ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

本『阿賀の記憶、阿賀からの語り』読書記録

阿賀の記憶、阿賀からの語り 語り部たちの新潟水俣病』関礼子ゼミナール/編(新泉社)

 

新潟水俣病語り部さんの言葉を大学のゼミの学生たちがまとめた記録集。

語りだけではなく、ゼミの指導教員である関礼子さんの解説も詳しい。

 

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok)

www.instagram.com

 

ドキュメンタリー映画阿賀に生きる』を観ていたので、リアルに像が立ち上がってくる。逆に映画で語られなかったことが、本の形式で補完されている。

阿賀に生きる』を観ていなかったら、もっと知りたいと思ってないし、この本も読んでいない。上映してくれたシネマ・チュプキ・タバタさんに心から感謝したい。

 

ドキュメンタリー映画阿賀に生きる

kasamafilm.com

 

▼感想

hitotobi.hatenadiary.jp

 

こんなにたくさん付箋をしたのに、感想が言葉にならない。圧倒されている。

それでもなんとか印象に残ったところを箇条書きして残していく。

 

f:id:hitotobi:20220209100847j:image

・この本は「新潟県立環境と人間のふれあい館ー新潟水俣病資料館」で語り部の「口演」を聴く授業をつくる、小中学校の先生方の参考になることも願ってつくられている。前提知識なしにただ話を聞くだけでは、学びを伴う「体験」になりにくいため、先生たちは資料館に赴く前に事前学習の授業も行う。

・1988年(昭和63年)に全国母親大会なるものに参加したという語りが出てくる(p.36)。何万人もの母親が参加し、様々な分野の分科会があった。公害の分科会で参加した方は、周りの人たちの情熱や一生懸命さ、切実さに触れ、「誰かがやらなくてダメなんだ。それは自分じゃないか」と奮起する。この「全国母親大会」とは。気になる。

・「人の生命や健康が第一です」(p.58)何か判断に迷うとき、やはりここなのでは。

・2005年にテレビ、ラジオや新聞で報道があり、「もしやこの長年の体の苦しみは」と思って受診したという人が多い。新潟水俣病が公式発表されたのが1965年。熊本の水俣病の公式発見は1956年。多くの人は体の苦しみを抱えながら生きていて、しかも仕事や子の結婚、地域での暮らしに差し障るから隠していたという。実際に言われない差別の言葉も投げつけられている。このあたりの語りには胸が痛む。人のつながりを断ち切り、地域共同体を精神的つながりから、土地とのつながりまで破壊していく人災。

・「『まちづくり』とは、何か話し合える地域をつくることです。話をまともに聞いてくれない地域では、共同で対応することなどできません。」(p.59)

・差別や偏見は今も残る。補償金の受け取りについての誹謗中傷、知らないからおもしろ半分で「感染る」などと言ったりもする。このあたりは水俣病と同じ状況が起こる。つまり、

・「体験したほんとうのことを直接に語ることが、子どもたちの身につくのかなと思ってやっています。」

・苦労して教員免許をとって、体調が悪くてもクビになってはいけないからと隠しながら働いていた女性の語り部のお話も胸がつまる。

新潟水俣病は間違いなく、熊本のことをもっと全国に発信していたら防げたかもしれない公害だった。

・「近さんの語り部には大きな特徴があった。自身の病状や生活だけでなく、公害発生当時の経済・産業など社会情勢から現在の環境を取り巻く問題について、近々の時事問題も交えて現在にたとえてわかりやすく伝えていた。」(p.62)

この箇所にはいろいろなヒントがあると思った。子どもの頃を思い出すと、新潟水俣病のことではないが、学校にいろんな「当事者」の方が講演をしに来ていたが、自身の生活や困り事の話、個別の実感の話だけでは、どう受け取っていいかわからないことが多かった。結果、周りにそういう人がいたら思いやりをもって接しよう、という感想になってしまう。構造の話とセットにしてもらえると受け取れる。あるいは「事前学習」の中に構造の話があればよかった。この本のつくり自体も語りと構造のセットになっているので、行ったり来たりしながら受け取っていける。

・「語ることで患者の掘り起こしを」(p.108)当事者が語ることの目的の一つ。掘り起こして、支援につなげる、連帯する。様々な社会運動でやられていること。

阿賀野川がほんとうに豊かなところで、人々が川によって育まれてきたことが語りの中から見えてくる。川は遊び場であり、川でとれる魚は貴重なタンパク源であり、収入源でもあった。産業の急速な進展が、不可逆的な負の影響を与えた。

 

覚えておきたいこと。

「語られなかったことが語られるには、時が熟さねばならない。どの時点で時が熟すかはわからない。その時を待たずに、黙して一生を終えた人もいただろう。それぞれの時を迎えた被害者たちの語りは、見えていなかった被害の相貌を描き加える。」(p.5 はじめに)

 

_________________________________🖋

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

 
2020年12月著書(共著)を出版しました。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社