ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

狂言《大般若》・能《黒塚》@横浜能楽堂 鑑賞記録

横浜能楽堂の普及公演、狂言《大般若》・能《黒塚》を鑑賞した記録

 

友達に誘ってもらい、久しぶりの観能。

解説もついているし、狂言と能1曲ずつの編成は気軽に行けるし、演目もよい。お値段も!

黒塚と安達原を、一回ずつ観ていて、これで3回目。ほぼ同じ曲を観世流では『安達原』と呼び、他の流儀では『黒塚』と呼ぶそう。

 

ネットで紹介されていた詞章で、声に出して読んでおく。自分で声でなぞっておくだけで、不思議と味わいがぜんぜん違ってくる。

いつもの。

『一歩進めて能鑑賞 演目別にみる能装束II 』

『マンガでわかる能・狂言: あらすじから見どころ、なぜか眠気を誘う理由まで全部わかる! 』

『能の本』


野村萬斎What is 狂言?改訂版』

 

詳しいあらすじとみどころ。
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_035.html

詞章をネットで探して予習。

http://muhenko.com/shisho/114142216191_adachigahara.htm?fbclid=IwAR3msN9CNk7NdqD7-5X1JFzkzZ2SugJc9qGvogvwnOgA0Tobo5-JyTw55OE

http://www5.plala.or.jp/obara123/u1094ku.htm?fbclid=IwAR3XR7QXqjukv9oktV0jKyOSgqJTS04IMZqqM03xpdusNhFLkZERsrpIiZU

『黒塚』は、山伏「こんな夜遅くに行かなくても」、女「大丈夫です。通い慣れた道ですから」のとこが泣ける。諦念と期待の入り混じった女、山伏の無邪気さとのギャップ。

狂言『大般若』は初めて観るから、あらすじと見どころを予習。でも定番の曲ではないらしく、手元にある本では出てこない。

kyogen.co.jp

 

普及公演なので冒頭に解説もしてもらえるけれど、自分でも予習しておくと、もっと受け取れるものが多くなるかなと思って。強欲。

 

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鑑賞メモ

狂言《大般若》

・公演でかかることが稀らしい。直面(ひためん、面をかけない素顔)にカツラをつけるのも珍しいとのこと。

・初めて観たけど、いい!ただただ愉快!声出して笑っちゃう。また観たい。「転読」というその行為に名前をつけたの笑える〜と思ったら狂言にすることでみんな笑ってた。笑ったらいいんだな。 すわ宗教戦争か?!と思いきや、楽しく終わっていく。ユーモア大事。ふわっと。こういうやり方がある。

・巫女さんのほうはガチで邪魔しようとしているが、お坊さんのほうは相手を知ろうとしているように見えた。真似してたら楽しくなっちゃった!という感じが明るい。

・依頼した主人も神仏習合とか和平調停とか、そんな深いことは考えてなくて、縁起良さそうだからというノリ。軽さがいい。

能《黒塚》

・きょうは『ドライブ・マイ・カー』の音さんが見えた。誰にでも「閨の内」はあって、見られたいけど見られたくなくて、もし見られても逃げないでいてくれたらよかった。 安達原の彼女の怒りは、約束を反故にされたことではなく、「見たは見たけど、直視せずに逃げた」ところにあったのかも。

・現実の自分のことで言えば、自分が知られたくないと思っていて、漏れ出ないようにがんばっていることほど、周りにはバレバレだったりする。知られたら猛烈に恥ずかしくて、指摘した相手を憎むぐらい怒るやつ。でも同時に「ああ、やっと気づいてくれる人がいた...…」という安堵もあるな。「賤しい仕事、賤しい身分に堕ちた」と思っている女だから、閨の中にそんなものを隠し持っているなんて、恥ずかしくて耐えられないことだろう。でも同時に依存してしまう、止められない自分もいて、ようやく止めてくれる人が現れたのかもしれないという期待もある。

・山伏が訪ねてきて作り物の中にいるとき、女は檻の中に囚われている人に見えて、あそこが一番ゾッとした。ちょうど人間一人分のサイズだから余計に。閉じ込められているようであり、自分で自分を閉じ込めているようでもある。

・自分の話を聴いてくれて、「祈る暇がなくても仏とのご縁は結ばれますよ」とか優しく言われたら、「薪取ってきて暖とってもらお〜」って思うよなぁ。そのときの彼女の心情を思う。

