映画『アートのお値段』を観た記録。2018年の公開。
映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』を観たときに、「彼女の作品はアート市場にはフィットしない」というような言葉があった。
そういえばアート市場ってどんなんだっけ?
そういうことがわかる映画なかったっけ?
と思い出したのが、こちらの『アートのお値段』だった。
観てみて、まあ、なんというか、「いい役者揃ってんな!」という感じ。
これってほんとにドキュメンタリー?
ギラッギラの、わかりやすく欲望を丸出しにしたコレクター、オークショニア、キュレーター、ギャラリスト、アーティスト。
アーティストの中でもギラギラしていない人もいて、「アートと金に、本質的なつながりは何もない」と言いつつ、しかしやはり展覧会で人が集まるとうれしい、「サクセス」の手応えに酔う姿もある。
「芸術が生き残る道は商業的価値を持つこと」「売れなければ守ってもらえない」と堂々と口にされる。
現代アートの市場は挑発的であればあるほど喜ばれ、高値がつき、投機の対象になっていく。錬金術と言ってもいいのかも。
ゲルハルト・リヒターだったかな? 「美術館で展示されるほうがいい」と言う。コレクターに高値で落札されると、二度とお目にかかれなくなる。転売目的で買われるから、コレクターの自宅に飾られもせず、倉庫の中で眠る作品も映る。切ない。
アーティストたちももちろんエネルギーを注いで制作はしているけど、結局その共犯関係の中で回しているだけという感じがする。
「長期スパンで考えている。私が飽きられても、50年、70年、150年後に評価されたらいいな」と言うアーティストも。うーん、アートってそういうこと?
何度も映るニューヨークのコレクターの自宅がすごい。どの部屋も所狭しと作品が展示されていて、どれをいくらで買って、今はいくらの価値が出ているのかをパッと口にできる。倫理的にどうかと思うような作品もある。それでもその人なりに人生の時間を使って何かを達成しようとしている。
シカゴ美術館に42点もの作品を寄贈して、一つのコーナーをかれらのコレクションとして名前がつけられ、感謝される。この一連の営みを愛と呼んでいいのか、かなり微妙。
現代アートの持つ暴力性のようなものと闘っている、レンブラントを愛するキュレーターもいて、その人が映るとホッとする。
ちょっと覗いてみて、あらためてアフ・クリントの文脈とは「違う」の意味が明瞭になった。
観終わったときの気分は……「食傷気味」。
でもなかなか覗けない世界だからおもしろかった。
オークションやマーケットといえば……。
クリスティーズ
https://instagram.com/christiesinc?igshid=YmMyMTA2M2Y=
サザビーズ
https://instagram.com/sothebys?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Art Basel
https://instagram.com/artbasel?igshid=YmMyMTA2M2Y=
こういうのが商品になっているのだなー
現代アートのコレクションといえば、この映画もあったな。『ハーブ&ドロシー』
2014年にこういう展覧会もあった。《現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションより》
「生き馬の目を抜くようなビジネスの第一線で活躍している実業家は、同じように現代の社会情勢を感性でとらえるアート作家の作品に強いシンパシーを感じていて、それでコレクションしているという人もいるのだ」的な解説があったような気がして、当時はなるほどそういうことだったのかと納得していたけれど、それは私が勝手に湧き立たせた妄想だった可能性もある。
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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年)