映画『ばちらぬん』を観た記録。
4月に「国境の島に生きる」と冠された2本の映画のうち、『ヨナグニ〜旅立ちの島』を観て、もう1本も必ず観ようと決めていた。
「ばちらぬん」とは、与那国語で「忘れない」という意味。
監督は与那国島出身の東盛あいかさん。
東盛さんと異なるルーツを持つ私には、東盛さんと同じ強さで「与那国語」を思うことはできないけれど、母語やルーツとなる文化が自分を形成している感覚はとてもよくわかる。ノスタルジーではない危機感。
人間が、地球のどこかの地に固有の精神的つながりを作って生きる動物だとしたら、その地が変化したり、消滅してしまうことはとても怖いことだ。つらい、いてもたってもいられない感覚を覚える。
私もそう。毎日暮らす街の姿がどんどん変化する。帰るたびに故郷の風景が変わる。
そう考えると、まして故郷が今戦禍に包まれている人たちは、立つ地を失ったような、身体が千切れたような、そんな感覚を持っているに違いない。つらいことだ。
ノンフィクションとファンタジー、沖縄と京都を行き来する不思議な進行。ファンタジー世界の部分は観ているときはやや蛇足のように感じられたり、唐突すぎる挿入が多いように感じたが、見終わってしばらく経つと、あれがないと映画として成立しなかったかもと思う。深いところに残っている。
説明もなく不思議な人や物が登場するのもいい。見た人の何かを喚起してくれる。
私が与那国島や与那国語を記憶する外部装置になったような気分。
そしてひしひしと感じるのは、均質化を迫る世界に対する、彼女なりの抵抗。
なくなってほしくないと思う風景や言葉、自分の愛したあの島に彼女自身がなることで抗う。物語の中の主人公として映画の一部になることもそう。
映画の中の二つの世界を行き来する制服姿の東盛さんは、「時をかける少女」のように走り、跳び、映画と現実を行き来して、何かをつなごうとしている。
帰り道にいくつも更地になった住宅跡を見かけた。こんなに近いのに気づかなかった。
残念なことに、前にどんな家が建っていたのか、どうしても思い出せない。
人間は次々に新しい状況に順応してしまうから、仕方がないのだとわかりつつも、自分の記憶力の曖昧さにがっかりする。
記録して、心を震わせ、体験して、強く印象づけないと記憶できないのかもしれない。
忘れたくないと思うこと。
忘れたくないという思いを動力に新たに作り出すこと。
それもまた人間ならではの営為。
私自身の今後の生き方を考える中で、大切な映画に出会った。
https://transit.ne.jp/2022/05/001615.html
審査講評
消滅の危機にある言語。与那国語も含まれる。
説明はないが、
「ヤシの実と入れ墨」
「与那国島」と聞くと気になるようになった。
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