ひととび〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『チョコレートドーナツ』鑑賞記録

鑑賞記録を書いていなかった映画。ふと思い出して書いてこうと思った。

原題 "Any Day Now" 

bitters.co.jp

youtu.be

 

2回観ていて、1回目は2014年4月28日だった。この映画の公開年。

友人2人と観に行ったこと、売店で買ったばかりのコーヒーを帆布製のバッグにぶちまけてて、「またやっちゃった、てへ」と笑っていたとか、終わってからダクシン八重洲店で南インド料理を食べたこととか、思い出す。映画館で観るとそういう記憶も一緒に連れてきてくれるので楽しい。

 

私は気づいていなかったが、公開当時、シネスイッチ銀座が「ご要望にお応えして箱ティッシュ貸し出し」という演出企画をやっていたらしい。その頃「涙活」というものを提唱していた人もいたことも手伝ってか、「感動!泣ける!」という宣伝文句が多く飛び交い、SNSの投稿も「泣いた」が溢れ、それはそれで本当なのだろうが、何の涙かまで書ききれていないそれらは、どうしてもネタ消費的な印象になり残念だという話もしたのを覚えている。

 

私は泣いた記憶よりも、シビアな映画の展開に心がヒリヒリした。ラストへ向かう10分ぐらいの持っていき方も厳しかったが、主人公のルディとポールが行く先々で差別や偏見を食らい続ける姿や(もちろん理解者も若干2名いるが)、それに乗じた、立場を利用した攻撃を受ける姿、ダウン症のマルコが要らない子のように扱われる様などもつらかった。マルコの母親がドラッグ依存症(セックス依存症も?)、育児放棄という問題を抱えているなど、1979年の時代背景、アメリカ、カリフォルニアの社会背景を考えた。

特に母親のことは、ドキュメンタリー映画『トークバック 沈黙を破る女たち』(2013年, 坂上香監督)で、薬物依存を抱えて生きる女性たちの人生を観てきたこともあり、彼女の人生の背景を考えたいと思った。『チョコレートドーナツ』ではルディとポールの側から見える画になっているので、そこまで気にかけられていないのか、あるいは当時、制作サイドではまだそこまでスタディされていなかったのか、それはわからないが描かれていなかった。

ソーシャルワークという概念もまだ乏しく、優位な階層を設けて社会の規範から締め出し、懲罰的に当たる社会。

1980年代にはここに"AIDS"による同性愛者への差別と偏見が重なる、もっと暗い時期に入っていくのだよな……と想像するとさらにつらい。現在はHIVと呼ばれ、感染しても薬で発症が抑えられるようになった。

 

今の2012年制作のこの映画、今の時代ならまた違う描き方になりそう。そのぐらいここ10年でいろんなことが変わったと思う。

ただ、日本の社会においてはなんとも言えない。セクシャルマイノリティや多様な性を自認する人の存在は少しずつ知られているが、地域や世代、組織より差が激しい。同性のカップルの法律婚は認められておらず、異性愛カップルよりも不利な立場に置かれている。裁判は繰り返されているが、法制化に至っていない。市民レベルでの周知もまだ乏しい。差別と偏見がある。「かれら」がこの映画のような立場に追い込まれることもあるかもしれない。

一緒に行った人たちは皆子どもがいて、自分の子が性自認性的指向のことでカミングアウトするかもしれないので、そのときにどう受け止めたり、結婚や子どもを持つことについてどういうサポートができるか、ということを当時話した記憶がある。

 

日本で2014年当時に公開する時に難儀したと聞いて驚く。

www.entameplex.com

 

実話をもとにしたというよりも、実話からインスピレーションを受けて、という方が正しい。詳しいエピソードはこの記事に。

itsconceivablenow.com

 

 

最後に一つ、『チョコレートドーナツ』という邦題はよかったな!

ナカグロ(・)はないのが正しい表記でした。

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年