーツにふれるところがあるんだろう。
これを観て、嘉義(ジャーイー)近くの山中をGoogleストリートビューで毎晩探検した。生えてるのがヤシの木だったりして、さすが南国の島。植生が日本とは全然違う。
嘉義はこんなところらしい。→台湾・嘉義って実は日本と関係が深いって知ってた?押さえておきたい観光地紹介 | TABIPPO.NET
KOOKAÏ、軍國、ホストクラブで100万元、水吐き、トウキョウとキョウト、コーラある、犬、洗車......マーホァは、『吹けば飛ぶよな男だが』の緑魔子を彷彿とさせる。
今回も好きなカットやシーンをチェックし、新たに発見した。
35mmフィルムでの上映なのも、今となっては贅沢。字幕の入り方もフィルム時代だなぁ。
前回の感想
これも侯孝賢作品の中で大好きな一作。
好きすぎて、好きすぎて。
遊郭なのに、性行為は気配すら描かれず、ひたすらご飯食べて、酒のんで、タバコ吸って(この所作が美しい)、アヘン吸って、おしぼりで拭いて、じゃんけん飲みして……。
衣装と室内装飾に目が喜び、音楽であの世界に沈められる。
ランプの光。水タバコの種火。
暗転が目を閉じて開くような、ずっと夢を見ているような心地。
ずっと音楽が流れているように感じていたが、意外に無音の時間も多かった。
通底音として脳内を流れ続けるようにうまくプログラムされているのかもしれない。
華やかさや夢見心地だけではなく、妓楼の掟のシビアさや、個別の事情や社会背景や心の揺れ動きが、非常に繊細に描かれている。
男たちはいったいどういう身分の人たちなのか、「広州に栄転」とはどういう仕事なのか。
同じ「男」でも料理や、おしぼりの準備、掃除、門衛など、下働きの人たちとの対比。
単なる客のはずなのに男によって人生が左右されてしまう、砂上の楼閣にいる女たち。金によって人の人生を好きにする権利を持っているかのよう。
遊びにくるところのはずなのに、重い。
客が来ているのに内輪の話をする。行けばいつも「ごはんは食べた?」と食事が出てくる。ここは男たちの居場所のようにも見える。遊郭というよりも女の「家庭」や「職場」に入り込んで、無責任に居心地よく過ごすこともできる。
経営者からも都合のよいように使われるし、暴力もふるわれる。
「遊女を死ぬほどぶつ連中」「この上海で女将が善人なら商売にならない」
そこからの「自立」「独立」は、自分も経営者として同じ商いをすることか、妓楼にお金を払って身請けしてもらって妾になることかしかない。「正妻になれない」というエピソードが出てくる。長くできる仕事ではないから、早いうちに道を決めていくことが彼女たちの生存戦略になる。「新しい働き口」も同じ妓楼の中だったときの衝撃。当時の女性にとっての「仕事」とは。
建物のある側では身請けの契約、反対側では独立の契約。
花たちの宿命を象徴する場面。
そのどちらでもない者の象徴としての沈小紅。彼女の今後がどうなるのか、余韻を残していく。
冒頭の宴会のシーンで、「洪さん」が持っている扇子に「恵風和暢」と書かれていた。二、三度こちらに見せるように開かれる。
調べてみたら、「恵風和暢」は「けいふう わちょう」と読むそう。
書家として有名な王羲之の「蘭亭序」からとられた四字熟語で、意味は、「恵みの風が吹き、のどかでなごやかにすること」。
西暦353年(東晋)3月3日(新暦4月14日)、王羲之が名勝・蘭亭で宴を催したときに、参加者が詠んだ詩を集めたものが「蘭亭記」で、その序文「蘭亭序」を王羲之が書いた。それが書の有名な作品となっているそう。
新しいことを知った!今度「蘭亭序」を見かけることがあったら、「恵風和暢」の文字を探すのが楽しみだ。そのときこの映画のことも思い出すだろう。
映画館を出てから、「女性同士の感情の細かい機微が描かれているのは理解できるけど、なんでそうなるのか全然わからなかった!」と言っていて、素直な感想でいいなと思った。でもきっとそこが掘っていくとおもしろいところでもあるよ〜
『フラワーズ・オブ・シャンハイ』は、張愛玲が1960年代に英訳した清時代の小説『海上花列伝』にインスピレーションを受けて作られている。張愛玲という人物がポイントになっているらしい。なかなか波乱万丈の人生で、映画にもなっているらしい。→https://movies.yahoo.co.jp/movie/25362/
彼女の著作が新訳で読めるので、このあたりから探っていくのもおもしろそう。
『傾城の恋/封鎖』張愛玲(光文社, 2018)
今回の二本立ての共通項は、高捷(ジャック・カオ)と伊能静か?
『憂鬱な楽園』を先に観て、『フラワーズ・オブ・シャンハイ』にかれらの姿を見つけるのも楽しい。
侯孝賢作品で再鑑賞したいのは以下の4本。
『戯夢人生』
『好男好女』
『百年恋歌』
『ミレニアム・マンボ』
どこかで観られますように。
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2020年12月著書(共著)を出版しました。
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社)