ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

映画『阿賀に生きる』@シネマ・チュプキ・タバタ 鑑賞記録

2021年12月、映画『阿賀に生きる』をシネマ・チュプキ・タバタさんで観た記録。

2022年で製作完成から30周年を迎える。

 

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ドキュメンタリー映画の有名な作品だそう。私は全然知らなかった。知らないことが多い。

新潟と福島の県境、阿賀野川流域の小さな集落に生きる人々の生き様が収められている。 1980年代後半〜90年代初頭と思えない風景。

映画のことが忘れられず、翌日は朝から2時間掃除に費やした。あの勤勉さよ。農作業や漁業など、重労働により酷使された身体。新潟水俣病の影響もあるのだろうか。もちろん高齢ということもあるだろうけれど。

刻まれた皺、動かなくなった手。

 

印象的だったのは、身体が覚えている技。

風を読むこと、舟を彫ること。

たまたま撮れたというだけではない、ドキュメンタリーのクルーが入り込んでいったことによって動き出した時間という感じがする。撮る者と撮られる者、お互いに影響し合ったという記録。

 

映画の中ではあんなに生き生きとしているのに、あの人たちのほとんどはもうこの世にいないということが不思議。

 

自分の祖父母のこと、自分が幼い頃に見ていた家や地域の風習なども思い出す。『True North, Akita』や映画『もち』を観たときにも強く浮き上がってきた、あの感じ。郷愁だけではない痛みや苦味、身体の感覚と共に。

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自然の中に暮らすのはタフだ。生き抜くためにはなんでも自分でやらなくてはいけないし、共同体で助け合わなくてはならない。それが強いセーフティネットにもなれば、息苦しくもなりえる。最期まで集落に居場所があるとも言える。

言葉がわからなくて、字幕があっても(文字起こし&テロップ)スッと入ってこない。みんぱくの映像資料コーナーで、どこか東アジアの地域の記録を観ているような気にときどきなった。でも日本だし、30年〜40年前の景色だ。

 

私が育ったのも山と水のある地域なので、直感的に理解できるものはあった。水質汚染というテーマには子どもの頃から敏感だった。「それが即飲み水になる」「生存を左右する」という感覚。だからこそ水を汚す公害は本当に罪が深い。

 

「14世紀から代々守ってきた田んぼ」、祈りながら耕し、風を読みながら舟を駆ってきた人たちの姿。その暮らしの間に差し込まれる訴訟。集落の人々の関係性はどう変化したのか、描かれていない様々なことに思いがゆく。戦後の近代化とは何だったのか。それは今どうなっているのか。

 

エンドロールの音楽が『悲情城市』を彷彿とさせる。1989年。同時代性を感じる。

 

 

翌日の夜ごはんはにしん蕎麦を食べた。
阿賀に生きる』や『明日をへぐる』で祖父母を思い出して急に食べたくなったのと、お正月の食材がお店に並び出して目についたので。

 

映画『MINAMATA -ミナマタ-」→『水俣曼荼羅』→『阿賀に生きる』 の順で観たという友達と、『水俣曼荼羅』を軸に3作品の感想をじっくり語った。

印象に残るシーンや人や言葉、映画のつくり、時代、政治、問題の本質、いち市民としてできることなどなど、縦横無尽に90分語った。

 

凄いドキュメンタリーがまだまだたくさんある。ほんとうにごく一部にしか出会っていないんだな。出会えたことが幸せ。

語りたくなる作品の鑑賞が続いている。


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新潟水俣病を知るための関連書籍。

 

阿賀の記憶、阿賀からの語り―語り部たちの新潟水俣病』関礼子ゼミナール/編(新泉社, 2016年)

 

「画期的勝訴」光と影 新潟水俣病1次訴訟判決50年 被害者救済道半ば(新潟日報 2021/09/21)
https://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20210921642970.html

 

 

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鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

 

2020年12月著書(共著)を出版しました。
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社