ひととび〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

METオペラLV《リゴレット》鑑賞記録

METライブビューイング・オペラ《リゴレット》を観た記録。東劇。

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またまた決闘モノでした。男の見栄や男社会の生きづらさから溜め込んだ憎しみのために女が犠牲になる話、と私は見た。

 

昨年度聴いていたラジオフランス語講座で、オペラ《ペレアスとメリザンド》の展開に対する講師のコメントで、「なぜ悲劇ては女が死ぬのか。ミソジニーではないのか」というものがあった。いや、ほんとうに。

最後の死ぬときには赦しを与えてゆくので、聖母マリア的な慈愛の象徴にもなっていて、勘弁してくれと思ってしまう。

 

さて、《リゴレット》本編。

明るい曲調と裏腹に、進行している物語は、差別、排除、支配。

アリア「女心の歌」は、いかにも「太陽降り注ぐイタリアらしい陽気さ」に満ちているようなのに、そこに到るまでの経緯と、今まさに起ころうとしている出来事を考えると、ギャップがすごくて目眩がするほど。

↓聞くと誰もが「あーあれか!」とわかるぐらい有名。

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"La donna è mobile" 女心は揺れ動く、変わりやすいよね〜と歌う、この公爵のチャラさが徹底していて良い。なぜか危機をスルリと抜けて一人呑気に生き延びるところが、皮肉というか。いやでも、現実ってそんなもんよねとも言える。

偽名を使って箱入り娘をたぶらかす感じは、若くてギラギラしていた頃の光源氏のよう。世界は自分を中心に回っている。

 

リゴレットが娘ジルダへの"愛"ゆえに公爵に復讐を仕掛けるというあたりは、これまた「決闘」モノ。ほんとうにそれは彼女への愛ゆえなのか?自分への愛ではないのか?と言いたくなる。

『最後の決闘裁判』『ウエスト・サイド・ストーリーなどでも明示される「男の見栄」と男社会の中で溜まった憎しみが、とあるきっかけを得て暴発する。その犠牲になるのはいつも女という構図。先日のアカデミー賞のアレもそうですよ。(→関連記事)自分の所有物を汚された、自分自身が傷ついたかのような錯覚で反応する。犠牲になるとかとばっちり食うとか。

 

とはいえリゴレットの不憫なところは、彼の容姿や社会的立場ゆえに嗤われ、不当な理由でホモソーシャルから排除される点。その先どうやって生きていくのか。彼にとって共同体からの排除は、おそらくほとんど死を意味する。

どれだけの絶望か。それゆえに憎しみは深く、深すぎるがゆえに、があらたな負の感情他者の中に芽生えさせてしまう。

しかしリゴレットは道化として、宮廷内で人を嗤い、窮地に陥れてきた経緯も持っている。今は自分が窮地に立たされる番。加害と被害の立場は紙一重。どこかでいつかこんな日が来るとわかってもいたのでは。

 

公爵の下僕達の「群衆」ぶりにも驚く。彼らは自分たち一人一人には考えがなく、命令されてもいないのに自発的に忖度する。公爵の一挙手一投足に反応する。集団としてやっているから怖い。あるいは、リゴレットに対する仕返しか。どちらにしても個人ではできないから集団になってやるところがエグい。責められても「オレのせいじゃない」と言いたげ。

「たった一日てこうも変わってしまうのか」

なんだこれ、現代の話か。ここでも音楽は楽しげなのに、舞台で展開している出来事は残酷極まりない。

 

リゴレットはジルダを外界に出すまいと管理する。「この街に来て3ヶ月になるのに教会にしか行っていない」「道化の娘は辱めを受けるから」。
ジルダにとって父は愛する家族ではあるが、自立を阻害する存在。公爵がどれだけクズでも、彼女にとっては唯一の社会への窓というところがつらい。恋愛の対象というよりも、自由をくれる存在が大きいのでは。

もう1幕追加して、リゴレットを救ってあげてほしいぁ。私なら3幕から書き換えてジルダも救いたいけど……。娘をこんな形で亡くして、しかも自分のせいで、この人もう生きてられないよね。

 

酒場の場面では、兄妹の関係もいびつ。「奴は金になる」兄利用され、女を使わされる妹。しかしこの妹にもちゃんと人格と歌のパートがしっかりと与えられているのはいい。この人にはこの人の人生がある。たとえそれが悪の道でも。兄のスパラフチーレは悪さがギンギンに溢れていて役としては魅力がある。

山場はオケもやる気満々で、目が話せない。

 

冒頭で伯爵夫人が夫を平手打ちしたあとに、ものすごい勢いで突き飛ばされて床に転がるように倒れる場面があるけど、あれはちゃんと申し合わせてるんだよね?だとしてもめちゃくちゃ怖い。ちょっとしたシーンだけど、舞台にいるのがほとんど男性しかいないし。。。演出やりすぎ。必要なくないか?

演出によるものか、一人ひとりに人生の物語があることがわかる作りで、今っぽかった。アール・デコの舞台美術と衣装もピッタリ。天井までぴっちりとデザインされている。

最後になってしまうけれど、歌手がよかった。ジルダ役のソプラノ、ローザ・フェオラ、鳥かフルートかって感じで、楽器と一体化しているというか。ジルダの微妙な立場や変化する心情も伝わる。次に彼女の出演作があったらぜったい優先的に観たい。

リゴレット役のクイン・ケルシーもその心の深いところに抱える怒りと悲しみ、娘を愛おしむ気持ち、絶望と微かな希望など、繊細に歌っていて泣ける。

リゴレットが復讐を決めたとき、「天罰を下すのはオレだ」、ジルダ「なんて恐ろしい喜びに目を輝かせているの」と歌うところもゾワゾワした。

これなんだよ、これ。「復讐の喜び」という悪魔に人間は取り憑かれてしまう。 ゆえにこのオペラは、「復讐を企てれば、自分にとって最も大切なものを永遠に失う」という教訓とも見える。

「ゆるしてあげて彼を。私たちにも報われる日がくる。不実な人のために赦しを乞うわ」

先日の《リゴレット》父娘の関係は、《エウリディーチェ》を彷彿とさせる。母娘、母息子、父娘、父息子、いろんなパターンでの成長と自立の阻み方を見て、自分への教訓や生い立ちの再考、世界の理解に活かしている。

溺愛は美しそうでその実、境界侵犯か共依存か。起こりうることとして理解。

 

近い時期にロイヤル・オペラハウス・シネマでも《リゴレット》の上映もあるようなので、見比べてみたい。

http://tohotowa.co.jp/roh/movie/?n=rigoletto2021

 

 

▼見どころレポート

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幕間のインタビューからメモ

・ジルダが何を選択していくのか、どのように深みにはまるのか、公爵の本性を知ってどうするのか、公爵の不遜な態度が見どころ。

・ワイマール共和国の設定に読み替えたのは、政治的な抑圧を受けている社会だから。女性への抑圧、貴族階級からの抑圧。。

・舞台美術、衣装デザインを1920-1930年のアール・デコをモデルにした。照明デザインは模型を作って。映画のような場面展開をするために舞台を回転させて、魔法のようにした。(感想:ここのリサーチがすごい)

・COVID-19の状況で明日には中止かもしれない中でやれることをやる、仕事に対する思い入れの深さをお互いに感じた。


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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年