・「見ないでくださいね」は、試し行動にも見える。何を試したのかは幾筋もある。

源氏物語への言及や糸についての語りのあたりはわからないので、調べたいけど、劇中においては、この安達原にあって、そういう「知的で教養のある話題」が通じる相手が現れたのは、女にとってうれしいことだったろうなぁと想像する。

『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』というヨブ記を引いて自分の不幸について語った本を思い出す。結局人が知りたいのは、「なぜ私なのか」ということ。

・友達から、安達原の女の前半生の話を聴く。月岡芳年の残酷絵「奥州安達がはらひとつ家の図」を元に。(わりと閲覧注意な代物ですがこちら)いやでもあるよね、そういうこと、と思う。自分にもある。自分が女だったら? 自分が山伏だったら? どうしたかな、といろいろ考えがめぐる。

・アイ狂言の役割で出てくる連れの下働きの男、能力(のうりき)の言動が可笑しければ可笑しいほど、その後の展開のインパクトが強くなる。そういえばホラーやサスペンスってそういう効果を出す作りになっている。アイはこの場にあって一番自分たちと言葉が近い人。言ってることがわかる人として、アイがいるのはホッとする。「あなたたちは見ちゃだめって言われたかもしれないけれど、私は言われてない。だから見る」という勝手な解釈や、見たあとに「先に行って宿を探します〜」とさっさと逃げちゃうとこもいい。人間味あふれる。

・庵を出て、山伏たちが逃げているところは、実際はこちらを向いて止まっているように見えるが、脳内で補って漫画の集中線を引いてみると、全速力で走っているように見えてかなりの迫力がある。

・山伏たちが祈る真言は、真言の中でもかなり強力な3つだった気がした(たぶん)。

お能という装置や観能という行為は、映画『ホドロフスキーのサイコマジック』を思い出させる。

www.uplink.co.jp

セラピー。鎮魂。 深く傷つき損なわれた魂をどう癒せるのかわからないけれど、舞台に上げて物語にして、祈る姿をみんなで見守るというような。 死者の弔いであり、生きている者への寄り添いであり。

・鬼になってしまったあの人は、この世に恨みを残して冥界を彷徨っているのだとしたら、メトオペラの《エウリディーチェ》を観たらいいのではと思った。《エウリディーチェ》は、冥界に行っても死にきれない人たちが、自分の生と禍根について考え、受容し、決断するまでが描かれる作品だから。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

・もしもワキが尼僧だったら?と想像した。寄り添い方が違うかもしれないし、心の開き方も違ったかもしれない。おばちゃんが「わかるわ〜だいじょうぶよ」と寄り添ってくれるのは、男性の屈強な山伏に理性で「仏様のご縁が」と言われるのとはまた違う作用がありそう。エウリディーチェがワキになると、シスターフッドが生まれるかも?など、妄想が止まらない。楽しい。

 

 

解説と字幕がスマホにリアルタイムで届く「能サポ」というサービスを使ってみたら、とてもよかった! いいタイミングで字幕が入ってくるし、解説の内容も「それ知ってると確かにイイ!言ってもらわないとわからんし!」ということを言ってくれる。

noh-sup.hinoki-shoten.co.jp

 

機内モードにしているのに同時進行するのはどういう仕組みなんだろう」とつぶやいたら、開発・制作元の檜書店さんから、「システムは人の耳に聞こえない音を会場に流し、それに連動して字幕が動くシステムです」お返事をいただいた。

今回以外にも導入している公演はあり、ツイッターで発信されているそう。檜書店さんは神保町にある能楽専門の書店さん。私もここで謡本を買ったことがある。

twitter.com

 

横浜能楽堂の取り組みに注目しています。能の世界に橋渡ししよう、次世代を育もうと、様々な取り組みをされています。お近くの方で、お能デビューを考えてらっしゃるなら、ここを最初にするのもよいのでは。

yokohama-nohgakudou.org

 


まだ文章化できていないが、思いついたキーワードとつながりあれこれ。

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解説のメモ。

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そろそろ《道成寺》を観てもよい頃なのではと思い、タイミングのよい日程の公演を探しているところ。

お能友達によると、「道成寺は観る方も心身が削られるので、体調を整えて臨んで。
鐘入りの場面は心拍がえらいことになってぐったりします」とのこと。

うわわ、そう聞くとひよる……。

 

能のトリビアの話、おもしろい。

www.the-noh.com

 

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鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

 

2020年12月著書(共著)を出版しました。
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社