森美術館で『アナザーエナジー展 挑戦しつづける力 ーー世界の女性アーティスト16人』を観た記録。
▼紹介動画
とても話したくなる展覧会。行った人と別々に2回話した。
2回目に話した友達は、2人の乳幼児を連れて行って、エレベーターを案内してくれたスタッフさんに、思わず「めっちゃよかったです!!!」と言っちゃったそうだ。
気持ちはよくわかる。
展覧会を見た人に熱がうつっていく。
自分の中のエナジーにしていく。
そこからまた分波、伝播していく。
女性と70代より上という共通項はあるが、ルーツも地域も言語も違う、16人のアーティストが一人ずつ違う色のエナジーを渡してくれる。
これは伝説の展覧会になるのかもしれないと思う。
「偉大な女性芸術家はすでにいた」
後々になってわかることがありそう。
少なくとも私は、アナザーエナジーの意味をこれからも考え続けると思う。
気になっていた人も周りにはいたけれど、足を運ぶまでに至らなかったという人もいたのが惜しい。実は私もお誘いがなければ行っていなかったのでは人のことは言えない。気になってはいたが、実際に予定するところまでは動機がいかなかったのは、一体なんでかなと考えていた。
ビジュアルのイメージだろうか?
展覧会を催すって難しい。
アーティストみんなが長生きをしてるのがよかった。
エネルギーの大きい人や、繊細に世界を捉えている作り手は、短命になりがちなイメージがある。私自身、ここ数年で作ったり、書いたりを意識的にやりはじめたときに、本当に「そこ」には気をつけるようにと忠告されたのを思い出す。
自分のやりたいことを、なるべく楽しく、突き詰めすぎず、ごはんも食べて人間らしく生きて、一つのことだけやらずに、柔軟にとらえていく。というようなことなのかな。
信念は持ちつつ。
取り急ぎの感想はInstagramに。
16人のバックグラウンドとインタビュー動画のサイト
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/anotherenergy/02/index.html
以下は、特に印象に残ったことの記録。好きすぎて似顔絵を描きながら進んだ。
(自分用のカタログをつくっちゃった感じ?)
▼Pyllida Barlow フィリダ・バーロウ
会場の角を曲がると、いきなりやだなーと感じる。でかいものが空間いっぱいに鎮座している。いやなのはその圧迫感と、今にも崩れてきそうな不安定な作り。複雑に組まれた木材の上に布がかかっていて、その上にコンクリート製の丸い岩が乗っかっていて、それが入り口を曲がって入ってきた観客めがけて転がり落ちてきそうになっている。奇襲攻撃。そんなこちらの不安とは裏腹に、布も岩もカラフルでポップな色が使われていて、腹立たしい。
まず転がり落ちてきた岩が頭にぶつかって、その後に木材が倒れてきて、その上に布がかぶさってくるような、「3回殺される」ところまでリアルに想像までしてしまう。この圧迫感どこかで……と思ったら、スペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館で観たエリック・セラの大きな戦艦のような鉄板の作品や、埼玉県立近代美術館で観た遠藤利克の焼かれて炭になった桶だ。あれに似ている。でもフィリダ・バーロウのこの作品はもっと攻撃的な感じ。怒りを溜めているようにも思える。
これを作った人や施工した人、企画した人を信用するしかない。必死に支えているといった風の複雑なバランスで立っている「足」や、建物の解体現場で使う鉄球を思い起こさせるセメントの岩などが、ちゃんと留まっているか、結えられているかなど、思わず確認してしまった。触れない、触って強度を確かめられないのは不公平だ!という気分にもなってくる。
そんな作品とは違って、これを作ったフィリダ・バーロウはインタビューでとても穏やかに、アートを経験することの本質を語ってくれて、私の心を強く揺さぶった。
「私はいつも望んできた。アート鑑賞によって世界の見え方が変わることを」
▼Anna Bella Geiger アンナ・ベラ・ガイゲル
作品よりもインタビュー動画の方をじっくり観た。
「挑戦とは人間として生き延びること」
「人間はアートを通して教育を得られる」
「この時代はわたしにとってきわめて容赦のないものです」
「しかしわたしは怖れなかった」
▼Robin White ロビン・ホワイト
白髪のロングヘアーが印象的なロビン・ホワイト。タパという樹皮製の布のたっぷりとした量がインパクトがある。和紙のように漉いてつくるのではなく、もっとシンプルなつくり方だった。木の内側の樹皮を叩いて柔らかくして広げ、薄い紙状にしたものなのだそう。
この人の作品からもインタビューからもインスピレーションが多かった。
・「太平洋では個人主義はあまり重要なものではない」日本もその太平洋の一部と言えるのかもしれない。なんとなく今までアジアの一部、東アジアの一部という認識はあったが、「太平洋の一部」というのはわたしは考えたことがなかった。「共同で製作する機会」......最近、ドキュメンタリー映画で観たいくつかの集落のことを思い出す。
・「何者でもない、誰も特別ではない、それは慎ましく健康的だ」
・「ひとりのアーティストのみが作者であるという西洋近代以降の個人主義敵な価値観からの解放」
これはガウディがコンセプト制作者であり初代設計者であるサグラダ・ファミリアがすぐに浮かぶ。また、鴻池朋子が「物語るテーブルランナー」で試みたことに近いだろうか。女性たちによる手芸が、美術や工芸よりも下位に置かれてきたことと関係があるだろうか。多分このあたりのことは、積ん読になっている『現代手芸考』に書いてありそう。
・「自分をクリエイティブに表現する方法はたくさんある」励まされる。
・「夏草」。フェザーストン日本人捕虜収容所を題材にした作品。手近な検索結果をざっと観ただけだが、そんなことがあったのかと驚く内容が書かれていた。『戦場のメリークリスマス』を彷彿とさせる。まだまだ近代日本史に関して知らないことが多い。
▼Suzanne Lacy スザンヌ・レイシー
対話の場づくり、連帯の機会づくりとして興味深い。アメリカのパーティ文化、フェス文化に根ざしたこういうイベントの作り方、さすがというか、羨ましいというか。
人種、性別、民族的アイデンティティ、ジェンダー......こうしたフェミニズムの運動をずっと作り続けている人たちがいて、そのおかげで今があることを実感する展示。
「誰かと気持ちを通じさせながら、自分にとって重要な話を共有することは、繋がりを与えてくれた」
「何度も同じ問題が持ち上がる。しかし変わってきている」
▼Lili Dujourie リリ・デュジュリー
窓辺に置かれた印象的な作品。四角い鉄板と長い鉄の棒二本が絶妙な力でバランスしている。それら3つは溶接されてはいない。そこにガラスと窓枠が影を落としていく。
鉄板はあちらとこちらを隔てる壁に見えるが、真横から見ると薄い薄い線に見えて、ほとんど影響力を感じない。簡単に超えられると言う感じがするし、実際日本の棒は交差しながら越境している。
▼Carmen Herrera カルメン・ヘレラ
less is more
1915年 ハバナ→NY →パリ →NY
90歳で作品が評価される「遅れてきたバス」。女性からあなたの作品は展示しないと言われたときの衝撃についてインタビューで語っていた。
とにかくエッジ、角度、秩序がたまらなく好きという感じが伝わってくる。
(すごく好きな作品なのに、写真を撮りそびれていた)
▼Etel Adnan エテル・アドナン
Leporello:アコーディオン状の折り畳み本。
中国、日本→ アラブ →ヨーロッパと伝承。成り立ち。
風景の抽象。心象風景。
▼Kim Soun-Gui キム・スンギ
66のプログラムは外の天気によって変化し、投影される。
”作品は、「環境・状況・自分」が出会う。新たな可能性に開かれた場所”
”予期せぬ出来事を自分の中に調和する能力が、生きることに欠くことのできない条件"
soft power 言語の違うところに住むというタフさ。当たり前のようでやはり大変なことだ。
▼Kazuko Miyamoto 宮本和子
"表現による意見の表明" "心を満たす食べ物"
▼Senga Nengudi センガ・ネングディ
めちゃ触りたくなる作品。1960年代は触ってもよかったらしい。
"他の人がやっていることはできない。私にできるのは、私が本当にやっていると思える仕方で、物事を行うことだけ"
▼Miriam Cahn ミリアム・カーン
今回の展覧会メイン・ビジュアルに使われているのは、ミリアム・カーンの作品。
社会問題、出来事への私的応答、挑戦を繰り返すことにより、社会や世界と関わろうとする、「制作を通して応答する」。
目線を合わせて展示するこだわりがあったそう。
▼Anna Boghiguian アンナ・ボギギアン
"芸術とは私の中にある何かです。それは自分自身へのそして尽舟之川寧への好奇心です”
ダイレクトビジュアルなストーリーテリング。発見、灯台下暗し。
シルクロード、女の人たちの作業、富岡製糸場、そして豊田自動織機、車のトヨタまでのつながり。
▼Nunung WSヌヌン・WS
信仰に根差すアート
スピリチュアルな旅路、魂の風景
彼女自身の風景
一人ひとりの人生
▼Arpita Singh アルピタ・シン
暴力にあい、打ち捨てられるままになっている誰か。
半分土に埋まる女。
餓鬼道。
▼Beatriz Gonzalez ベアトリス・ゴンザレス
忘れない、寄り添い、共感する
暴力に翻弄される人々の嘆き、悲嘆を乗り越える
静かな抵抗
匿名化と普遍性
普通にあるものの中に目を留めさせる何か
込めているもの
▼Kimiyo Mishima 三島喜美代
"つくることが楽しい"
缶やダンボールや新聞紙をシルクスクリーンでプリントしたセラミックでつくる。+手彩色。
今ここで感じていることを形にしたいという衝動、つくってみたらどうなるかという好奇心。
「ゴミ」を一生懸命つくっている。手芸的なおもしろみ。
展覧会は一周して、倒れそうな木の山から始まり、倒れてきそうな新聞紙の山で終わる。
インタビューはYouTubeにずっと置いておいてくださるようなので、ときどき観てパワーチャージしたい。
一人ひとり、話していることが、とてもよくわかる。
心のバリアーがとけるような感覚と同時に、個々の欲求や欲望や探求に共鳴する感覚。エンパワメント。
部屋ごとにテーマも感じられたり、都内同士の作品とのつながりなど、構成も楽しめる。
▼図録
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/anotherenergy/05/index.html
▼関連プログラム【キュレータートーク】
企画の経緯、作品解説。
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